林芙美子の貧乏小説といえば…、
「牡蠣」(林芙美子)
(「風琴と魚の町・清貧の書」)
新潮文庫
「牡蠣」(林芙美子)
(「清貧の書/屋根裏の椅子」)
講談社現代新書
周吉は西片町の蔦の
いっぱい這った運送屋で、
たまと二階住いをしていた。
たまは北秀館と云う
下宿屋の傭い女で、
月給は七円しか
貰っていなかった。
周吉は日本橋横山町にある
袋物問屋美濃田三吉商店の
袋物職人で、駄物専門の…。
自伝的小説「放浪記」をはじめとする、
自らの貧困生活を題材にした作品を
数多く遺した林芙美子。
本作品もまた貧困にあえぐ若者が
主人公となっています。
〔主要登場人物〕
守田周吉
…袋物職人。革を使った小物をつくるが
腕はあまりよくない。
樋口たま
…女中。周吉と知り合い、結婚する。
富川
…周吉と同じ問屋に作物を納めている
上物職人。
美濃田…美濃田三吉商店店主。
本作品の味わいどころ①
不器用な生き方の男・周吉
貧乏小説の主人公はやはり
「不器用な生き方しかできない男」、
正確に言えば「金を稼げない男」と
相場が決まっています。
本作品における周吉も然りです。
職人ではあるものの、
腕が立つわけでなく、
お情けで安い仕事を
もらい受けてくるだけなのです。
それをコツコツと全うできるのであれば
問題ないのですが、
彼はなかなかそうできないのです。
集中力が長続きせず、
数をこなすことができません。
こらえ性がないために、
職や住居を転々とする癖があります。
見通しのないまま、たまを連れて
故郷の四国へと帰るのですが、
実家の姉からは冷たくされ、
再び東京へと戻ることになります。
読み手からすると
イライラ感の募る主人公なのですが、
それだからこそ
貧乏小説の主人公なのです。
まずは周吉の人物像を、
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
世話を焼きすぎる女・たま
しかしそれだけだと
貧乏小説にはならず、自滅小説
(というジャンルがあるわけでも
ないのですが)にしかなりません。
そういう男に対して、
世話を焼きすぎる女がいて、
初めて貧乏小説として成り立つのです。
東京に帰ってきても
わずかばかりの仕事に難渋している
周吉を見かね、
彼女は住み込みの女中として働き、
金を工面するのです。
そんな男になぜ?と現代の私たちは
ついつい思ってしまうのですが、
昭和、それも戦前の日本であれば
不思議ではありません。
お互いに貧乏ゆえ、女は男に
世話を焼きすぎてしまうのでしょう。
そんなたまの人柄を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ➂
うまくいかない男女・周吉とたま
でも、そんな二人が
うまくいかないからこその
貧乏小説です。
たまが住み込みの女中となったのも、
周吉が癇癪を起こした結果なのです。
うまくいきそうでうまくいかない、
うまくいかないもののまったく切れずに
わずかに繋がっている。
そんな周吉とたまの関係こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
存分に噛みしめましょう。
さて、林芙美子の貧乏小説といえば、
私小説ともいえる作風で、
かならず「私」(=作者自身)が登場する
一人称のものが多いのですが、
本作品は違います。
三人称の客観的視点から綴られた
作品なのです。
林の作品としては
珍しい構成となります。
それでいて、たまにはおそらく
林自身が投影されているはずです。
「小柄な肥った女」という容姿、
誰と一緒でも笑っている社交性、
何とかして小金を工面する行動力、
結局男に尽くしてしまう依存性、
すべて林自身と重なります。
ただし、本作品が林の他の作品と
感触を異にするのは、
客観的視点だけではなく、
「救いがない」という点です。
貧乏に喘ぎながらも
日々生活していく中に、
何か明るい「救い」となるものが
潜んでいたのですが、
本作品にはそれが見当たりません。
では、本作品の主題は何か?
という疑問が当然生じます。
答えは簡単には
でてきそうもありませんが、
それもまた本作品の味わいといえます。
作中に「牡蠣」が
登場しないにもかかわらず
表題となっていることの
不思議とともに、何度もじっくり
咀嚼する必要のある作品です。
ぜひご賞味ください。
(2024.8.8)
〔「風琴と魚の町・清貧の書」〕
風琴と魚の町
耳輪のついた馬
魚の序文
清貧の書
田舎言葉
馬の文章
牡蠣
人生賦
山中歌合
〔「清貧の書/屋根裏の椅子」〕
風琴と魚の町
耳輪のついた馬
清貧の書
屋根裏の椅子
小区
塵溜
牡蠣
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