「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」(黒岩涙香)

日本ミステリ史の原点ともいえる作品集

「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」(黒岩涙香)
 論創社

世の人情を穿ち
事理を明らかにするものは
小説なり。
而して小説にもその種類
甚だ多くして一概に
述べ尽くし難しといえども、
多くは淫奔の情態を説くか、
または悪漢毒婦の顛末を
編述するもの夥し。
余鑒る所あり、
仮令淫奔の情態…。
(「涙香集序」より冒頭の一節)

何やら難しい文言が並んでいますが、
明治のエンターテイナー黒岩涙香
自らの著作集のまえがきとして綴った
一文です。
収録されている九篇は、すべて
この調子で書かれているのですが、
決して読みにくくはありません。
日本ミステリ史の原点ともいえる
作品集です。

〔「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」〕
無惨
涙香集
 涙香集序
 金剛石の指輪
 恐ろしき五分間
 婚姻
 紳士三人
 電気
 生命保険
 探偵
 広告

「無惨」
東京築地の川で
発見された他殺体。
それは多数の傷のある
無惨なものだった。
死体の手に残る毛髪から、
刑事・谷間田はそれが
縮れ毛であることから、
お紺という女に目星を付けて
捜査を開始する。
しかし刑事・大鞆は
その毛髪を分析し…。

第一作「無惨」の味わいどころは
以下の通りです。
①名探偵登場、その名は刑事・大鞆
②科学的分析、論理的推理の幕開け
③円満な解決、シリーズ化も可能に
それは日本探偵小説の嚆矢としての
面白さなのです。
ここには新人刑事・大鞆と
ベテラン刑事・谷間田が
「探偵役」として登場しているのですが、
この二人が対照的です。
大鞆が新しい捜査手法を持って
谷間田の鼻を明かすのかと思いきや、
谷間田が目星を付けたお紺は
なんと被害者と関係のある女。
お紺の口から犯人が割れ、
それは大鞆の推理と一致するのです。
大鞆・谷間田の両者に
それぞれ花を持たせる
粋な計らいとなっているのです。

谷間田と大鞆がそれぞれ
自分の得意な捜査方法を駆使して
競うように謎解きをしていく。
もし本作品がシリーズ化されていたら、
ホームズとワトソン、
明智と中村警部、
金田一と等々力・磯川両警部といった
「主従」が明確なコンビではなく、
対等なバディを主役とする、
(当時では)欧米にも類を見ない
探偵小説が出来上がっていた
可能性があるのです。

「金剛石の指輪」
競りで購入したダイヤモンドを
揃いの指輪に仕立てた新婚夫婦。
ところが妻は
その指輪をはめて数日後、
指が徐々に腫れ、
指輪が抜けなくなってしまう。
痛みに耐えていた妻は、
ある夜、静かに眠ったかと思うと
そのまま事切れて…。

第二作「金剛石の指輪」は、
海外ミステリの翻案作品です。
わずか10頁の短篇なのですが、
読み進めるときのワクワク感が
何ともいえません。なぜか?
その後の展開を予想しても、
ことごとく外されてしまうからです。
味わいどころは以下の通りです。
①王家の宝石の呪い!?
 これはホラー小説か
②妹や医師はどう関わる?
 もしかしてミステリ
③埋葬されたはずの妻が!?
 実はオカルトか
おそらく黒岩は読み手のミスリードを
誘ったのだと考えられます。
明治23年に新聞連載された本作品、
当時の読者たちは
こうしたワクワク感をもって
毎日の朝を迎えていたのでしょう。

「恐ろしき五分間」
わずか五分間と言えば
いと短きことなれど、
余はその恐ろしさを
生涯忘れ得ず。
ただ五分間も余がためには
百年の思いありき。
実に余が生涯の恐ろしさを
一纏めに集むるも、ただその
五分間の恐ろしさに及ばず。
今思いても身の毛…。

第三作「恐ろしき五分間」。
こちらはホラーともいえる
サスペンス短篇です。
乗り合わせた美人女性の
足下(座席の下)に何者かが潜んでいる、
それは新聞で取り上げられている
女房殺しの容疑者らしい、
閉じ込められた車内で
誰も助けには来てくれない、
停車場まであと五分、という
身も凍るような筋書きです。
顛末はいかに。

「婚姻」
英国のウエルスという所に
リンズイナントと呼ぶ湖水あり。
その周囲には木あり、山あり、
風景絶佳にして殊には
夏を消すに屈強の土地なれば、
年の七月より九月までは
英国の都倫敦より来りて
暑を避くるに人多し。
これもその…。

第四作「婚姻」。
駆け落ちしたのはいいものの、
夫は働きもせずに毎晩
どこかに出歩いている、その謎は?
一種のメロドラマと
いうべきでしょうか。

「紳士三人」
倫敦にリリピピ嬢と言う
美人あり。容貌の美しきが上に
年々五千円の所得あり。
この五千円は全く
リリピピ嬢一身の所有なれば、
これに行く末は嬢の物となる
父の財産と母方の伯母の財産とを
合わせれば
寐て暮らしても一万以上の…。

