ポスト・コロナの時代、どう読まれるべきか?
「ペスト」(カミュ/宮崎嶺雄訳)
新潮文庫
街で大量の鼠が死に始める。
そしてそれと同じように人々が
次々と謎の病いで倒れてゆく。
医師・リウーは、この病気が
ペストであることに気づく。
はじめは楽観的だった市当局も
対応に動き、
ついには市全体が外部と
完全に遮断され…。
コロナ禍にあってベストセラー化した
過去の名作、カミュの「ペスト」です。
多くの方が買って、
そろそろ飽きてきたのでしょうか、
ブックオフに
多数並ぶようになってきました。
私は10年ほど前に読んでいました。
コロナで巣ごもり中、
再読しようと思ったのですが、
ブームになっていたこともあり、
冷静には味わえないと思い、
控えていました。
そろそろ頃合いかと思い、
読み始めたしだいです。
〔主要登場人物〕
語り手
…現状を冷静に語る。
その正体は最後に明かされる。
ベルナール・リウー
…医師。隔離されたオラン市の
防疫体制に奔走する。
リシャール
…市内医師会長。
カステル
…年をとった医師。間に合わせの
機材で血清製造に努力する。
ジャン・タルー
…ペストの顛末を手帳に綴る。
ジョセフ・グラン
…官吏。
作家志望で、作品を書いている。
ジャーヌ
…かつてジョセフの妻だった女性。
パヌルー神父
…博学かつ戦闘的なイエズス会神父。
コタール
…自殺未遂をした、絶望にかられた男。
犯罪を犯していたらしい。
ミッシェル
…リウーのアパートの門番の老人。
ペスト罹患の末、死亡。
オトン
…予審判事。
レイモン・ランベール
…新聞記者。オラン市訪問中に
ペスト非常事態による隔離に遭い、
フランスに帰ることができなくなる。
ガルシア
…密輸商。
ランベールの市外脱出に道をつける。
ラウル、ゴンザレス、マルセル、ルイ
ランベールの市外脱出に関わる。
本作品の味わいどころ①
七十年以上前のパンデミック文学
舞台は大戦終了後の
フランス領アルジェリアのオラン市。
そこで「ペスト」という最悪のウイルスが
パンデミックを引き起こすのです。
ここで気をつけたいのは、
本作品はパンデミックを扱った
小説でありながら、
決してSFやパニック小説の類いでは
ないということです。
コロナ後に再読し、
改めて感じるのですが、
実際のウイルス感染の経緯を
きわめて正確に
描写していると感じます。
ポーの「赤き死の仮面」や
小松左京の「復活の日」のように、
バタバタと人が死んでいくものでは
ないところがリアルです。
だから文学として
世界的に認められたのでしょう。
七十年以上前に、このような作品が
完成していたことに驚かされます。
このパンデミック文学作品としての
味わいを、まずは堪能しましょう。
本作品の味わいどころ②
民衆の心理、恐れと慣れと諦めと
描かれる民衆の心理は、
「無関心」から始まり、
「恐れ」「慣れ」「諦め」へと続きます。
このあたりはコロナでの世界の民衆の
示した心理と酷似していると感じます。
カミュの創作のリアルさが
最もよく証明されている部分でしょう。
ただしカミュは、
パンデミックそのものを
描きたかったのではないはずです。
ペスト自体は
舞台装置の一環に過ぎません。
そこで抑圧された人間の心理こそ
描きたかったものであはずです。
パンデミックにかかわらず、
人は自由を制限され、
抑圧されていると感じたとき、
このような心理に
陥るということでしょう。
恐らくは第二次世界大戦中、
戦時下にあった多くの国で、
このような心理状態が
人々に生じていたものと考えられます。
非常事態において
抑圧された人間の心理の歪さこそ、
次にじっくりと味わうべきものです。
本作品の味わいどころ③
分散する一方で団結する人間の力
パンデミックという恐ろしいまでの
災難が描かれているにもかかわらず、
本作品には「救い」があります。
それは団結する人間の力です。
主人公の医師リウーはもちろんのこと、
それを取り巻く人間たちが、
次第に変容していくのです。
閉鎖されたオラン市から
脱出することばかり考えていた
ランベールは、次第に
パンデミックを自らのことと捉え、
保健隊で活動します。
視野が狭く
自らのことしか考えていなかった
木っ端役人のタルーは、
本来の仕事に加え、
保健隊の業務を担います。
それだけでなく、
リシャール、パヌルー、コタール、
それぞれが自分の役割を
果たそうとしているのです。
ここに人間の救いを見いだせるのです。
離散しつつも団結していく人間の力、
この「救い」こそ、本作品の最大の、
十分に噛みしめるべき
味わいどころと考えます。
さて、カフカの「変身」が
不条理における
個人の心理を描いたものに対し、
本作品はそれに対する
集団の心理を描いたといわれています。
ペストによるパンデミックは、
不条理そのものです。
しかし、世界はコロナを経験し、
人類は(もしくは日本人は)
本作品と同等もしくはそれ以上の
抑圧経験をしてしまいました。
ポスト・コロナの時代、
本作品はどう読まれるべきか?
作品の価値は不変であると信じますが、
その味わい方は、これから
大きく変わる可能性があります。
本作品もまた、
社会情勢の変化の度に読み直し、
味わい直す必要のある
作品なのかもしれません。
ところで、昭和の時代から定評のある
宮崎訳ですが、
そろそろリニューアルされても
いい頃ではないかと思っていたところ、
最近、岩波文庫と
光文社古典新訳文庫から
それぞれ新訳が登場していました。
次回再読するときは、
そのどちらかを
読んでみたいと考えています。
コロナ以上の
未曾有の困難が訪れたとき、
私たちはこのようにできるか、
返答を迫られているような
気になりました。
世界には、そして私たちの国には、
まだまだ危機が迫りつつあります。
南海トラフ地震、
世界の紛争の拡大、
未知の殺人ウイルス等々、
私たちの想像力は、
カミュを超えることができるのか。
そちらも試されています。
〔素朴な疑問〕
カミュはなぜ作品の舞台を
フランス本国の
どこかの田舎町ではなく、
アルジェリアのオラン市に
設定したのか、
そこにも何か意図があると
考えられるのですが、
よくわかりませんでした。
本作品が描かれた時代、
アルジェリア全土が
フランスの植民地となっています
(アルジェリアは1830年から
1962年までフランスの
植民地支配下にありました)。
この間、アルジェリアは
フランスの一部として統治され、
多くのフランス人が移住し、
現地の文化や社会に
大きな影響を与えています。
ここが舞台でなければならない
理由は何か?
次の再読で考えてみたいと思います。
(2024.9.2)
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