
巧妙に仕組まれた悲劇の体感プログラム
「ヴィーナスの殺人」(メリメ)
(メリメ/杉捷夫訳)
(「メリメ怪奇小説選」)岩波文庫
「イールのヴィーナス」
(メリメ/杉捷夫訳)
(「百年文庫058 顔」)ポプラ社
「イールのヴィーナス」
(メリメ/富永明夫訳)
(「集英社ギャラリー世界の文学7」)
集英社
イールの町のペイレオラード氏を
訪ねた「私」は、最近発掘された
銅製の黒いヴィーナス像を
見せてもらう。
その像は官能的でありながら、
どこか邪悪な表情をしていた。
氏の息子アルフォンスが、
結婚式用の指輪を
像の指にはめると…。
オペラ「カルメン」の台本の
原作者として有名なメリメの、
最高傑作との呼び声の高い
「イールのヴィーナス」です。
ジャンルとしては「幻想小説」、いや
ホラーといってもいいかと思います。
銅製の黒いヴィーナス像は
いったいどんな不幸をもたらすのか?
〔主要登場人物〕(杉捷夫訳)
「私」
…語り手。知人の紹介を受け、
ペイレオラード氏を訪ねる。
ペイレオラード
…イールの町の資産家。素人考古学者。
銅製のヴィーナス像を発掘する。
※富永明夫訳→ペルオラード
アルフォンス・ド・ペイレオラード
…ペイレオラード氏の息子。
結婚指輪を
ヴィーナス像の指にはめてしまう。
ピュイガリィグ嬢
…アルフォンスの妻となる女性。
※富永明夫訳→ピュイガリッグ
本作品の味わいどころ①
おどろおどろしい十分な序章
B級ホラー映画などとは異なり、
いきなり恐怖体験など提示されません。
読み手を作品内に引き込むために、
作者は序盤でじっくりと
環境を整えています。
主人公で語り手の「私」と
同じペースで
イールの町に入り込み、
同じ気持ちで
ペイレオラード邸を訪問し、
同じ目線で
黒いヴィーナス像と対面するのです。
多少退屈に感じるかもしれませんが、
よくよく読むと、
恐怖を感じるために必要な予備知識が
効果的に設置されているとともに、
伏線も張られているのです。
恐怖を最大限に呼び込むための、
おどろおどろしい十分な序章を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
徐々に提示される恐怖の予兆
中盤はアルフォンスと
ピュイガリィグ嬢の結婚および
その晩餐の場面です。
ここから悲劇へつながる要素が
少しずつ示されてくるのです。
結婚式が始まる前、
テニスの試合を始めたものの、
指輪が邪魔でヴィーナス像の指に
はめてしまうアルフォンス。
試合後、それを抜き取ろうとしても、
像の指がなぜか曲がっていて、
抜けなくなっているのです。
いったい像に何が起きているのか?
最終場面の悲劇に直結していく、
徐々に提示される恐怖の予兆を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
ついに訪れる予想された悲劇
そしてついに結婚式の夜、
悲劇が訪れるのです。
その悲劇の内容は、
読み手にも十分予想のつくものと
なっているのです。
それでいいのです。
そこまで到達する間、
読み手はメリメの提示した
「恐怖の予兆」を十分に味わい、
その悲劇を今か今かと待ちわびる
心境になっているのですから。
しかもその悲劇は、
あからさまには描写されません。
「私」が夜に異音を聞いたこと、
翌朝アルフォンスが
死体となっていたこと、
それまで気を失っていた花嫁が
気の触れたような証言をしたことが
記されるだけ、いわゆる
状況証拠のみが提示されるのです。
だからこそ、
悲劇がより一層恐怖を帯びて
読み手の前に迫ってくるのです。
巧妙に仕組まれた
悲劇の体感プログラムこそ、
本作品の肝であり、最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと堪能しましょう。
最近、幻想小説の面白さに
はまりつつあるのですが、
メリメの本作品も衝撃度抜群です。
なにより小説としての
構成の巧さが光ります。
ぜひご賞味ください。
(2025.1.15)
〔追記〕
最終部に、ヴィーナス像が融かされて
鐘に鋳造し直されるということが
記されています。
それこそ恐ろしい復讐が
起こりそうなものですが…。
それだけが気になります。
〔訳文について〕
杉捷夫訳と富永明夫訳、
どちらも素敵なのですが、
前者の訳文の言葉遣いや
微妙な言い回しの方が、
作品の雰囲気に
合致しているように感じました。
ただし多少鮮度が落ちてきたことは
否めません。
新訳の登場を期待したいと思います。
〔「メリメ怪奇小説選」岩波文庫〕
ドン・ファン異聞
ヴィーナスの殺人
熊男
〔メリメの本はいかがですか〕
〔「百年文庫058 顔」〕
追いつめられて ディケンズ
気前のよい賭け事師 ボードレール
イールのヴィーナス メリメ
〔百年文庫はいかがですか〕
〔「集英社ギャラリー世界の文学7」〕
ホヴァリー夫人 フローベール
居酒屋 ゾラ
女の一生 モーパッサン
マテオ・ファルコーネ メリメ
イールのヴィーナス メリメ
シルヴィ ネルヴァル
アルルの女 ドーデ
スガンさんの山羊 ドーデ
最後の授業 ドーデ
ヴェラ リラダン
霊的前兆 リラダン
首飾り モーパッサン
オルラ モーパッサン
悪の華 ボードレール
禁断詩篇 ボードレール
新・悪の華 ボードレール
拾遺詩篇 ボードレール
〔集英社ギャラリー世界の文学はいかが〕

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