その文学的楽しみこそ、本作品の最大の味わいどころ
「仲之町の大入道」(木内昇)
(「茗荷谷の猫」)文春文庫
仕事を得て東京にやってきた
青年・松原は、下宿の大家から
「東京に詳しくなる仕事」を
紹介される。
「日曜日なら」と
安請け合いしてしまった彼だが、
それは借金取りの仕事だった。
しかも、任された先は
「大入道」と呼ばれる
難敵だった…。
木内昇の連作短編集「茗荷谷の猫」の
第四作です。
収録されている九篇とも、
大きな展開の変化がある
作品ではありません。
淡々とした中に、
何ともいえない滋味が
心に染み入ってくるような作品群です。
一気に読まず、少しずつ時間をかけ、
一篇を何度も再読し、
味わっているところです。
〔主要登場人物〕
松原均
…田舎町から上京してきた青年。
旋盤工として働く。下宿の大家から
借金取りの仕事を頼まれる。
「大入道」
…松原が大家から依頼された
取り立て先。作家らしい。
それなりに金は入っているようだが、
借金を返す気はない。
「うらなり顔」「芸人風」「狸のような男」
…「大入道」のもとに集まる編集者たち。
「芸人風」について
「大入道」は「野太鼓」と呼んでいる。
寒月
…「大入道」の教え子。
「大入道」からの言いつけで、
彼の著書「冥土」を松原に届ける。
本作品の味わいどころ①
世間ずれしていない松原の真っ直ぐさ
舞台は昭和初期の東京。
田舎町から出て来たばかりの
青年・松原は
まったく世間ずれしていない、
どこまでも真っ直ぐな人間です。
しかもよくある
「気の弱い男」でもありません。
だからこそ投げ出しても
かまわないような借金取り立てを、
粘り強く続けるとともに、
止めると決めたら
きちんと止めることができたのです。
主人公・松原の、その真っ直ぐさこそ、
本作品の第一の
味わいどころとなっているのです。
「大入道」自身が、一介の借金取り、
ただの若造に過ぎない松原に、
何かを感じていたことは
間違いありません。
終盤で松原に送った著作に
「自ラノ目ト心ガ全テ」の
伝言を挟んだのも、その現れです。
松原と「大入道」のやりとりが
何ともいえません。
本作品の味わいどころ②
漱石作品から抜け出してきた脇役たち
「大入道」はどうやら作家であり、
それも遅筆家らしく、
自宅書斎に編集者が入れ替わり
立ち替わり訪れている有様です。
その編集者には
名前が与えられておらず、
松原の見た印象が
述べられているだけです。
「うらなり顔」「芸人風」「狸のような男」…
どこかで聴いたような…。
そうです。
夏目漱石の「坊っちゃん」の登場人物
(うらなり・野だいこ・狸)なのでした。
さらには松原に
「大入道」の著作を届けた人物は「寒月」。
こちらは「吾輩は猫である」の
「寒月」でしょう。
わざわざ「私、理学士ですから」という
一言を言わせるあたりも
洒落が効いています。
この、漱石作品から抜け出してきた
脇役たちの創り上げる
世界の面白さこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなっているのです。
本作品の味わいどころ③
作家「大入道」は漱石門下のどの作家?
では、「大入道」は誰を模した人物か?
作中には手掛かりが
いくつもちりばめられています。
借金取りに追われている、
編集者にも追われる遅筆家、
漱石門下、
師の全集編纂を手がけた、
師の代表作の続編的作品
「贋作吾輩は猫である」を書き上げた、
となると見えてくるのですが、
「寒月」氏が持参した著作が「冥土」。
もうあの人しかいません。
実にうまく
「大入道」を描き上げています。
青年松原が、確かに実在する
大作家と巡り会ったかのような
構成となっているのです。
その文学的楽しみこそ、
本作品の最大の
味わいどころといえるのです。
前述したように、筋書きに大きな展開が
あるわけではありません。
松原が「大入道」の下へ
借金取り立てに行った、その
顛末が書かれてあるだけなのですが、
結末として加えられている、
「冥土」受け取り後の松原の衝撃こそが、
もしかしたら本作品の本当の
味わいどころなのかもしれません。
確かに当時の青年が
まったく予備知識なしに
「冥土」を読んだとすると、
このような状況に
陥るのかもしれません。
連作短編集「茗荷谷の猫」の
一篇である本作品、
「大入道」のモデルとなった
あの作家の「冥土」とともに
じっくり味わっていただきたいと
思います。
(2024.11.7)
〔「茗荷谷の猫」文春文庫〕
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