で、結局、描かれているのは何か?
「ポルトガルの女」(ムシル/川村二郎訳)
(「百年文庫057 城」)ポプラ社
近居に居をかまえる貴族とは
姻戚関係をむすばないのが
ケッテン一門のしきたりだった。
彼らは遠方から、しかも
裕福な家から妻をめとった。
ケッテン家の当主は十二年前に
美しいポルトガルのむすめと
結婚した。
彼は三十歳だった…。
理解の難しい文学作品は
この世に多数存在します。
本作品もその一つです。
短篇ながら、何度読み返しても
何を描いているのかよくわかりません。
その「わからない」ところが
そのまま味わいどころと
考えるべきなのでしょう。
「特性のない男」で世界的評価を得た
オーストリアの作家
ムシルの「ポルトガルの女」です。
〔主要登場人物〕
ケッテンの主…ケッテン家の当主。
ポルトガルの女…ケッテンの主の妻。
トレントの司教
…ケッテン家と敵対する勢力の長。
本作品の味わいどころ①
主人公は「ケッテンの主」か
それとも「ポルトガルの女」か
まず主人公が夫婦のどちらなのか、
今ひとつ判然としません。
表題が「ポルトガルの女」である以上、
彼女が主人公と考えるべきです。
しかし、主に描かれているのは
夫である「ケッテンの主」です。
領地を巡る十二年にもわたる攻防が
描かれている前半は、
当然彼にスポットが当てられていて、
妻「ポルトガルの女」は
わずかしか描かれていません。
その一方で、「ケッテンの主」が
病に罹ってからの後半部は、
「ポルトガルの女」の描かれ方が
大きくなるのです。
そもそも夫婦らしい部分は
ほとんど描かれていないのです。
戦いに明け暮れる男と
その留守を預かる妻の物語ですから
当然なのかもしれませんが、
甘い部分もなければ
確執があるわけでもないのです。
本作品の味わいどころ②
「狼」や「猫」などの動物は何の暗喩か
後半部に入ると、
なぜか動物が登場します。
森から生け捕りにされ、
城に運ばれてきたものを
「ポルトガルの女」が飼い慣らした「狼」。
城に迷い込んだものを、
またしても彼女が手懐けた「猫」。
それらはどちらも「主」の不興を買い、
殺害されたことが記されます。
何かを擬えているのは
間違いないのですが、では
これらはいったい何の暗喩なのか?
その後の「女」の言動も
何かありそうな予感を秘めています。
「狼」殺処分後に
「女」が笑いながら放った言葉
「毛皮でわたしの頭巾を作らせますよ、
夜なかにあなたの血を
吸ってしまいますよ」は
何を意味しているのか?
「猫」の場合も
「神が人のすがたを借りることが
できたなら、猫に化身することも
できるはずですわ」にもまた
深い意味が宿っているはずです。
本作品の味わいどころ➂
結局、描かれているのは何か
で、結局、描かれているのは何か?
それが最大の「謎」であり
「味わいどころ」なのです。
最も妥当と考えられるのは、
戦闘的な国家の盟主である夫から
十二年もの間放置された女の心情を
いろいろな暗喩で
描いたものであるという見方でしょう。
では彼女は
どんな思いを抱いていたのか?
わかりません。
夫との交流のない生活を
自身の選択の結果として受け入れている
彼女の孤独を描いているとも
考えられます。
だとすれば舞台となる
ケッテン家の古城は彼女の墓場であり、
本アンソロジーの表題「城」とも
繋がります。
いずれにしても表面に記されてあるのは
単なる記号に過ぎず、
その奥に深い哲学的主題が
横たわっているとともに、
豊穣な文学世界が広がっているのは
疑いようのないことです。
読み手は自身の感性を持って
その世界へ
踏み込んでいかなければならない、
なんとも厄介な作品です。
だからこそ読む楽しみがあるのです。
独特な文体と
深い心理描写が特徴である難解な作品
「ポルトガルの女」。
ぜひご賞味ください。
(2024.8.6)
〔作者ムシルについて〕
ローベルト・ムシルは1880年生まれ、
1942年没のオーストリアの作家です。
寡作であり、
一時期忘れ去られたのですが、
現在その代表作「特性のない男」は、
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」、
プルーストの「失われた時を求めて」と
並び、20世紀前半の文学を代表する
作品とみなされるなど、
世界的に高い評価を受けています。
なお、「ムージル」と
表記されることの方が多いようです。
〔ムシルの本はいかがですか〕
もともと寡作であることに加え、
日本では今ひとつ人気が高くないため、
現在流通しているのは、文庫本では
「寄宿生テルレスの混乱」のみです。
岩波文庫から
次の2冊が出版されていましたが、
現在は絶版中です。
「愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑」
「三人の女/黒つぐみ」
〔「百年文庫057 城」〕
ポルトガルの女 ムシル
ユダヤの太守 A.フランス
ノヴェレ ゲーテ
〔百年文庫はいかが〕
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