そこには殺人もなく、詐欺もなく、
「独身の貴族」(ドイル/日暮雅通訳)
(「シャーロック・ホームズの冒険」)
光文社文庫
披露宴の席上から
姿を消した花嫁。
依頼人サイモン卿はやつれた顔で
ホームズに捜査を依頼する。
卿との会談を終えたホームズは、
事件はすでに解決していると
言い放つ。
直後に現れたレストレード警は
殺人の可能性を示唆するが…。
ドイルの
シャーロック・ホームズ・シリーズの
56短篇のうちの第10作
「独身の貴族」です。
ホームズが追うのは結婚披露宴の席上、
突然行方をくらました花嫁。
短篇第3作で「消えた花婿」事件を
手がけたホームズですが、
今回消えたのは花嫁の方なのです。
事件の真相はいかに?
〔主要登場人物〕
シャーロック・ホームズ
…探偵コンサルタント。
「わたし」(ジョン・H・ワトスン)
…語り手。医師(元軍医)。
彼の仕事に同行する。
レストレード警部
…スコットランド・ヤードの警部。
事件を捜査する。
セント・サイモン卿
…失踪した花嫁の捜索を
ホームズに依頼する。
名門貴族であるが、
財力に翳りが見られる。
ハティ・ドーラン
…サイモン京都の結婚披露宴の最中、
姿を消した花嫁。アメリカ人。
アリス
…ハティのメイド。ハティに忠実。
フローラ・ミラー
…サイモン卿とかつて交際のあった
女性。結婚式の朝、騒ぎを起こす。
フランシス・メイ・モールトン
…結婚式に参列していた
アメリカ人男性。
本作品の味わいどころ①
卿との会談から全てを見抜くホームズ
すべてを見通すホームズ、
本作でも健在です。
ワトスンの読み上げた新聞記事と
サイモン卿との会談内容から
すべてを把握してしまうのです。
典型的な
アームチェア・ディテクティブです。
しかもその手法は「過去の似ている
事例との比較考察」ですから、
経験のみで判断していると言われても
仕方ありません。
でも、それでいいのです。
ホームズですから。
切れ味鋭いホームズを、
読み手は欲しているのです。
130年前、英ストットランド・マガジンの
読者の求めるものを
しっかり理解して筋学を組み立てた、
ドイルの手際の良さを
味わうべきなのです。
本作品の味わいどころ②
重大な証拠の裏面を読み取るホームズ
引き立て役ストレード警部は、
花嫁死亡説で捜査を展開します。
ハイド・パークのサーペンタイン池に
浮かんでいた花嫁衣装から、
池の底をさらって
遺体探しを行ったのです。
その警部が持参したのが、
花嫁を誘き出したと思われるメモ書き。
そこには確かに容疑者である
フローラ・ミラーのイニシャルが。
ここでおもしろいのは、
ホームズが手掛かりとして捉えたのは、
その走り書きが書かれてあった
ホテルの勘定書。
一枚の紙の、走り書きを重大証拠と
判断したレストレードに対して、
裏面の勘定書そのものが
重要な手掛かりと見抜いたホームズ。
ここにも作者ドイルの
遊び心が現れています。
徹底的に考え抜かれた設定の妙こそ、
本作品の味わいどころと
なっているのです。
本作品の味わいどころ③
晩餐に招いて解決報告をするホームズ
終末部も素敵です。
どう報告しても依頼主が
不愉快になることを免れない
「事件解決報告」について、
晩餐会を催すという形で
披露するのです。
もちろん依頼主サイモン卿は
当然のごとく報告だけを聞き、
晩餐を辞退します。
加害者(適切な言い方が
思い浮かばないのですが)側が
ホームズの設えた晩餐で
気持ちよく一時を過ごすのに対して、
依頼主の方が不愉快な感情を抱えて
退席するのは、いささか
筋が通らない気がするのですが、
その点も
ドイルはうまく設定しています。
サイモン卿の隠そうとして隠せない
貴族の高慢さや、
今回の結婚が
花嫁の若さと美貌さだけでなく
莫大な持参金にこそあるという点、
そして女性関係も決して
整ったものではないことを
さりげなく織り込み、
卿が必ずしも不遇な被害者では
ないことを明らかにしています。
こうしたドイルの、
細部にわたって巧さの光る
作品づくりそのものこそ、
本作品の最大の味わいどころと
考えるべきなのです。
読み進めると、
謎めいた事件なのですが、
そこには殺人もなく、詐欺もなく、
恋愛物語だけが姿を現すのです。
さすがドイルと
唸らずにはいられません。
ぜひご賞味ください。
(2024.11.22)
〔「シャーロック・ホームズの冒険」〕
ボヘミアの醜聞
赤毛組合
花婿の正体
ボスコム谷の謎
オレンジの種五つ
唇のねじれた男
青いガーネット
まだらの紐
技師の親指
独身の貴族
緑柱石の宝冠
ぶな屋敷
注釈/解説
エッセイ「私のホームズ」小林章夫
〔関連記事:ホームズ・シリーズ〕
〔光文社文庫:ホームズ・シリーズ〕
「緋色の研究」
「四つの署名」
「シャーロック・ホームズの冒険」
「シャーロック・ホームズの回想」
「バスカヴィル家の犬」
「シャーロック・ホームズの生還」
「恐怖の谷」
「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」
「シャーロック・ホームズの事件簿」
ホームズ・シリーズは
いろいろな出版社から
新訳が登場しています。
私はこの光文社文庫版が一番好きです。
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