すべてがそこに帰結しているビアスの構成
「空飛ぶ騎手」(ビアス/西川正身訳)
(「いのちの半ばに」)岩波文庫
馬に乗ったまま、
ひとりの男が空中を谷間へと
下りて来るのだ。
馬上の人は軍隊風に
みごと直立の姿勢をとり、
鞍にしかと腰を落ち着け、
乗馬があまり猛烈な勢いで
前方へおどらぬように、
手綱を固くつかんでいる。
まさに飛行だ…。
と、四つの章からなる短篇の、
クライマックスともいえる
第三章の一場面です。
偵察に出た一人の士官が、
谷間を飛んで降りてくる騎兵を目撃し、
腰を抜かすのです。
アンブローズ・ビアスの
「空飛ぶ騎手」です。
おそらく南北戦争の知識がなければ、
一読しても何が何やら
訳がわからないはずです。
南北戦争を紐解きながら
味わうべき作品なのです。
〔主要登場人物〕
カーター・ドルーズ
…北軍の哨兵。
敵兵を発見して狙撃する。
「父親」
…カーターの父親。
ヴァージニア州の富豪。
「空飛ぶ騎手」
…絶壁を飛ぶようにして下る
南軍の騎兵。
「北軍のひとりの士官」
…偵察中、「空飛ぶ騎手」を目撃する。
「軍曹」
…カーターの上官。
本作品の味わいどころ①
戦争の局面が解説される第一章
「一」では、
ドルーズの名前は付せられたまま、
歩哨の任務中に居眠りをしている
怠慢な「兵士」の姿が描かれます。
主人公に居眠りをさせている間に、
作者・ビアスは、舞台となる
この地形が急峻な渓谷であり、
北軍の戦略上の
重要ポイントであることを
説明していきます。
さらに「一八六一年の秋」
「西部ヴァージニア」と
具体的な時空間を定義し、
そこが南北戦争の最初の軍事衝突である
「第一次ブルランの戦い」であることが
示されていくのです。
加えて、北軍が奇襲作戦を準備、
失敗すれば
北軍はきわめて不利になること、
そのため南軍に部隊の動きを
知られてはいけないことなど、
以降の展開に繋がる
重要な設定が記されていくのです。
開戦の火蓋が切られようとしている
その緊張感を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
ドルーズの戸惑いを描く第二章
「二」で初めて名前が記されたドルーズは
その出自についても
明かされていきます。
彼は南軍(連合国側)の
ヴァージニア州の人間であること、
父親は富裕層であることが
説明されています。
おそらく、ドルーズ家は
他の南部の州の富裕層と同様に、
奴隷を使ったプランテーションで
財を成したと考えられます。
その中に生まれながら
彼は北軍(奴隷制の廃止を主張)に
加わるのです。
崇高な志を持っていたであろうことが
うかがえます。
彼と父親の会話もまた、
その後の出来事の伏線となっています。
「何事が起ろうとも、
自分の義務と信ずることを
行うのだぞ。
ヴァージニアは、
叛逆者のお前からは、
手を借りないで
事を運ばねばならぬ」。
その後に続く、
彼の敵兵発見の驚きこそが本作品の
第二の味わいどころとなります。
知られてはいけない秘密を
知っている可能性が高いのですから、
彼が驚いて当然なのですが、
彼の心には不可解なまでの
葛藤が生じているのです。
「あの敵兵を捕虜にすることは
おぼつかない」、
「魂に一瞬の死の準備も許さず、
あの世に送らねばならない」。
彼の戸惑いの原因は何か?
それが「四」へ続くのです。
本作品の味わいどころ③
「空飛ぶ騎手」が描かれる第三章
で、冒頭に記した場面となるのです。
読めばすぐわかることですが、
「士官」が見た騎兵は、
絶壁を駆け下っているのではなく、
「二」の終末で
ドルーズが発射した銃弾を身体に受け、
断崖を単に落下しているだけなのです。
それを丹念に描写している
ビアスの意図は何か?
それもまた「四」へと繋がるのです。
死してなお手綱を緩めることなく
姿勢を保ちながら
墜落しているくらいです。
この騎兵は、相当な信念を持って
戦闘に参加している、
意志の固い軍人であることが
想像できます。
「士官」の眼にも
そのように映っていたのでしょう。
「気品あり悠々迫らず、
かつまたある意図を
持っているように見てとれた」。
その勇敢なる騎兵の姿を
心の中に思い浮かべ、
じっくりと噛みしめることこそ、
本作品の第三の
味わいどころとなるのです。
そして短い「四」が訪れます。
訪れた軍曹は、彼を問いただします。
「命令だ、報告するんだ。
その馬には誰か乗っていたのか」。
彼はどう答えたのか?
その驚くべき答えと、
「一」から「三」までに描かれていることの
すべてがそこに帰結している
ビアスの構成の見事さを、
最後にじっくり
味わっていただきたいと思います。
アメリカ南北戦争の歴史を調べながら、
ぜひご賞味ください。
(2024.9.19)
〔「いのちの半ばに」〕
空飛ぶ騎手
アウル・クリーク橋の一事件
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哲人パーカー・アダスン
人間と蛇
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