「夜の一時の幻」(ノディエ)

味わいどころは、三人の登場人物の危険な魂

「夜の一時の幻」
(ノディエ/篠田知和基訳)
(「ノディエ幻想短篇集」)岩波文庫

私の心には悲しみが満ちていた。
私は孤独と夜とを求めた。
散策はシャイヨの公園以上には
行かなかった。
それも、ふつう、夜の十一時が
鳴ってからでなければ
出なかった。
ひどく悲しい物思いに
とりつかれていたし、
想像は不吉な…。

「幻想短篇集」という表題通りの、
ノディエによる摩訶不思議な雰囲気の
短篇ばかりです。
その第一作となっているのが
本作品「夜の一時の幻」です。
文庫本にしてわずか10頁ばかりの
小品ですが、
妖しくも美しい彩りに満ちています。
味わいどころはずばり、
三人の登場人物の危険な魂です。

〔登場人物〕
「私」

…語り手。
 何らかの精神疾患の疑いあり。
「彼」
…真夜中の散歩の途中、
 「私」と知り合う。
 恋人を失う悲劇に見舞われた青年。
 (自らの語りの部分では「おれ」)
オクタヴィ
…「彼」の婚約者だった少女。
 病で亡くなる。

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本作品の味わいどころ①
かなり危険な状態の「彼」

本作品は
入れ子構造的なつくりになっており、
物語全体を「私」が語っていくのですが、
中盤は長々と「彼」の台詞が入り、
それが「おれ」の体験した悲劇と幻想を
綴っているのです。

「悲劇」は、
恋人オクタヴィの喪失です。
婚約者だったのですが、
より身分も財産もある男が現れ、
彼女の両親は
そちらに乗り換えてしまうのです。
その彼女は、結婚式前夜、
病によって瞬く間に
命を奪われてしまうのです。
「おれ」は婚約者としての彼女を失い、
さらに彼女の命をも
失ってしまうのです。

「幻想」は、そのオクタヴィが
死の前日に「おれ」の前に姿を見せ、
愛を語ったこと、
そして死から一年後、再び「おれ」の
意識の中に現れたことなのです。
たとえ一時的であれ、
甘美な幻想に包まれた
「おれ」の描写こそ、本作品の
第一の味わいどころといえるのです。

本作品の味わいどころ②
虚像としてのオクタヴィ

「おれ」の前に
二度現れたそのオクタヴィは、
少なくとも
生身のものではないはずです。
一度目は病で亡くなる前日です。
彼女は病床にあったはずなのです。
「おれ」の前に現れたのは、
オクタヴィの切実な想いが
肉体を抜け出した「生き霊」なのか、
それとも単なる
「おれ」の妄想が生み出した幻なのか?
二度目は「おれ」が気を失っている間の
出来事です。
それは「おれ」に想いを伝えるために
冥府からやって来た霊魂なのか、
それとも「おれ」が見た
甘い夢に過ぎないのか?
虚像としてのオクタヴィこそ、
本作品の第二の味わいどころと
捉えるべきです。

本作品の味わいどころ③
危ない兆候の語り手「私」

偶然出会った「彼」(=「おれ」)の話を
書き留めた語り手「私」ですが、
その「私」自体がそもそも危険な
精神状態であることが問題なのです。
冒頭には本作品の書き出しを
粗筋がわりに抜き出しましたが、
「悲しみが満ちていた」、
「孤独と夜とを求めた」、
「ひどく悲しい物思い」、
「想像は不吉な夢想ばかり」と、
不健康極まりないのです。
だとすると、
「彼」が実在するかどうかも怪しく、
入れ子になっている「彼」の話も
「私」の病んだ精神が生み出した
幻とも考えられるのです。

終末、精神病院へと
「彼」を訪ね歩いた「私」ですが、
そこで見た「オクタヴィの痕跡」もまた、
霊魂の為したものか、
「私」の幻視なのか、はっきりしません。
語り手「私」の危険な兆候もまた、
本作品の大切な味わいどころの
一つとして機能しているのです。

どこまでが現実で、
どこからが幻想なのか、
それ自体がはっきりしないことにより、
読み手も異次元空間を
さ迷っているような不思議な感覚に
襲われます。
フランス幻想文学の祖とあおがれる
ノディエの初期の短篇。
秋の夜にお楽しみください。

(2024.10.3)

〔「ノディエ幻想短篇集」〕
夜の一時の幻
スマラ(夜の霊)
トリルビー
青靴下のジャン=フランソワ
死人の谷
ベアトリックス尼伝説
 あとがき

〔ノディエの本はいかがですか〕

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