「ぼんやり」という至福の時間を愉しむ
「ぼんやりの時間」(辰濃和男)
岩波新書
森や闇や静謐や
風土生命体を失った人間は、
当然のことながら、
ぼんやりできる空間、
時間を失い、
とめどない心の破壊、という
打撃を受けている。
現代人は、いやおうなく
心の破壊と向き合わざるを
えないところに
追い詰められて…。
目から鱗が落ちました。
いや、脳から鱗が落ちたと
いうべきでしょうか。これまで
「ぼんやり」していてはいけない、
効率よく時間を使わなければならない、
といつも自分を叱咤激励していたような
気がします。
人間は決してそれでは
幸せにはなれない。
そんなことに気づかせてくれる
貴重な一冊です。
十数年ぶりに再読しましたが、
初読よりも再読した今の方が、
大きな衝撃を受けました。
働き盛りの頃に読んだのですが
ピンときませんでした。
退職が目の前にちらついてきた今なら、
本書に書かれてあることが
よくわかります
(それでは遅いのでしょうが)。
〔本書の構成〕
はじめに
一 「ぼんやり」礼賛
─常識に逆らった人びと
1 「ぼんやり」という貴い時間
2 「いそがなくてもいいんだよ」
3 散歩の醍醐味
4 放浪─マムシと眠る
5 夢想にふけって
6 ぼおーっとして生きる
7 自然にとけこむ
8 気分を変えるために
二 ぼんやりと過ごすために
─その時間と空間
1 「むだな時間」はむだか
2 心安らぐ居場所で
3 静寂のなかでこそ
4 温泉の効能
三 「ぼんやり」と響き合う一文字
1 「闇」─蛍と星とダークマター
2 「独」─独りでいること
3 「閑」─逆茂木に囲まれて
4 「怠」─「一日四時間労働」の夢
5 「懶」─心の余白
あとがき
本書の味わいどころ①
「ぼんやり」は素敵だ!
第一章「ぼんやり礼賛」では、
「ぼんやり」することの素晴らしさが
語られます。
そもそも日本人は、
「いそがない」民族であったことを
筆者は説いています。
それが欧米の生活様式を追随するあまり
スピードや効率性を重視し、
「ぼんやり」が失われていったのだと
いうのです。
「戦争に敗れ、アメリカ文明に敗れた
日本人は、敗戦後、
物量という名のモノノケにとらわれ、
…私たちの心の破壊は
そのようにして始まったのだ」。
鋭い指摘です。
その一方で、
「ぼんやり」の対極にある(と考えられる)
「働くこと」について
否定はしていません。
むしろ「ぼんやり」の時間が、
「働くこと」をより充実したものにすると
いっているのです。
歌舞伎の坂東玉三郎、
将棋の森内俊之、
陸上競技のボルト、
野球選手の江夏豊、
そうした著名人を例に挙げ、
彼らの、「ぼんやり」と「働くこと」の
ギア・チェンジの巧みさに触れています。
「ぼんやり」は悪いことなどではなく、
実は素敵な時間なのだということが
わかります。
本書の味わいどころ②
「ぼんやり」するために
第二章「ぼんやりと過ごすために」では、
「ぼんやり」とする時間の効能や、
それを生み出すための
方策について語られます。
ミヒャエル・エンデの
「モモ」を引き合いに出し、
「むだな時間」はむだか?と問いかけ、
梨木香歩の「西の魔女が死んだ」の
主人公・まいの成長に目を向け、
「非日常の時空に身をおくことで、
まいの生命力は活力を得る」と説きます。
国木田独歩の「武蔵野」を引用し、
日本人が失ったものの
大きさを振り返り、
夏目漱石の随筆から温泉の効能と
「ぼんやり」するための空間の
考え方について論じています。
「ぼんやり」の時間は、
決して無駄な時間ではなく、
実は豊穣な実りに満ちた
時間であることに気づかされます。
本書の味わいどころ➂
「ぼんやり」の創る未来
第三章「ぼんやりと響き合う一文字」では
「ぼんやり」を体感するための
キーワードとなる漢字一文字を
五つ紹介し、「ぼんやり」の大切さを
再度解き明かすとともに、
これからの私たちが目指すべき
「ぼんやり」の未来について
提示しているのです。
物質的物量的豊かさに「その先」はなく、
精神的豊かさにこそ
人間の未来が描かれるはずと
論旨を展開しています。
さて、本書は
「ぼんやり」の時間の大切さを説きながら
実は質の高い読書案内としても
機能しています。
味わいどころ②で挙げた
いくつかの図書以外にも、
各章各節において
「ぼんやり」を考える上で、
文献資料をもとに解説しているのです。
それがそのまま
読書案内として使えるのです。
読んでみたい、
そして「ぼんやり」を実践してみたい、
さらには「ぼんやり」の達人になりたい、
そう思わせてくれる本が、
いくつも登場します。
本好きにはたまりません。
本を読む、それ自体が
「ぼんやり」を愉しんでいることに
通じているのかもしれません。
本書の説くような「散歩道」も「温泉」も
手近にはないのですが、
幸いわが書斎には
本だけはたくさんあります。
「ぼんやり」という至福の時間を
愉しみたいと思います。
(2024.8.12)
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