「百年文庫057 城」

「城」のような堅固さと難解さ、そして溢れる滋味

「百年文庫057 城」ポプラ社

百年文庫第57巻を読了しました。
本書のテーマは「城」。
とはいえ、建築物としての「城」を
主題とした作品群ではありません。
それぞれ「城」と関係はあるのですが、
単なる舞台背景に過ぎないのです。
むしろそれぞれが、「城」のように
堅固な作品構造を持つとともに、
読み手の安易な理解を拒むかのような
難解さを纏った作品群なのです。

〔「百年文庫057 城」〕
ポルトガルの女 ムシル
ユダヤの太守 A.フランス
ノヴェレ ゲーテ

「ポルトガルの女 ムシル」

「ポルトガルの女」ムシル

近居に居をかまえる貴族とは
姻戚関係をむすばないのが
ケッテン一門のしきたりだった。
彼らは遠方から、しかも
裕福な家から妻をめとった。
ケッテン家の当主は十二年前に
美しいポルトガルのむすめと
結婚した。
彼は三十歳だった…。

〔「ポルトガルの女」味わいどころ〕
①主人公は「ケッテンの主」か
 それとも「ポルトガルの女」か
②「狼」や「猫」などの動物は何の暗喩か
③結局、描かれているのは何か

初手からいきなり
要塞級の堅牢な作品の登場です。
短篇ながら、何度読み返しても
何を描いているのかよくわかりません。
その「わからない」ところが
そのまま味わいどころと
考えるべきなのでしょう。
「特性のない男」で世界的評価を得た
オーストリアの作家
ムシルの「ポルトガルの女」です。

まず主人公が夫婦のどちらなのか、
今ひとつ判然としません。
途中に現れる「狼」と「猫」。
それらはどちらも「主」の不興を買い、
殺害されたことが記されます。
これらはいったい何の暗喩なのか。
そして、
戦闘的な国家の盟主である夫から
十二年もの間放置された女の心情を
いろいろな暗喩で
描いたものであるという
見方をしたとき、
では彼女は
どんな思いを抱いていたのか。

いずれにしても表面に記されてあるのは
単なる記号に過ぎず、
その奥に深い哲学的主題が
横たわっているとともに、
豊穣な文学世界が広がっているのは
疑いようのないことです。
読み手は自身の感性を持って
その世界へ
踏み込んでいかなければならない、
なんとも厄介な作品です。
だからこそ読む楽しみがあるのです。

「ユダヤの太守 フランス」

「ユダヤの太守」A.フランス

…どんな罪を
犯したか知らないが、
十字架に掛けられた男だった。
ポンティウス、
あの男を覚えているかね」
ポンティウスは眉を顰めた。
そして記憶をたどる人のように
手を額にやった。
しばらく黙っていたあと、
つぶやくように…。

〔「ユダヤの太守」味わいどころ〕
①ラミアの人生は描かれず…
 では、主人公は誰?
②聞いたことがあるような…
 ピラトゥスとは誰?
③歴史上の大事件も当時は…
 ナザレの人とは誰?

第二作も手強い相手となります。
世界史の知識の乏しい私は、
最後の一頁を読むまで、
何が描かれているのか
さっぱりわかりませんでした。
アナトール・フランス
「ユダヤの太守」です。

ラミアとピラトゥスの会話
(それも愚痴と慰め)が
延々と続くのですが、その中にこそ
読み取るべき主題があるのです。
ピラトゥスの振り返る出来事について、
聖書と照らし合わせながら読み解くと
見えてくるものがあるのです。
一つは、統治者と被治者のすれ違い、
そしてそれ故の統治者の孤独、
なのかもしれません。
そしてもう一つは、
後世に残る歴史上の大事件であっても、
現在進行形の当事者からすれば、
小さな出来事であることが多い、
ということなのでしょうか。
いずれにしても味わい尽くすには
何度も読み込まなければならない
作品です。

「ノヴェレ ゲーテ」

「ノヴェレ」ゲーテ

火の手の広がる市場へと向かう
公爵夫人と従者ホノーリオの前に
現れた猛獣・虎。
混乱する市場の見世物小屋から
逃げ出してきたらしい。
ホノーリオが
銃で虎を仕留めるが、
そこに駆けつけた飼い主は、
ライオンも逃げたのだという…。

〔「ノヴェレ」味わいどころ〕
①「戯れ言」に見えて、実は「布石」
②「現実的対応」に見えて、これも「布石」
③そして深い感動を与える「子供」の奇跡

三作目にして
わかりやすい作品が現れます。
しかしそれは表面上のものに
過ぎません。
火災に乗じて、
見世物小屋の猛獣が逃げ出す。
よくあるシチュエーションです。
しかし本作品は
パニックを描いた小説ではありません。
虎は殺害され、ライオンは
飼い主に捕獲・保護されます。
そこから読み取るべきものが多々ある、
ドイツの文豪・ゲーテ
知られざる短篇作品です。

真に味わうべきは最終場面です。
何が起こるのか?
これだけはしっかり読んで
確かめていただきたいと思います。
単なる「奇跡」の物語ではなく、
現実として起こりうる
「必然的事象」として、
読み手の心に伝わってくる
しくみとなっているのです。
その計算され尽くした、
緻密な筋書きの妙を、
たっぷりと堪能しましょう。

いずれも一読しただけでは
十分に味わうことのできない
作品たちなのです。
ネットにおけるレビューには、
「つまらなかった」という意見が
いくつも見つかるのですが、
もったいない読み方をしていると
言わざるを得ません。
味わうことにより、豊かな滋味が
心の中に静かに広がってくるのです。
ぜひご賞味ください。

(2024.11.19)

〔ムシルの本について〕
ローベルト・ムシルは1880年生まれ、
1942年没のオーストリアの作家です。
寡作であり、
一時期忘れ去られたのですが、
現在その代表作「特性のない男」は、
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」、
プルーストの「失われた時を求めて」と
並び、20世紀前半の文学を代表する
作品とみなされるなど、
世界的に高い評価を受けています。
なお、「ムージル」と
表記されることの方が多いようです。
もともと寡作であることに加え、
日本では今ひとつ人気が高くないため、
現在流通しているのは、文庫本では
「寄宿生テルレスの混乱」のみです。

岩波文庫から
次の2冊が出版されていましたが、
現在は絶版中です。
「愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑」
「三人の女/黒つぐみ」

〔アナトール・フランスの本について〕
アナトール・フランス
ノーベル賞作家であるにもかかわらず、
わが国ではあまり評価は芳しくなく、
現在その著書は
流通していないようです。
かつて岩波文庫から
いくつか出ていましたが、
現在絶版中です。
古書をあたれば次のものが
入手できそうです。
「少年少女」
「昔がたり ピエル・ノジェール」
「神々は渇く」
「シルヴェストル・ボナールの罪」
「聖母と軽業師 他4篇」
「エピクロスの園」
「赤い百合 上」
「赤い百合 下」

〔ゲーテの本について〕
代表作「若きウェルテルの悩み」を
はじめ、いくつか流通しています。

〔百年文庫はいかがですか〕

CilvariumによるPixabayからの画像

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