危険な水域に、覚悟の上で
「潤一郎ラビリンスⅩ」(谷崎潤一郎)
中公文庫
「金と銀」
妥協の道は断じて有り得ない!
己が飽く迄も生きて、発達して、
天才の境地に伸びて行くには、
青野が此の世から
居なくならなければ駄目なのだ。
彼が存在する限り
己の前途は真暗闇だ。
「そうだ、己は青野を
殺すより外にない。」…。
谷崎潤一郎の中短篇作品を、
いろいろな切り口から集めた
アンソロジー「潤一郎ラビリンス」。
第10巻のテーマは「分身物語」。
何の分身か?
もちろん谷崎自身の分身です。
悪の画家・青野と
善の画家・大川の登場する「金と銀」。
善の作家Aと悪の作家Bが激突する
「AとBの話」。
そして日本文化を好む松永と
西洋文化を好む友田にまつわる
「友田と松永の話」。
それぞれ谷崎の分身たちが、
ときに分裂し、ときに合体し、
摩訶不思議なドラマを
織りなしていきます。
〔「潤一郎ラビリンスⅩ 分身物語」〕
金と銀
AとBの話
友田と松永の話
第一作「金と銀」は、
まったく正反対の人間、
青野と大川の物語なのですが、
この二人は、次第に一つに
収斂されていくかのような
展開を見せます。
「そうだ、己は
青野を殺すより外にない」は、
中盤において流れが変わる場面における
善の作家・大川の心情の吐露です。
善人と思われていた大川が
まさかの変身です。
それは青野との交流の悪影響か、
それとも青野の芸術に対する
嫉妬のなせる技か。
しかしよく読み込むと、
大川は根っからの善人ではなく、
「善人らしく振る舞うこと」を
是としてきた人間なのです。
その心理の深層には、
「悪」が根付いていたとしても
不思議ではありません。
詰まるところ、青野と大川、
どちらも谷崎の影なのです。
青野と大川の
どちらが実像でどちらが虚像か、
ではなく、実像はあくまでも
谷崎本人であり、青野・大川は
その幻影に過ぎないのです。
「AとBの話」
AとBと云うのは
二人の青年の名であるが、
同時に又、
この二人が持っていた全く異った
二つの「魂」の名でもある。
だから「AとBの話」は
「二つの魂の歴史」と云っても
差支えない。
全く異った魂を持ちながら、
AとBとは従兄弟同士…。
道徳家・大川と悪徳家・青野が、
次第に収斂していくかのような構成の
「金と銀」でしたが、
本作品は善の作家・Aと
悪の作家・Bが対決し、
一生を賭けた勝負をしていくのです。
基本的に同じ性質の二人である
AとBは、次第に異化し、
まったく両極端の考え方の人間、
つまりAは「善」の作家へ、
Bは「悪」の作家へと
その才能を開花させていくのです。
このAとBもまた、
谷崎の分身の一つの形であることに
間違いはありません。
Bの悪徳は、他作品にも見られる
谷崎特有の考え方であり、
Bこそが谷崎の分身のように
思えるのですが、Aもまた然りです。
Aはすべてを犠牲にして
己の文学を純粋なものまで高め、
完成させます。
その姿は谷崎そのものと
いっていいはずです。
いわば、谷崎の光の部分と影の部分、
その二つの分身がAとBであると
考えるべきでしょう。
「友田と松永の話」
小説家である「私」は、
見知らぬ女性から
一通の手紙を受け取る。
その女性は、たびたび家出し、
行方知れずとなった夫を
探しているのだという。
かつて夫の持ち物を調べた折、
「私」から友田なる人物に宛てた
手紙が出て来たのだと…。
ここまでの二篇が、善と悪、
もしくは光と影といった
二人の人物の二重性について描かれた
二作でしたが、
本作品はそれらとは異なります。
読み進めると早々と見えてくるのですが
友田と松永は同一人物なのです。
「金と銀」では、善と悪の二つの人間の
人格が一つに収束していきましたが、
こちらは友田と松永の
どちらかで固定されるであろうことが、
最後の場面での松永(=友田)から
「私」に宛てた書簡の中で語られます。
どちらに固定されることを
仄めかしているのか?
それは作者・谷崎自身の描く
世界観の変化とも重なります。
いろいろな角度から自身を切り刻み、
その断面をこれ見よがしに
提示した作家は、
谷崎よりほかに見当たりません。
だからこそ、その作品を読む度に、
作者・谷崎に近づいていくような
気がするのです。
近づきすぎるのは
精神的によくないと知りつつ、
近づきたいという欲求に抗うことの
難しい文学世界を構築した谷崎潤一郎。
本アンソロジーを熟読して、
危険な水域に覚悟の上で
接近してみてください。
(2024.9.12)
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