
恐怖!語り手「私」による拷問実況生中継
「陥穽と振子」(ポー/渡辺啓助訳)
(「ポー傑作集」)中公文庫
「落とし穴と振り子」(ポー/巽孝之訳)
(「黒猫・アッシャー家の崩壊」)
新潮文庫
下へ下へ、
確実に滑つて来るのだ。
私は振子の横の速さと
縦の速さとの対照に
狂熱的な興味を感じ出した。
右へ左へ。
それは幅広く
悪鬼の叫喚を挙げながら
往復する!
下へ下へ、
それは虎の忍び足をもつて、
私の心臓へ降りて来る!…。
ポーの恐怖小説は
いろいろあるのですが、
「黒猫」は壁に埋められていた猫が
生きていた、
「ウィリアム・ウィルスン」は
自分とまったく同じ人間が突如現れる、
「壜の中に見出された手記」は
「地球空洞説」や「幽霊船」が登場する、
つまり超常現象を導入し、
ホラーやSF色を前面に
押し出しているものが多いのです。
本作品はそれらとは
やや毛色が違います。
とことん現実路線で描き出した恐怖を、
そのまま読み手に提供しているのです。
その恐怖こそ、本作品の
味わいどころとなっているのです。
〔主要登場人物〕
「私」
…語り手。宗教異端審問にかけられ、
処刑が執行されている。
ラサアル将軍
…フランス軍将校。
※巽訳は「ラサール将軍」。
本作品の味わいどころ①
恐るべき悪趣味!拷問設備三種
まず、本作品の恐怖は、
次々に現れる拷問設備です。
本作品、渡辺訳では「陥穽と振子」という
厳めしい日本語訳がなされていますが、
「陥穽(かんせい)」とは
落とし穴のことです。
この「落とし穴」が
一つめの拷問設備です。
暗闇の地下牢に一箇所だけ
「落とし穴」を設置し、
出口を探してさ迷い歩く受刑者が
それに落ち込んだら最後、
脱出不可能のまま
餓死するというものです(もっとも
地下牢自体が脱出不可能のようであり、
あまり意味がないような気もします)。
「振子」はもちろん
だだの「振り子」ではありません。
鋭い刃のついたおもりが
左右に振れているのです。
しかもそれはゆっくりと降下し、
台座に縛りつけられている受刑者の
身体に迫り来るというものです。
刃が降りて来るまでの恐怖も
さることながら、
その刃が少しずつ身体を刻むのは
もっと大きな恐怖となるはずです。
表題にはこの二つしか
記されていないのですが、
さらに地下牢の壁が
灼熱状態で折りたたまれ
(正方形の部屋が菱形に変形する!)、
受刑者を押しつぶすように
迫ってくるという、
さらに大がかりな拷問設備も
用意されているのです。
これらの拷問設備三種が醸し出す
悪趣味な世界こそ、
本作品の第一の恐怖であり、
同時に味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
恐怖!「私」による拷問実況中継
それを読み手に伝えるのが、
処刑執行中の「私」なのです。
本作品は、
受刑者目線で迫り来る恐怖をとらえ、
受刑者の恐怖の感覚とともに
読み手に伝えるという、
いわば拷問実況生中継とでもいうべき
形態となっているのです。
「私」は「落とし穴」の罠をどう気づき、
どう恐怖するのか。
「私」は降下してくる「振り子」の恐怖に
どのように打ち勝ち、
「振り子」からどうやって逃れるか。
「私」は迫りくる灼熱の壁の恐怖を
どう乗り越え、
どうやって命をつなぎ止めるか。
ライブ感満載のその実況生中継こそ、
本作品の第二の恐怖であり、同時に
味わいどころとなっているのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
ポーの創り上げた仮想現実空間
と、「とことん現実路線で
描き出した恐怖」で攻めてきた
作者・ポーなのですが、
実は最後に現実世界の事実とは
異なる設定がなされているのです。
フランス軍将校アントワーヌ・
シャルル・ルイ・ド・ラサールが
スペイン方面の軍団長に任ぜられたのは
1804年から翌1805年までの期間です。
一方、スペイン異端審問の時期は
15世紀から17世紀ごろまでであり、
18世紀にはほとんど
機能不全となっていました。また、
描かれている拷問設備(というよりも
こうした残酷な拷問自体)は、
スペイン異端審問初期には
存在していたと考えられますが、
盛んに行われていたのは
もっと早い時期のようです。
世界史はあまり詳しくないので
正確なことはいえませんが、
これら三点は、
時期がかみ合わないのです。
ポーはもしかしたら意図的に
こうした不整合を生じさせ、
現実世界とは異なる
異世界での出来事という設定を、
読み手に
伝えようとしたのかもしれません。
現実の恐怖を突き付けたように
見せかけた仮想現実空間、
これこそが本作品の
真の味わいどころと考えられるのです。
たっぷりと味わうべきでしょう。
さて、この作品を熱烈に愛したのが
江戸川乱歩でした。
長篇作品「大暗室」の一場面に、
そのままこの拷問設備
(陥穽・振子・圧迫壁の三点セット)が
移植されています。
読後感はけっして良くないものの、
ポーの傑作の一つです、
ぜひご賞味ください。
(2025.1.26)
〔「ポー傑作集」〕
黄金虫 渡辺温 訳
モルグ街の殺人 渡辺温 訳
マリイ・ロオジェ事件の謎 渡辺温 訳
窃まれた手紙 渡辺啓助 訳
メヱルストロウム 渡辺啓助 訳
壜の中に見出された手記 渡辺温 訳
長方形の箱 渡辺温 訳
早過ぎた埋葬 渡辺啓助 訳
陥穽と振子 渡辺啓助 訳
赤き死の仮面 渡辺温 訳
黒猫譚 渡辺啓助 訳
跛蛙 渡辺啓助 訳
物言ふ心臓 渡辺温 訳
アッシャア館の崩壊 渡辺啓助 訳
ウィリアム・ウィルスン 渡辺温 訳
渡辺温 江戸川乱歩 著
春寒 谷崎潤一郎 著
温と啓助と鴉 渡辺東 著
〔たくさんあるポーの文庫本〕

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