記者に覗かせ、読み手に覗かせる
「蘿洞先生」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅡ」)中公文庫
A雑誌の訪問記者は、
蘿洞先生に面会するのは
今日が始めてなのである。
それで内々好奇心を抱いて、
さっきから一時間以上も
待っているのだが、
なかなか先生は姿を見せない。
取次に出た書生の口上では
「まだお眼覚めになりません…。
谷崎潤一郎の短篇作品です。
粗筋代わりに冒頭の一節を
抜き書きしました。
筋書きなどないも同然です。
蘿洞先生とA雑誌記者の
こんにゃく問答的やりとりが
延々と続くだけです。
登場人物も、その二人に加え、
その後に姿を見せる「小女」だけ、
たった三人だけなのです。
それでいながら読み手に
しっかりと読ませてしまう、
かつ味わわせてしまうのは、
谷崎マジックとしか
言いようがありません。
〔登場人物〕
蘿洞先生
…哲学者。気難しい性格。
何やら怪しげな趣味を持つらしい。
A雑誌記者
…蘿洞先生にインタビューしたが、
こんにゃく問答で終わる。
蘿洞先生の趣味を垣間見る。
「小女」
…蘿洞先生宅の女中の一人。
「お忙しいところを御迷惑では」
「いや、忙しいことはないんだが」
「お眼覚めになりますのは大概何時頃」
「朝は遅い」
「では何時頃?十一時?十二時頃?」
「うん」
「夜分おそく迄お眼覚めで」
「夜は遅い。」
「はあ、何時頃?」
「三時頃。」
「お出かけになる日はお早いのでは」
「う、なあに、そんなでもない。」
と、長々と続く
A雑誌記者とのこんにゃく問答など、
単なる準備体操にしか過ぎません。
「蘿洞先生」で味わうべき点は、
最終場面にあることは
間違いないのです。
本作品の味わいどころ①
蘿洞先生は小女と何をしていた?
「小女はと云うと、
先生の背中へ腰をかけて、
両足をぶらんぶらん
デスクの下へ垂れながら、
先生の頭をコツンコツン叩いたり、
頬ッぺたを摘まんだり、口の中へ
指を突っ込んだりしている」。
主人の背中に腰掛けるなど、
女中のする行為ではありません。
しかし次の場面で謎が解けます。
「小女は、なお先生の胴体の上に
腰かけたまま、
小さな一本の籐の笞を取り上げ、
片手で先生の髪の毛を掴み、
片手で先生の太った臀を
ぴしぴしと打った」。
最後の最後で
マゾヒズムが姿を現すのです。
本作品の味わいどころ②
先生は小女と夜、何をしている?
問題は、
その二つの行為に付されている、
蘿洞先生と小女の様子です。
前者について、
小女の表情は「陰鬱」
「義務的の仕事を課せられているよう」、
蘿洞先生のそれは
「いかにも詰まらなそう」。
そして後者になってはじめて
蘿洞先生は
「少しばかり生き生きとした
眼つきをして「ウー」と呻った」。
昼間、小女に笞でぴしぴし打たれて
「少しばかり生き生き」と
なったのであれば、夜間はどうなのか?
ついつい想像してしまいます。
この小女、A雑誌記者の観察では
「どう見てもまだ十五六」。
蘿洞先生と夜をともにしているのか?
それについては、
昼の十二時過ぎにようやく起きてきた
蘿洞先生の取材を終えたA雑誌記者が、
寝間着姿のまま午後、
顔を洗っている小女の姿を
目撃しています(蘿洞先生と小女の
やりとりはこのあとに行われた)。
ということはやはり…。
またしても想像してしまいます。
本作品の味わいどころ③
記者に覗かせ、読み手に覗かせる
つまり谷崎は、
作中で蘿洞先生の「いけない趣味」を
A雑誌記者に「覗かせ」、
さらには読み手にも
それを「覗かせ」ているのです。
谷崎作品において、
変態的趣味を持った主人公の多くが、
谷崎自身の分身的存在です。
この蘿洞先生もまた、
谷崎の趣味や性格を反映した
(すべてではないにせよ)
キャラクターなのでしょう。
だとすれば、谷崎は
自身の恥ずかしい性癖を
読み手に覗き見させていると
考えることもできるのです。
再読してみると、頁の多くを
占めているこんにゃく問答も、
蘿洞先生のそうした生活を
裏付ける結果となるような応答が
並んでいるのです。
表面的にはたいしたことは
書かれていないように見えて、
読み手に覗き見させ、
読み手にしっかり想像させるしくみが、
本作品には内蔵されているのです。
「此の光景を
物の半時間も覗いていた記者は、
変な気がして、コソコソ
逃げるように裏庭を出た」。
最後の一文です。
読み手もまた、本作品を読み始めてから
三十分ほどかけてこの終末部に達し、
「変な気がしてコソコソ逃げるように」
頁を閉じることになるのです。
(2024.11.14)
〔青空文庫〕
「蘿洞先生」(谷崎潤一郎)
〔「潤一郎ラビリンスⅡ」〕
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