第五作「紳士三人」。
三人の男がリリピピ嬢に
求婚するのですが、
この作品にいたってはコントです。
結末をご笑味あれ

「電気」
時は八月の中旬
午後三四時と言えば
暑き盛りなるべし。
殊に昼の頃より
天に蒲団のごとき雲広がりて
風の道を塞ぎ、
今にも白雨のふりだしを呑んで
汗を取るよりも蒸し苦し処は
麹町番町の官員屋敷長屋門を
取り毀したる跡へ西洋風の…。

「電気」

第六作「電気」ですが、
筋書きは青山との駆け落ちを決行した
秀子の行方を捜す父・猛雄の
捜索譚のような形で進行します。
ところが最終盤、事態は
まったく予期せぬ結末を迎えます。
読み手はしばし呆然となること
請け合いの、驚きの幕引きです。

「生命保険」
夏子は
交際している画家・堀川から、
衝撃的な話を聞く。
なんと夏子の亡くなった父親と、
堀川の
行方不明となっている叔父が
入れ替わっているのだという。
夏子はすでに父親の保険金の
一割にあたる一万磅を
受け取っていた。
真実は…。

第七作「生命保険」は、
その表題が表すとおり、
保険金が素材です。しかし
探偵小説としては成立していません。
感動物語なのです。

現代の小説においては
ちっとも珍しくないのですが、
「保険金殺人」とは、当時としては
かなり新鮮な素材だったはずです。
涙香自身、本来それがどういうものか
十分に理解できないまま、
「肉親の死後に突然
お金がもらえる」という点のみを
強調させ、
一つの感動物語として
完成させたのかも知れません。

「探偵」
米国オリアン州の
警察署内探偵詰所の上座に扣え、
余念もなく書類を
取り調べ居る老官吏は
言わでも著き探偵長ならん。
この所へ入り来る一人の探偵は
栗色と綽名されたる男にて
遽しく探偵長に向かい、
「長官今度の事件は是非私に…。

第八作「探偵」の味わいどころは
以下の通りです。
①もしや迷探偵?水嶋浮の度重なる失敗
②犯人捜しに非ず、悪人は最初から判明
③見通しの悪い事件の様相、悪事が交錯
本作品を昭和期から現代までの
ミステリと同列に扱ってはいけません。
設定はめちゃくちゃであり、
展開も非現実的、
ご都合主義的なところも見られ、
ミステリ以前に小説として
成り立っていないのではないかと
思われる点が多々あるのです。
いわゆる「突っ込みどころ満載」
状態なのです。
その「突っ込みどころ」を、
明治20年代の読者になりきって
肯定的に愉しむべき作品なのです。

「広告」
余が曾て
某新聞の記者を勤めし頃、盛んに
芝居改良と言えること流行し、
寄ると接るとその議論を
はじむるほどなりしかば、
余も妻もその流行熱に浮かされ
自ら俳優となり
改良歌舞伎の舞台に
上る覚悟を定め、
余は妻とともに俳優の…。

「広告」

最終作「広告」ですが、
こちらはコントです。
自身の変装と芝居の成果をためそうと
悪戯を仕掛けるのですが、
ろくな結果になろうはずがありません。
広告に釣られた女だと思って
連れ回したら、まさかの別人。
このままでは女性を拉致したかどで
お咎めが…。
と思えば、さらにどんでん返し。
「なるほど」と唸らされる好篇です。

さて、作者・黒岩涙香は、
自ら創作した作品よりも
海外作品の翻案が多いとされています。
翻訳ではなく「翻案」である理由は、
一語一句
正確に訳してはいないためです。
それどころか、原文を一読し、
その記憶を頼りに
自由奔放に作品を書き上げていった
形跡すらあるのです。
翻訳・翻案という枠を越えて、
もはや「パクリ」ではないかと思われる
黒岩創作術。
でも、これでいいのです。
海外探偵小説の源流が
ポー「モルグ街の殺人」であるならば、
日本の探偵小説の源流は間違いなく
涙香のこれらの作品群であり、
すべてはここから始まったと
いえるのです。
日本ミステリ大河の最初の一滴、
ご賞味あれ。

(2024.12.30)

〔「黒岩涙香探偵小説Ⅱ」もどうぞ〕
幽霊
紳士の行ゑ
血の文字
父知らず
田舎医者
女探偵
帽子の痕
間違ひ
無実と無実
秘密の手帳
探偵談と疑獄譚と感動小説には
 判然たる区別あり
探偵譚について

〔黒岩涙香の本はいかが〕

Julia BoldtによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

「ローマ熱」
「目玉の話」
「百年文庫043 家」

【こんな本はいかがですか】

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