状況把握が困難、ならばそれを味わいましょう
「急行列車内の謎」
(クロフツ/橋本福夫訳)
(「世界推理短編傑作集2」)
創元推理文庫
列車に発生した異常ブレーキ。
原因を確認するために
コンパートメントを見回った
車掌は、
銃撃された二つの死体と、
その状況に驚いて
泣き叫んでいる女性を発見する。
だがその一室は、
扉に楔が仕掛けられ、
密室状態となっていた…。
「世界推理短編傑作集2」の最終作は、
世界ミステリ史上の一大傑作「樽」の
作者・クロフツの短篇作品です。
同書に収録されているポーストの
「ズームドルフ事件」同様、
難しい作品となっています。
何が難しいか?
列車内の構造の理解が難しく、
事件の状況把握が
困難となっているからです。
ならばそれを味わいましょう。
〔主要登場人物〕
※事件の起きた列車(一等車)は6室、
進行方向から第6室→第1室、
事件発生は第2室
ジョーンズ車掌
…殺人が起きた列車の車掌。
ウィルコックス、ジェフリーズ
…列車のボーイ。
「四人の男」
…第1室の乗客4人。
ホレイショ・ルエリン
…殺害された男性。第2室の乗客。
グラディス・ルエリン
…殺害された女性。ホレイショの妻。
第2室の乗客。
ミス・ブレアブース
…殺害された夫婦と列車内で
同室(第2室)だった女性。
ヒル
…第3室の乗客。
事件前に降車している。医師。
「男」
…第3室のもう一人の乗客。
ヒルと同じ駅で降車した。
ゴードン・マックリーン卿、
サイラス・ヘンプヒル
…第5室の乗客。
ミス・ビントリイ
…第6室(夫人専用室)の
乗客(母と娘二人)の一人。
「警視総監」
「警視」
…事件捜査担当者。会話として登場。
「わたし」
…語り手。開業医。
ある瀕死の重傷者「彼」から
過去に起きた列車内の殺人事件の
真相を聞く。
「彼」
…交通事故で瀕死の重傷を負った男。
本作品の味わいどころ①
難解な列車の構造
とにかく列車の構造が
わかりにくいのです。
最初の頁に列車の構造の略図が
掲載されているのですが、
そこからわかるのは、
部屋が6室あることと、
それらのドアの位置、
そして通路の位置、それだけなのです。
したがってコンパートメント内が
どのような構造になっているのか
まったく分かりません。
第2室でルエリン夫妻が
銃殺されたのですが、
夫妻は通路と反対側の座席に位置し、
通路側のドアの隙間から
射撃したらしいのですが、
頭の中には「?」が渦巻きます。
狙撃手と夫妻の間にいたブレアブースは
邪魔にならなかったのか?
ブレアブースはドアの隙間から
狙撃手を目視できなかったのか?
ドアのどこにどのように
楔が打ち込まれて
開閉できなくなっていたのか?
当時のイギリス人なら
そうした説明など不要なのでしょうが、
本事件が一種の密室殺人である以上、
その構造の把握が大切となります。
文章からだけでは理解できないなら、
頭の中で想像し、組み立て、
補完することです。
それこそが本作品の
第一の味わいどころとなるのです。
本作品の味わいどころ②
書き出すとわかる
事件関係者の位置関係も
わかりにくいところです。
第1室から第6室の言葉で書いてもらえば
わかりやすかったのですが、
「いちばんはしのコンパートメント」
(どちらの「はし」かわからないうえ、
両方の「はし」がそう表現されている)、
「悲劇の起きたコンパートメントの
さきの二室」、
「悲劇の起きたコンパートメントの
隣の禁煙室」など、
わかりにくい表記となっているのです。
「訳者が注釈をつけてくれれば
よかったのに」と文句を言っていても
仕方ありません。
それなら書き出してみればいいのです。
上の主要登場人物欄には、
乗客を第1室から順に
書き出してあります。
そうするとすっきりしました。
これについても
できる努力を惜しまないことです。
それこそが本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
本作品の味わいどころ③
種明かしは終末で
で、これだけ脳内に
列車とそのコンパートメントを再現し、
登場人物を整理しても、
「ついにはこの事件は、
警視庁の迷宮入り事件の
長いリストの中に、
位置を占めることになった」で
閉じられてしまうのです。
そこからはじまる種明かしの最終部。
読みながら再び
脳内で組み立てた現場状況と
照らし合わせる作業がはじまるのです。
短篇作品なのですが、
かなりのエネルギーを必要とします。
いやいや、これこそが読書の醍醐味、
それこそが本作品の最大の
味わいどころと考えるべきなのです。
それにしても不思議な作風です。
描き方はきわめて客観的で、
人物の感情が描かれていないのです。
犯罪の報告書を読んでいるようで、
一向に登場人物に感情移入できません。
それでいて妙に引きつけられます。
これは読み手の意識とエネルギーを
状況把握のみに向けさせようとする
作者の仕掛けと考えられます。
こうした作品もまた、
ミステリの一つの形なのです。
頭を使って存分に味わいましょう。
(2024.12.26)
〔「世界推理短編傑作集2」〕
放心家組合 バー
奇妙な跡 グロラー
奇妙な足音 チェスタトン
赤い絹の肩かけ ルブラン
オスカー・ブロズキー事件 フリーマン
ギルバート・マレル卿の絵
ホワイトチャーチ
ブルックベンド荘の悲劇 ブラマ
ズームドルフ事件 ポースト
急行列車内の謎 クロフツ
〔「世界推理短編傑作集」はいかが〕
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