「お勢登場」(江戸川乱歩)

「イヤミス」ブームを先駆けること九十年の「嫌な読後感」

「お勢登場」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩全集第3巻」)光文社文庫

蓋が開かない!
長持の掛金が落ち、
錠前が下りた状態になったのだ。
中に隠れていた格太郎は
恐怖に怯える。
一緒にかくれんぼをしていた
子どもたちは気づかない、
女中部屋からは離れている、
妻のお勢は出掛けて
不倫相手と逢瀬を…。

江戸川乱歩の短篇の中では
屈指の傑作と言われている「お勢登場」。
あまりよい読後感は
得られないのですが、それでいて
これまで何度読み返したやら。
中毒になる味わいです。

〔主要登場人物〕
格太郎

…肺病に冒され、余命が短い。
 気が弱く、いつも妻に遠慮している。
 妻の不倫に気づいていても
 何も言わない。
お勢
…格太郎の妻。若者と不倫している。
格二郎
…格太郎の弟。
 不倫を重ねるお勢を
 離縁しようとしない兄に
 歯がゆい思いを抱いている。
正一…格太郎の息子。

本作品の味わいどころ①
正直者の格太郎に悲惨な結末

「あまりよい読後感は得られない」原因の
一つは、正直者である
格太郎に待ち受けていた悲惨な結末が、
なんともいえない後味の悪さを
醸し出しているからです。
冒頭に掲げたように、
子どもたちとかくれんぼで遊んでいて、
長持の中に隠れたのはいいが、
掛金が落ちてしまい、
密閉状態となったのです。
「後味の悪さ」につながっているのは、
乱歩のこれでもかというまでの
描出です。

乱歩は長持の中の格太郎の心情を、
次のように
段階を踏んで書き表しています。
①大声を上げても返答のない恐怖
②女中部屋から離れているという事実
③感じられ始める息苦しさ
④死に物狂いの抵抗とその効果のなさ
⑤滑稽な死に方への困惑と苦悩
⑥女中と息子を呪う気持ちの芽生え
⑦さらに増す息苦しさ

そしてお勢が帰宅してからの
描写によって、
一層悲惨さが加速されます。
なぜならお勢は
長持の中の格太郎に気づき、
一度はその蓋を開けようとしたものの、
思い返して再びそれを閉じたからです。
わずかに見えた希望から絶望へと
突き落とされた格太郎。
その絶望感はたとえようがありません。
善人に対する情け容赦のない
悲惨な結末こそ、本作品の
第一の味わいどころとなるのです。
しっかり味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
悪女のお勢が幸福になる結末

その一方で、悪女・お勢は、
これ以上ないほどの
幸福な結末を迎えるのです。
それが「あまりよい読後感は得られない」
二つめの理由なのです。
格太郎を見殺しにした罪は
露見しないどころか疑いさえもたれず、
莫大な遺産を相続し、
引っ越しを重ねて
格太郎の親族たちの目から逃れ、
何不自由なく暮らすことが
できたというのです。
こんなことがあっていいのか!
読み終えると、
ついつい憤然とした気持ちが
昂ぶってきてしまいます。

だからこそ、印象に残る
作品となっているのでしょう。
普通の終わり方ではないのです。
何かの拍子で犯罪が暴かれたり、
因果応報で身を滅ぼしたり、
兄思いの弟から何らかの形で
復讐を受けたりといった、
勧善懲悪の形になっていないからこその
味わいなのです。

ところが「作品解説」を読むと、
乱歩は実は、そういう形を
取ろうとした様子がうかがえます。
「ここで登場した女主人公が、
 更らに色々と悪事を働く、
 その一代の犯罪史を
 書きつぐつもり」
であったことが
記されているのです。
幸か不幸か、
乱歩は「そのあと」を書くことができず、
長篇の序章であるはずだった
「お勢登場」は、短篇作品として
一応の完成となるのです。
結果としてそれが
「後味の悪さ」を生み出し、
強いインパクトをもたらし、
本作品を傑作たらしめたのでしょう。
この、到底納得のいくはずのない、
悪人が幸福となる結末こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなってくるのです。
じっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
これは「イヤミス」の先駆けか

ところで近年、
本作品と同じ味わいのミステリ
(というか同じように「あまりよい
読後感は得られない」作品)を
多く見かけるようになりました。
いわゆる「イヤミス」
(読後嫌な気分になる小説の総称)です。
この「お勢登場」は、
そんな「イヤミス」ブームの
嚆矢的存在ではないかと思う次第です。
だとすれば、この「後味の悪さ」、
善人が不幸に陥り、
悪人に幸福がもたらされる、
なんとも割り切れない
「後味の悪さ」こそ、
本作品の最大の味わいどころと
考えるべきなのです。
本作品発表は1926年(大正15年)。
平成・令和の「イヤミス」ブームを
先駆けること90年の
本作品の「嫌な読後感」を、
たっぷりと味わいましょう。

さて、もしかしたら本作品の
書かれざる「その後」については、
後に発表された
連作探偵小説「江川蘭子」
垣間見ることができそうです。
こちらは複数作家による連作ながら、
悪女の一代記を描く形となっています
(実際はやや異なるが)。
やはり悪人を描かせると、
乱歩の右に出る者はいないのです。
悪女を、ぜひご賞味ください。

(2025.1.5)

〔青空文庫〕
「お勢登場」(江戸川乱歩)

〔「江戸川乱歩全集第3巻」〕
踊る一寸法師
毒草
覆面の舞踏者
灰神楽
火星の運河
五階の窓
モノグラム
お勢登場
人でなしの恋
鏡地獄
木馬は廻る
空中紳士
陰獣
芋虫
私と乱歩 間村俊一

「人でなしの恋」
「木馬は廻る」

〔光文社文庫「江戸川乱歩全集」〕

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「緑衣の鬼」
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