「百年文庫053 街」

さまざまなドラマが創り出される「街」

「百年文庫053 街」ポプラ社

「感傷の靴 谷譲次」
ああ、ヘンリイも日本人、
俺も日本人
――遠く故国を離れて
二十有余年、ふわふわと
その日を送っているように
見えても、
俺たちは矢張り日本人なのだ、
日本男子だ。サムライと
私は口の中で言ってみた。
嬉し涙がほろほろ溢れた…。

「感傷の靴」

百年文庫第53巻読了です。
テーマは「街」。
しかし当然のこととして街そのものが
描かれているわけではなく、
そこに生きる「人」が主人公です。
百年文庫100冊の中では
やや漠然としたテーマ設定なのですが、
収録された三篇は
味わい深いものばかりです。

〔「百年文庫053 街」〕
感傷の靴 谷譲次
チコのはなし 子母澤寛
一夜の宿・恋の傍杖 富士正晴

第一篇、「感傷の靴」の筋書きは、
友人ヘンリイが「私」のその高価な靴を
借りにきたことから始まります。
有無を言わさず借りようとする
厚かましい態度は何ともいえません。
しかし、彼が「私」の高価な靴を
必要とした理由は…。

大戦終了の記念日のパレードに、
威風堂々とした姿で現れたヘンリイに、
靴を貸した「私」は感極まるのです。
そして自らが「日本人」であることを
再発見するのです。

渡米体験記としての娯楽的要素が
前面に押し出されているのですが、
その背後には「日本人とは何か」という
鋭い視点が隠されています。

「チコのはなし 子母沢寛」
おときさんは
びしょびしょにぬれた
死にかかったような
痩せた子イヌを一匹入れて
戻ってきた。
イヌは、その夜から
おときさんと一緒に
くらす事になった。
このイヌは
だんだん大きくなって、
おときさんはこれを
「チコちゃん」と呼ぶ…。

「チコのはなし」

「チコちゃん」といっても、
大人を叱る
五歳児のことではありません。
おときさんが拾ってきた
子イヌなのです。
第二篇、「チコのはなし」には、
大げさな筋書きが
あるわけではありません。
どこででも営まれているような生活が
綴られているだけです。
それでいて、読み手の心が温まる、
素敵な作品となっているのです。

本作品には
私小説のような味わいが感じられます。
しかし、本作品は「愛猿記」
(動物にまつわる子母沢寛の随筆集)にも
収録されていて、そちらを読むかぎり、
エッセイに間違いありません。
本作品がエッセイだとすれば、
おときさんもチコも
実在した人(とイヌ)であり、
温かい目線の主人「私」は作者・子母沢寛
その人ということになります。

「一夜の宿・恋の傍杖
        富士正晴」
大柄な女性作家・ハアちゃんに
一夜の番を頼まれた
小柄な男性編集者「わたし」は、
強引に家に連れていかれる。
身体のサイズも合わなければ
性格も合わない彼は、
どうやって一晩を乗り越えるか
苦悩する。
しかし彼女の家にはなんと…。

「一夜の宿・恋の傍杖」

第三篇、「一夜の宿・恋の傍杖」の
筋書きをかいつまんでいうと、
三人で同居していたのが、
巳之介とその母が家出し、
一人になったハアちゃんが不安を覚え、
「わたし」に一晩泊まることを
求めるというものです。
もちろん「寝ずの番」を頼む形で、
「わたし」を誘い込んでいるのは
明白です。
時代を先取りした
肉食系大型女子ハアちゃんの魅力と、
時代を先駆けた草食系小型男子
「わたし」の人の良さを、
たっぷりと味わいましょう。

「街」には田舎と異なり、
さまざまな人間がいて、その分、
さまざまなドラマが
創り出されるということなのでしょう。
三篇に描かれている人間ドラマを、
ぜひご賞味ください。

(2024.10.29)

〔谷譲次の本はいかがですか〕
作者・谷譲次(本名:長谷川海太郎)は、
現在ではほとんどその名を
忘れ去られようとしているのですが、
昭和初期の大流行作家です。
亡くなった1935年の所得は、
当時の文壇で最高額だったという
記録が残っているほどです。
現在は次の一冊しか
紙媒体では流通していません。

電子書籍では、
次のようなものが出版されています。
「テキサス無宿」
「もだん・でかめろん」

一連の渡米体験記ものは
「谷譲次」名義で書かれたのですが、
それだけではありません。
林不忘名義で
時代小説「丹下座禅」シリーズを、
牧逸馬名義で探偵小説を
次々と発表するなど、
多くの作品を世に出しています。

〔子母沢寛の本はいかがですか〕

〔富士正晴の本はいかがですか〕
著書の多くが絶版中ですが、
2023年に中公文庫から再刊行された
「新編 不参加ぐらし」が現在流通中です。

そのほかに、電子書籍で
以下のようなものが出版されています。

〔百年文庫はいかがですか〕

「百年文庫043 家」
「百年文庫045 地」
「百年文庫054 巡」
Toshiharu WatanabeによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

「天狗洞食客記」
「飛ぶ男・さまざまな父」
「だれがコマドリを殺したのか?」

【こんな本はいかがですか】

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