「私」と与一の夫婦、六年間を経て何が変わったのか
「小区」(林芙美子)
(「清貧の書・屋根裏の椅子」)
講談社文芸文庫
朝からの長い夫婦喧嘩の後、
仲直りを匂わせる
夫・与一に対し、
「私」の気持ちは収まらない。
一日中、
二階にとじこもっていた「私」が、
いらいらしたまま
夜の町を散策すると、与一は
飼犬コロにエサを与えるため
飯屋に立ち寄っていた…。
すでに何度か取り上げた
林芙美子の貧乏小説の一つです。
作中の一節「六年目の夫婦の会う
荒れの日とでもいうのであろう」が
示すとおり、本作品は、
林と夫・緑敏の新婚当初を描いた
「清貧の書」からの六年後の、
夫婦冷戦状態の
二日間を描いたものです。
大きな展開の変化などはありません。
淡々と夫婦喧嘩の一日半を
綴っただけなのですが、やはりその中に
林作品らしい味わいがあるのです。
〔主要登場人物〕
「私」(ちよ)
…語り手。作家。結婚生活六年目。
その途中一年間、外国旅行していた。
与一
…「私」の夫。画家。
秋の展覧会に落選した。
コロ
…「私」と与一の飼い犬。
松村氏
…近所の八百屋行商人。
松村氏の神さん
…松村氏の妻。
夫と喧嘩し、実家に帰る。
竹中氏
…向かいに住む一家の主人。
「老夫婦」
…竹中氏の二回を間借りしている
老夫婦。間代を払えず引っ越しする。
「古物屋の娘」
…古物屋の店員。
本作品の味わいどころ①
六年間の間に何が起きていたか
「私」と与一の夫婦には、
六年間の間に何が起きていたか。
一つは「清貧の書」の終末で描かれていた
与一の兵営での生活です。
「別離の日という写真は、たぶん、
与一が予備で山の連隊へ
立つ日であったろう」。
喧嘩して二階に閉じこもっている間、
「私」は古い写真帳を
めくってみたのです。
もう一つは林の別の作品
「屋根裏の椅子」に表された、
「私」の一年間のパリ生活です。
「一年ぶりに、外国の旅から帰って来て、
与一への私の土産話は
「死んでしまう」という
言葉であった」。
六年間の間、二人には大きな変化、
それも一方が長期にわたって
不在となる期間があったのです。
しみじみとそれを振りかえる
「私」の心情こそ、本作品の
第一の味わいどころといえるのです。
本作品の味わいどころ②
六年間を経て何が変わったのか
それではその六年間を経て、
何が変わったのか。
それは夫婦、特に
「私」の夫・与一を見る目でしょうか。
「清貧の書」では、三人目の夫である
与一を、救済者としてとらえています。
以前の夫からは
暴力をふるわれていたため、
穏やかな与一は「私」にとって
救いをもたらす存在でした。
それが本作品では、
二人は対等な立場へと変容しています。
だから夫婦喧嘩も起こるのです。
与一が「私」に投げかけた一言。
「どうも、板につくという事は
恐ろしいぜ、
おい、そう思わないかね」。
二人の夫婦生活は、
しっかりと板についていたのです。
喧嘩することはあっても、
それによって再びしっかりと
地が固まるその関係性こそ、
本作品の第二の
味わいどころと捉えるべきでしょう。
本作品の味わいどころ③
地域(小区)に馴染んできた二人
六年間を経て
変わったことのもう一つは、
二人を取り巻く周囲の状況です。
「清貧の書」では、ほとんど二人しか
描かれていないのに対して、
本作品では、小区(まち)のようすが
詳細に描かれています。
自宅周辺の竹中氏宅、古道具屋、
下駄の歯入れ、按摩、
駄菓子屋が本職の紙芝居、
風呂屋と下宿、瀬戸物屋、
そして犬のコロに飯を食べさせた
飯屋兼花屋。
板についたのは夫婦生活のみならず、
地域住民としても十分に、
「板についてきた」二人だったのです。
作品に漂う
そのほのぼのとした雰囲気こそ、
本作品の最大の
味わいどころといえるのです。
夫の提案していた引っ越しの件を、
「私」が了承し、夫婦喧嘩の
嵐の二日間は終わりを告げます。
地味ながらも、林の作風が着実に
変化・進化・発展している本作品、
「清貧の書」に続けて読むと
味わいが一層深まります。
ぜひご賞味ください。
※厳密に言えば本作品は
「清貧の書」の続編ではありません。
夫・与一が画家であることや
兵役についていたことなどは
共通です。
しかし、注意して読むと、
本文中に登場する
「私」の名前が違っています。
「清貧の書」では「加奈代」、
本作品では「ちよ」となっています。
(2024.11.5)
〔「清貧の書・屋根裏の椅子」〕
風琴と魚の町
耳輪のついた馬
清貧の書
屋根裏の椅子
小区
塵溜
牡蠣
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