
「オリジナル版」。何が異なるか
「死仮面(オリジナル版)」(横溝正史)
春陽文庫
「デスマスクって、
本当に死んでからでないと
とれないものでしょうか」。
金田一のもとを訪れた依頼者は
そう語った後、
一つのデスマスクを取り出した。
それは数日前、
金田一が磯川警部から
見せられたものと
同じ人物のものだった…。
「死仮面(オリジナル版)」
横溝正史の「死仮面」については、
これまで二回取り上げています。
一つは角川文庫から出版されたもので、
実は不完全なバージョンです。
雑誌連載された八回分の原稿のうち、
途中一回分が未発見であり、それを
中島河太郎が補筆して取り繕った、
いわば「中島河太郎補筆版」とでも
いうべきものです。
もう一つは、
その一回分が発見された後、
旧春陽文庫から出版された
「完全版」です。
そして今日取り上げるのは
「オリジナル版」。
何が異なるのでしょうか。
「完全版」と同じ春陽文庫
(一度終了したのですが、
2022年に新装再開)ですので、
「完全版」と「オリジナル版」は
ほぼ同じものです。ただし、
より横溝の言葉に近づけてあるための
「オリジナル版」なのです。
冒頭の一節からして異なります。
「……その女の生命は
目にありました。
いくらか青みをおびた瞳は
深淵のように澄んで、
まじまじと物を見詰めるとき…」
(完全版)
「……その女のいのちは
眼にありました。
いくらか碧味をおびた瞳は
深淵のように澄んで、
まじまじと物を視詰めるとき…」
(オリジナル版)
ちなみに角川文庫版は
以下のとおりです。
「……その女のいのちは
眼にありました。
いくらか碧味をおびた瞳は
深淵のようにすんで、
まじまじと物を見つめるとき…」
こうして角川文庫、旧春陽文庫、
新春陽文庫の三冊を比べると、
旧春陽文庫のテキストがもっとも
改変されていることがわかります。
この経緯は巻末の「覚え書き」によると、
「春陽版は「跛」「気狂い」といった、
現代では不適切とされる言葉を
削除・改変してしまっており、
そのまま復刊するには
問題があった」とのことです。
どの出版社もそうですが、前世紀末、
差別語を書き換える、いわゆる
「言葉狩り」の時代がありました。
旧春陽文庫の「完全版」は、
まさにそうした時代に
出版されたものでした。
内容の上では「完全版」であっても、
そのテキスト自体は
「不完全」だったのです。
なお、そうした改変行為は、
かえって差別の存在の隠蔽に
結びつくことが指摘され、
近年になってようやく
(故人の著作について)原文を尊重する
方向性がとられるようになりました。
ちなみに角川文庫版についても、
第一刷から第十四刷までのテキストと、
第十五刷以降+令和復刊版では、
テキストが異なります。
後者がやはり「言葉狩り」の
被害を受けたままなのです。
実はわが家、
「死仮面」を五冊所有しています。
私は「カドカワノベルズ版」
「旧角川文庫版」「旧春陽文庫版」、
娘は「新角川文庫版」「新春陽文庫版」、
計4種類のテキストとなります
(「カドカワノベルズ版」と
「旧角川文庫版」は同一)。
いずれにしても、その中でもっとも
横溝の筆に近いものが今回の
「オリジナル版」ということになります。
〔本書の構成〕
死仮面(オリジナル版)
黄金の花びら
横溝正史における改稿の意欲
―「死仮面」の場合 山口直孝
「死仮面」草稿
二松学舎大学所蔵横溝正史旧蔵資料
「死仮面(オリジナル版)」覚え書き
日下三蔵
「旧春陽文庫版」での併録作品は、
同じ金田一シリーズの「鴉」でした。
今回は角川文庫との重複を
避けようとした結果でしょう、
角川文庫未収録のジュヴナイルの短篇
(金田一耕助登場!)の
「黄金の花びら」を収めてあります。
午前二時の深夜、
竜男と由紀子は
勇気を出して物音のする
書斎の様子をうかがう。
部屋の中では、
巷で騒がれている百蠟怪盗が
窓から逃げようとしていた。
威嚇のために
竜男は猟銃を放つが、
怪盗は背中を打ち抜かれて
死んでいた…。
「黄金の花びら」

こちらはすでに
出版芸術社の「聖女の首」、
そして柏書房刊
「横溝正史少年小説コレクション②
迷宮の扉」に収録済みですので、
珍しくはないものの、
文庫化はありがたいかぎりです。
さて、本書の特徴は、
そうした「死仮面」のテキストの
適切さだけでなく、
関連資料の多さが挙げられます。
軽井沢資料は、
二〇二一年十二月に
正史次女の野本留美氏から
二松学舎大学に
ご寄贈いただいた。
内容は、草稿、ノート、メモ、
書、筆記用具などである。
中でも草稿は、
一二〇〇枚以上となる
膨大な量のものであった。
草稿のうち…。
「横溝正史における改稿の意欲」
この山口直孝氏の解説は、
続く「「死仮面」草稿」とともに、
横溝正史が自らの命の消えゆく直前まで
自作の改稿に励んでいた様子を
十全に伝えています。
その「「死仮面」草稿」ですが、
これが貴重です。
25頁にわたって横溝の直筆改訂原稿が
写真掲載されてあるのです。
横溝がどのように
自作に手を加えようとしているのかが
わかります。
なお、この生原稿では、
先ほどの冒頭部分は
以下のようになっています。
「……その女のいのちは
眼にありました。
いくらか碧味をおびた瞳は
深淵のようにすんで、
まじまじと物を見詰るとき…」(草稿)
日下三蔵による
「「死仮面(オリジナル版)」覚え書き」も
素敵です。
春陽版はオリジナル版だった。
そのことはカバーそでの
内容紹介にあっさりと
ふれられているだけで、
帯のキャッチコピーや
巻末解説でも、取り立てて
強調されていなかったため、
横溝ファンでも
気づかなかった人が
多かったようだ…。
「「死仮面」覚え書き」
そうだったのか!
自分が気づかずに過ごしてしまったのは
出版社のPRが下手だったからなのか!
続く「その後、インターネットで
オリジナル版であるとの情報が流布し、
古書価格が高騰、
当時の定価の十倍から二十倍以上の
値付けをしている」も納得です
(私も二十倍近い値段で購入した一人)。
娘が購入した本書ですが、娘以上に
父親の私が読みふけっています。
何から何まで素晴らしい一冊
(惜しむらくは表紙デザインが
悪すぎ)です。
ぜひご賞味ください。
〔追記〕
もし、春陽文庫から、
金田一シリーズすべてを本書のように、
初出誌に照らし合わせた上での
テキスト復元を行って
新刊行するのであれば、
角川文庫版をすべて持っている私も、
ぜひ購入したいと思っています。
その際、原形作品も併録(たとえば
「夜の黒豹」と「青蜥蜴」を
一つの文庫本に)してくれれば、
涙が止まらないほど嬉しいです。
(2024.10.11)
〔娘のつくった動画もよろしく〕
こちらもどうぞ!
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(2024.10.17)
〔横溝ミステリー〕



〔春陽文庫の横溝正史〕





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