
露わになる人間の本質と情念
「グランド・ブルテーシュ奇譚」
(バルザック/宮下志朗訳)
(「グランド・ブルテーシュ奇譚」)
光文社古典新訳文庫
「グランド・ブルテーシュ綺譚」
(バルザック/水野亮訳)
(「海辺の悲劇 他三篇」)岩波文庫
立ち入り禁止の古屋敷
「グランド・ブルテーシュ館」。
公証人からメレ伯爵夫人の
謎に満ちた遺言の内容
―死後五十年間、
館は解体も修理もせず、
そのまま放置すること―を
聞かされた「わたし」は、
俄然その館とメレ夫人に
興味を覚える…。
かなり以前に
「ゴリオ爺さん」を読んで以来、
なかなか縁遠かったバルザックですが、
短篇作品集を読むことができました。
表題作となっている
「グランド・ブルテーシュ奇譚」。
カバー裏の内容紹介を読むと
「猟奇的な事件を描いた」と
あるのですが、ミステリでもなければ
ホラーでもありません。
人間を描いた本格的な文学作品です。
〔主要登場人物〕
「わたし」(オラース・ビアンション)
…語り手。医師。出張治療で
滞在している町・ヴァンドームで、
グランド・ブルテーシュ館に
興味を持つ。
メレ伯爵夫人(ジョセフィーヌ)
…グランド・ブルテーシュ館の所有者。
故人。不思議な遺言を残す。
メレ伯爵
…放蕩に身を委ねた末に死亡。
ルニョー
…公証人。メレ伯爵夫人の遺言執行人。
「わたし」に遺言の内容を語る。
「女将」
…「わたし」の滞在している宿の女将。
メレ夫人について「わたし」に語る。
ロザリー
…「わたし」の滞在している宿の女中。
かつてメレ伯爵夫人の
小間使いだった。「わたし」に
伯爵夫妻の秘密を打ち明ける。
フェレディア伯爵
…スペイン帰属。戦争捕虜として
ヴァンドームに送られてきた。
本作品の味わいどころ①
夫人の謎の遺言の真意は何?
夫人の遺言は、
要約すると館の「立入禁止」「売買禁止」
「修繕禁止」なのです。
前二者はわかります。
しかし「修繕禁止」の真意は何か?
「遺産を使って屋敷を現状保存せよ」と
いうことなら理解できますが、
遺言はその逆で「修繕せずに放置、
そのために遺産を使っても可」と
いうのですから奇っ怪です。
そこに秘密があるのは必然です。
語り手「わたし」とともに
読み手も興味をそそられる
仕掛けとなっているのです。
物語の発端となる夫人の謎の遺言を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
三人の語りから紡がれる物語
その「秘密」は、宿の「女将」、
女中ロザリーの、
二人の口から語られるのです。
「女将」からはヴァンドームに送還された
フェレディア伯爵の失踪について
語られるのですが、
彼女はそれが夫人と
何らかの関係があるかもしれない程度の
ことしか知らないのです。
その先をロザリーが語ります。
二人の告白と公証人ルニョーの話を
総合していくと、
一つの物語が浮かび上がる
仕掛けとなっているのです。
三人の語りから紡がれる物語を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
露わになる人間の本質と情念
その「物語」は、
「ぜひ読んで確かめてください」としか
言いようがありません。
印象としてはポーの傑作短篇のような
風合いでしょうか。
しかし作者バルザックは、
怪奇小説として本作品を
書き上げたのではないでしょう。
味わうべきは、
伯爵と夫人の人間性なのだと考えます。
作品が書かれた十九世紀ごろの
フランス貴族階級の夫人たちにとって、
不貞は日常茶飯事だったはずです。
でもそれはおそらくパリなどの
都会の話だったのかもしれません。
夫も社交界で
浮名を流しているならともかく、
作品の舞台ヴァンドームのような
片田舎では、
夫はそれを許さなかったのでしょう。
妻の言葉を逆手にとって、
辛辣な報復を淡々と実行する
夫の人間としての本質、
そしてそれに抵抗できないながらも
遺言によって秘密を死守しようとする
夫人の女としての情念、
そうしたものが
浮き彫りとなっているのです。
露わになる人間の本質と情念こそ、
本作品の最大の
味わいどころといえるのです。
たっぷりと堪能しましょう。
十九世紀フランスを代表する作家・
バルザックは、
約九十篇の長編・短編からなる小説群
「人間喜劇」を執筆しました。
本作品もその一部であり、
語り手「わたし」の恩師・デプラン医師は
傑作「ゴリオ爺さん」などにも
登場するなど、他の作品中の人物や
歴史上の実在する人物についての
言及がいたるところに見られます。
「人間喜劇」すべてを読むのは
難しいのですが、
「ゴリオ爺さん」以外にも
「谷間の百合」などいくつかの作品が
流通しています。
本作品からバルザックに入門するのが
適切かと思われます。
ぜひご一読を。
(2025.1.6)
〔「グランド・ブルテーシュ奇譚」〕
グランド・ブルテーシュ奇譚
ことづて
ファチーノ・カーネ
マダム・フィルミアーニ
書籍業の現状について
解説/年譜/訳者あとがき
〔「海辺の悲劇 他三篇」岩波文庫〕
グランド・ブルテーシュ綺譚
復讐
フランドルの基督
海邊の悲劇
解説/譯注
〔バルザックの本はいかがですか〕

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