「その先」を雄弁に物語る和田の筆
「靴をぬがせるとき」(和田芳恵)
(「接木の台」)集英社文庫
倉吉は、
郁子の足もとにまわって、
靴をぬがせるつもりだった。
片っぽうの靴を脱がしたとき、
「それだけはやめて」と、
郁子がつぶやいた。
倉吉の背筋を
残忍な戦慄がはしった。
倉吉は持ち上げた足から
靴をとると、けものくさい…。
終末の一節です。
この部分だけ抜き出すと、
なにか官能小説のような嫌らしい
雰囲気を醸し出しているのですが、
純文学作品です。
もちろん描かれているのは
エロスなのでしょうが、
それを文学的となるよう
筋書きを組み立てているのです。
和田芳恵の短篇
「靴をぬがせるとき」です。
味わいどころはずばり、読み手の
想像を最大限に引き出す技法です。
〔主要登場人物〕
並木倉吉
…大学の講師だが、兼業の
翻訳事業の方に重点を置いている。
並木久美子
…倉吉の妻。
性に関して意欲的ではない。
川奈郁子
…倉吉の授業を受けている生徒。
倉吉の翻訳事務所のアルバイトを
引き受ける。
本作品の味わいどころ①
緩やかで確かな三角関係
筋書きの中心は、
もちろんこの名前を与えられた
三人の人物の三角関係です。
しかし、それは
明確に記されてはいません。
郁子が倉吉に想いを寄せていることも、
倉吉が郁子に惹かれていることも、
作品中には実は
何も書かれていないのです。
というよりも、
明確に進行していなかった三角関係に、
三人が一堂に会した機会の、
何気ない所作によって、
三人がそれぞれに
意識し始めたということなのです。
開設した事務所に
久美子が顔を出した場面です。
「郁子は客用の茶碗を
久美子の前に置き、
並木に大ぶりの茶碗を出してから、
対の模様のついた小さな方の茶碗を
自分のところに置いた」。
その後に続く一文「茶碗だけ見れば、
倉吉と年のかけはなれた
妻郁子のところへ、
久美子があらわれた感じ」の
通りなのです。
それ以前には倉吉と郁子には
男女の関係はおろか、そうしたことを
一方が意識したようなことすら
記されてはいません。
この瞬間に、すでに精神的に
三角関係となっていることに、
三人が三人とも気づいたのです。
この緩やかで、
しかし確実な三角関係の、
見事な描写こそ、本作品の
第一の味わいどころといえるでしょう。
本作品の味わいどころ②
妻との性的関係の希薄さ
その背景にあるのは何か。
単に郁子が
魅力的だったからではありません
(そもそも倉吉は
郁子の魅力を意識していない)。
妻との関係が希薄であったためと
考えられます。
そしてそのことが
わかるようになっているのです。
茶碗の一件で、
久美子が事務所を引き上げたあと、
倉吉は過去を回想します。
婚約時代、
倉吉が久美子の唇を求めたとき、
「まだいけませんわ」と拒まれた場面を
思い出すのです。
そして「夫婦生活を続けるうちに、
久美子のからだは
鋲がゆるんだ機械のように、
ゆるみっぱなしになって、
拒むでもなし、迎えいれるでもない
状態になった」。
妻への不満などは
一切記されていませんが、
この一節だけで十分です。
倉吉自身が気づいていない
妻に対する物足りなさが、
読み手にしっかり伝わるように
書かれているのです。
妻との関係の希薄さを間接的に、
しかし明確に伝える的確な表現こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなっているのです。
本作品の味わいどころ③
倉吉と郁子の関係の行方
それがあることにより、
倉吉と郁子の関係の行方も
見えてくるようになっているのです。
若き日に唇を拒んだ妻に
妥協した倉吉ですが、だからこそ
郁子の「それだけはやめて」に対して、
「残忍な戦慄」が
背中にはしったのでしょう。
最後の一文
「倉吉は、けものになっていた」で
物語は閉じられ、
その先は描かれていません。
しかし和田の筆は、
「その先」を雄弁に物語って
止むところがありません。
三人の感情や行動を、
直接的に描かずに、しかし
すべてを読み手に伝えきっています。
これが和田芳恵の文学の
真骨頂なのでしょう。
すでに著作の多くは絶版となり、
その名を知る人も
少なくなってしまった和田芳恵。
その短篇集は、傑作ぞろいです。
ぜひご一読を。
(2024.9.26)
〔和田芳恵の本はいかがですか〕
「すでに著作の多くは絶版」と
なっていると思ったのですが、
P+D BOOKS から三冊、
復刊しています。
また、講談社文芸文庫から
電子書籍で三冊復刊しています。
〔「接木の台」〕
厄落し
女の匂う家
靴を脱がせるとき
傷だらけの顔
記憶の底
どっちがどっち
接木の台
生き延びて
好みの弁当
抱寝
囃し詞
幼なじみ
猫もいる風景
老木の花
母の寝言
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