理想家オクタヴィヤンの時空を越えた恋の行方
「ポンペイ夜話」
（ゴーチェ/田辺貞之助訳）
（「死霊の恋･ポンペイ夜話 他三篇」）
岩波文庫
（「百年文庫054 巡」）ポプラ社
青年･オクタヴィヤンは、
ポンペイの博物館の遺跡に
心を奪われる。二千年前の
火山噴火によってできた
女性の胸の、押し型の
美しさに魅せられたのだ。
その夜、廃墟に彷徨い出た
オクタヴィアンは、街が
修復されていることに気づく…。
フランスの幻想小説作家･ゴーチェの
魅惑的な一篇です。平たくいえば
｢SFタイムスリップ･ロマン｣と
なるのでしょうが、
その文学性に裏打ちされた本作品は、
そのような俗な表現に
収まりきれない魅力を湛えています。
〔主要登場人物〕
オクタヴィヤン
…ロマンチストの青年。ポンペイの
遺跡の女性に恋い焦がれる。
マックス
…オクタヴィアンの友人。策士。
ファビオ
…オクタヴィヤンの友人。
快楽主義者。芸術肌。
ルフス･ホルコニウス
…オクタヴィヤンが
異世界で出会った青年。
アッリア･マルチェッラ
…ポンペイの遺跡の胸の押し型の
もととなった美しい女性。
アッリウス･ディオメデス
…アッリアの父親。
ティケ･ノヴォレヤ
…アッリアの召使い。
本作品の味わいどころ①
非現実の女性に恋するオクタヴィヤン
本作品の魅力は何といっても
異世界体験する青年･オクタヴィヤンの
人物造形です。
非現実の女性に恋する青年。
現代日本においては
珍しくもなんともありません。
アニメやCGの中の女の子に恋する
危ない男性は掃いて捨てるほど
存在しています。
しかしオクタヴィヤンはそのような
｢オタク｣とは異なります。
彼は、芸術的な美しさに
魅せられているのです。
ポンペイの溶岩に
型押しされた女性の胸。
その造形美に、彼は引き寄せられ、
その鋳型をつくった二千年前の女性に
恋い焦がれるのです。
高いレベルで美術を解し、
理想を追求するタイプの
青年なのでしょう。
本作品の味わいどころ②
二千年の時を超えたアッリアの妖しさ
夜の廃墟を散歩していた
オクタヴィヤンは、
周囲がいつの間にか二千年前、
火山噴火で埋没する以前の
ポンペイの街へと
タイムスリップしていたのです。
そこで鋳型の女性･アッリアと
巡り会うのです。
彼女の美しさは
胸だけではありませんでした。
すべてが美しかったのです。
まさに理想的な美しさの
女性だったのです。
それは偶然の出会いではありません。
アッリアがオクタヴィアンを
引き寄せたのです。
アッリアはオクタヴィヤンを
邸宅の寝所へと誘うのです。
甘いロマンスの始まりです。
オクタヴィヤンの念願が叶ったように
見えるのですが、
実はアッリアの妖術に捉えられたと
考えるべきなのかもしれません。
彼女の本性については、
その後に現れる父親･アッリウスが
すべてを語ります。
本作品の味わいどころ③
丁寧に現実に引き戻すゴーチェの作風
で、巡り会うことは叶ったのですが、
ロマンスは叶うことなく
幕切れを迎えます。
本作品の閉じ方は、
ハッピー･エンドでない代わりに
バッド･エンドでもありません。
最後は筋書きもオクタヴィヤンも
読み手さえも、
丁寧に現実に引き戻され、
静かに終わっていきます。
オクタヴィヤンも｢普通｣に結婚し、
｢普通｣の人生を送ったことが
記されます。
彼の異世界経験は、
だから夢かもしれない、という解釈も
成り立つのです。
異世界は存在しなかったかもしれない、
だとするとSFではない、
これが大切であり、だからこそ
純文学としての位置づけを
獲得できているのです。
もちろんゴーチェの美しい文体も
きわめて魅力的であり、純文学として
十分な体裁を保っているのです。
それにしても、
胸のラインが美しくとも、
顔もまた美貌であるとは
限らないはずです。
でもアッリアは、
すべてが美しく理想的な女性でした。
もしかしたら理想を激しく追い求める
オクタヴィヤンが、
自らの脳内につくり上げた理想郷と
考えることも可能なのですが…、
いや、やはり異世界体験をしたと
考えたほうがロマンティックです。
ぜひご賞味ください。
（2024.9.3）
〔「百年文庫054 巡」〕
アトランティス物語 ノヴァーリス
枯葉 ベッケル
ポンペイ物語 ゴーチェ
〔ゴーチェの本はいかがですか〕
※｢ゴーティエ｣と
表記されているものもあり、
検索に注意が必要です。
現在流通しているのは、
岩波文庫以外では、
光文社古典新訳文庫からの
一冊のみのようです。
古書としては以下のようなものが
見当たります。
「変化:フランス幻想小説」
(現代教養文庫)
「吸血女の恋:フランス幻想小説」
(文元社)
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