「つらつら椿」(城夏子)

味わいどころは「私」の父に対する愛情

「つらつら椿」(城夏子)
(「百年文庫067 花」)ポプラ社

そういうわけが
ありましたんやで。
茜さんのお父さんはなあ。
三度もおくさん更えなはった、
我儘なお人やという人も、
世の中にはいるやろ。
それは大きな間違いや。
せめて茜さんだけでも、ようォ、
お父さんの立場を
解ってあげて…。

百年文庫第67巻「花」の三作目は、
城夏子の「つらつら椿」。
併録の森茉莉片山廣子の作品は
「薔薇くい姫」「ばらの花五つ」と、
バラが素材でしたが、
本作品のみ「椿」です。
とはいえ、椿そのものが筋書きに
絡んでくるわけではありません。

〔主要登場人物〕
「私」(宮茜)

…語り手。女学生。
宮三郎
…「私」の父。四十三歳で失明。
 相場に手を出し、財産を次々に失う。
おみわ
…父の初恋の相手。
 昔の事情を「私」に話す。
宮蘭子
…「私」の異母姉。
お勝
…三郎の最初の妻。
 蘭子を産み落とした後、実家に戻る。
おちゑ
…三郎の二番目の妻。「私」の実母。
「母」
…三郎の三番目の妻。「私」の継母。
※実際に現れる人物は限られている。
 お勝やおちゑなどは会話の中に
 名前が登場するのみ。
 ただし本作品は人間関係が重要であり
 上のように記した。

本作品も、筋書きに
大きな展開があるわけではありません。
老境にある(と思われる)「私」が、
女学生時代を振り返り、
その頃に感じていた父への愛情を、
しみじみと思い出しているといった
内容なのです。
したがって味わいどころは
「私」の父に対する愛情となるのです。

本作品の味わいどころ①
不平不満を漏らさない「私」

客観的な事実のみに目を向けると、
「私」の父親・三郎は、
けっして立派とはいえません。
壮年期にはいって
光を失ったことは同情できるものの、
働くことのできない立場で
親戚たちに金を無心し、
相場に手を出し、
次々と財産を失っているのですから。
その結果、家計はかなり逼迫している
状況が描かれているのです。
「生活難の原因の半分は父にあった」と
明確に記している一方で、
しかし「私」はそのことに対して
父親を非難することもなければ、
その状況を嘆くこともありません。
淡々とその当時を
振り返っているのです。
それはとりもなおさず
その頃の思い出が、
父親に対する愛情で
縁取られていることを
表しているのでしょう。
不平不満を漏らさず、淡々と
過去を振り返る「私」の在り方を、
まずはじっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
事情を脳内で補完する「私」

父親のかつての恋人・おみわが
「私」に語ったのは、
以下のようなことです。
・自分と三郎は愛し合っていた。
・自分は突然、
 熊野の材木屋への縁談が決まった。
・その家の、義理の妹にあたる
 お勝が三郎に嫁いだ。
・ある日、家人の出かけている日、
 訪ねてきた三郎と会った。
・それを姑が不義と決めつけ、
 自分を離縁した。
・さらにお勝についても
 子供を産み次第、
 実家に引き上げさせた。
そうした一連の悲話があったことを
「私」は知るのですが、
「私」はさらにそれに物語を付け加え、
複雑な事情を
自らの脳内で補完しているのです。
それが見事な筋書きであり、
本作品の肝となっています。
その筋書きは以下の通りです。
・一郎伯父は、
 結婚前からお勝と愛し合っていた。
・しかし祖母がそれを許さず、
 一郎伯父は名家の令嬢と結婚した。
・その後、一郎伯父はお勝と再会し、
 二人の仲は再燃した。
・お勝は一郎伯父の子を宿した。
・伯父と祖母は示し合わせて、
 お勝を弟・三郎の嫁にすることにした。
・お勝が去った後、
 祖母は愛する長男の子・蘭子を、
 喜んで引き取った。
そうした筋書きを、
「私」は夢に見てしまうのです。
それは「私」が父・三郎を愛している
証拠でもあります。

おそらくそれが真実なのでしょう
(そうしたことが匂わせてあります)。
うまくいかない男女の間の事情を、
そうした「主人公の補完」という形で
読み手に伝える作者の巧さを、
次にじっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
和歌への反応を愉しむ「私」

父とおみわは
本当にそういう仲だったのか?
十七歳の「私」は、
おみわから聞いた「和歌」を使って
鎌をかけるのです。
かつて三郎がお美和に贈った歌が、
「河の上のつらつら椿つらつらに
 見れども飽かず熊野をとめば」
万葉が元歌となったその歌を、
父が覚えているかどうか、
試しているのです。
終末のその情景が、なんともいえず
父親への愛情に満ち満ちています。
謎かけとしての和歌に対する
父親の反応を愉しむ「私」の姿を、
最後にたっぷりと味わいましょう。

さて、詳しい資料にあたっていないので
なんともいえないのですが、
作者・城夏子の家庭は、
本作品と酷似(離婚・再婚を繰り返した
父親が失明、祖母の家に預けられた等)
しています。
おそらくは私小説に限りなく近い
作品なのではないかと思われます。
本作品に書き表された、
作者自身の「父親への思い」を
十二分に味わいたいものです。

(2025.1.29)

〔城夏子の本について〕
やはりその著書のほとんどは
現在流通していません。しかし
古書をあたればいくつか見当たります。
「また杏色の靴をはこう」
「林の中の晩餐会」
「朱紫の館」
「愉しみ上手老い上手」
「桃花流水」

〔「百年文庫067 花」ポプラ社〕
薔薇くい姫 森茉莉
ばらの花五つ 片山廣子
つらつら椿 城夏子

〔百年文庫はいかがですか〕

피어나네によるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

「私のソーニャ」
「天狗洞食客記」
「靴をぬがせるとき」

【こんな本はいかがですか】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA