
グロテスクかつ魅惑的、エロティックかつ幻想的
「江戸川乱歩全集第5巻 押絵と旅する男」
(江戸川乱歩)光文社文庫
私は白絣の着物の男を
知っていたのだ。
その男は父の本棚の隅にある、
一冊の本の中に
棲んでいるはずだった。
そこから抜け出して、
私の家の窓の下に
立っていようとは
思いもよらなかった。
その本は暗い緑色の表紙の
「江戸川亂歩」…。
(「私と乱歩 久世光彦」より)
「江戸川乱歩全集第5巻」を
再読しました。
全670頁超、そこに四篇の
江戸川乱歩の世界が広がっています。
どれもこれもグロテスクかつ魅惑的、
エロティックかつ幻想的な
作品ばかりです。
〔「江戸川乱歩全集第5巻」〕
押絵と旅する男
蟲
蜘蛛男
盲獣
解題/注釈/解説
私と乱歩 久世光彦
「押絵と旅する男」
「私」が二等車内で
乗り合わせた男は、
額縁に入った押絵を取り出し、
車窓に向けていた。
それは洋装の老人と
振り袖を着た美少女の
押絵細工であり、あたかも
生きているかのようであった。
男は「私」に押絵の
「身上話」を語り始める…。

〔「押絵と旅する男」味わいどころ〕
①老人の語る押絵の奇妙な「身上話」
②「覗く」ことでつながった「異世界」
③視覚的効果という時代の「最先端」
第一作は初期の傑作「押絵と旅する男」。
凄惨な殺人事件や
奇抜なトリックといった、
乱歩特有の要素はほとんどありません。
この世のものとは思えない妖しい世界が
(それ自体が乱歩らしさなのですが)
広がっています。
兄は浅草凌雲閣の最上階から
遠眼鏡で見かけた美少女に
一目惚れした。
だが、それは押絵として
拵えられたものだった。
諦めきれない兄は、
私に遠眼鏡を逆さにして
自分を覗くように頼んだ。
すると兄はみるみるうちに小さくなり、
やがて見えなくなってしまった。
なんと兄は押し絵の美少女を
抱き寄せる形で
幸せそうに押し絵の中に入っていた。
なんとも奇天烈な話なのですが、
乱歩の構成力と表現技法によって、
それがさも現実的に起きたように
感じられるしくみとなっているのです。
「蟲」
厭人病者の柾木は、友人・池内に
人気女優・木下芙蓉を
紹介されるが、彼女は
初恋相手・文子だった。
自らの想いを
伝えようとする柾木を、
彼女は無惨に笑い飛ばす。
彼女への所有欲を
押さえきれなくなった柾木は、
ある計画を実行する…。

〔「蟲」味わいどころ〕
①異常性格・ストーカーの先駆け
②死体の腐乱との激しい格闘
③過激すぎて伏せ字と削除の連続
第二作「蟲」は、
トリックも謎解きもなく、
主人公で厭人病者の柾木の視点から、
芙蓉殺害の顛末を描いた
犯罪小説なのです。
したがって柾木の異常すぎる行動こそ、
この作品の
味わいどころとなっているのです。
その描写は激しさとえげつなさの
一途をたどり、
ついには伏せ字と削除の
オンパレードとなっているのです。
「顔全体が苦悶の表情を
示していたのに、その表情は
(二十一字削除)
今彼女は、聖母の様に
きよらかな表情となって…」
「若し芙蓉のこの刹那の姿を
永遠に保つことが出来たら、
そして、○○○○○○○○○○○、
○○○○○○○○○○○
○○○○○○○していられたら。
叶わぬことと知りながら、
彼は果敢ない願を捨て兼ねた」。
そこにどんな文章が書かれていたのか?
あらぬ想像ばかりが溢れ出てきて、
自己嫌悪に陥ること間違いなしです。
「蜘蛛男」
絹枝の目の前で腕の石膏像を
叩き割った畔柳探偵。
そこに現れたのは
女性の遺体の腕の部分だった。
それは行方不明となっている
絹枝の妹・芳枝のものに
間違いなかった。
数日後、絹枝もまた
何者かに拉致され、
その遺体は水族館の…。

〔「蜘蛛男」味わいどころ〕
①見事な推理と華麗な失態、
明智の魅力全開
②進化した化け物キャラ、
確定した乱歩路線
③映像化は不可能、
徹底したエロティシズム
第三作「蜘蛛男」は、「一寸法師」に次ぐ
明智小五郎シリーズの長篇作品であり、
乱歩らしい猟奇性と官能性に富んだ、
有り体に言えば
「エログロ」満載の作品となっています。
あり得ない変装や
時間的に不可能な早業といった、
非現実的なトリックの連続、
そして犯人が誰であるのか
早々に分かってしまうという
シチュエーションは、
ミステリとしては及第点に及びません。
それでいながら
ぐいぐいと引き込まれる特異な吸引力を
持っている作品なのです。
前作の「一寸法師」も
特異なキャラクターでしたが、
今回は正体不明の「蜘蛛男」(といっても
脚が8本あるわけでもなく、
糸を吐くわけでもない)。
以後、「魔術師」「黄金仮面」
「黒蜥蜴」「人間豹」と、
明智シリーズは化け物キャラが
盛り上げることになるのです。
「盲獣」
不快極まる、
色彩の混乱であった。
色彩の雑音。
色の不協和音だ。
人を気違いにする
配色というものがあるならば、
きっとこの様なものであろうと
思われた。
強い色彩は一つもない。
全体が陰気な灰色の感じだが、
その中に、まるで…。

〔「盲獣」味わいどころ〕
①極まる乱歩のグロテスク
②探偵も警察も登場しない
③触覚芸術論という世界観
第四作「盲獣」の印象を
一言で言い表すならば、
「あまりお薦めできません」としか
書きようがありません。
作者・江戸川乱歩自身が
「失敗作」と評価した本作品、
その質はともかくとして、
乱歩の「ある一面」だけが強烈に
前面に押し出された作品なのです。
その一面とは何か?「毒」です。
ただでさえ
劇薬扱いの乱歩作品の中にあって、
本作品はもはや「猛毒」の部類に入る
一作に仕上がっているのです。
でも、毒には毒の味わいがあり、
毒には毒の楽しみ方があるのです。
毒好きな方に自信を持ってお薦めできる
「猛毒」の逸品となっているのです。
光文社文庫「江戸川乱歩全集」
全30巻の中でも、
いかにも乱歩らしい作品を、
短篇・中篇・長篇、しかも
明智小五郎シリーズありという
ベストな組み合わせで取り揃えた
一冊となっているのが、
この第5巻なのです。
現代のミステリの尺度で測れば
必ずしも合格点を取れる
作品ばかりではないかもしれません。
しかし昭和初期という
時代に立って読み進めたとき、
そこには乱歩特有の
なんともいえない摩訶不思議な世界が
広がっているのです。
ぜひご賞味ください。
(2025.1.17)
〔江戸川乱歩全集はいかが〕
〔少年探偵団はいかが〕

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