「戯作地獄」(横溝正史)

予告殺人、美女殺人、そして横溝初挑戦の見立殺人

「戯作地獄」(横溝正史)
(「名月一夜狂言」)創元推理文庫
(「完本 人形佐七捕物帳二」)
 春陽堂書店

「明日未の刻、吉原において
恐ろしき人殺しこれあり候」。
佐七の家に舞い込んだ、
殺人予告とも取れる
奇妙な投げ文。
花魁顔見道中で盛り上がる吉原、
警戒に当たっていた
佐七の面前で、その文面どおり、
花魁の喉に簪が突き刺さり…。

横溝正史の傑作時代物ミステリ、
人形佐七捕物帳の第二十六話です。
人形佐七捕物帳百八十篇の中でも
屈指の傑作といえる短篇です。
味わいどころは時代物には珍しい
「予告殺人」、
江戸川乱歩のテイストのある
「美女殺人」、
そして横溝初挑戦となる
「見立殺人」、その三点なのです。

【捕物帳〇二六「戯作地獄」】
〔主要登場人物〕
奥州
…吉原姿海老屋の花魁。
 一番目の犠牲者。銀簪で喉を
 刺されるが、命を取り留める。
姿海老屋甚兵衛
…吉原姿海老屋の亭主。
お喜多
…柳橋花屋の花魁。二番目の犠牲者。
 両国の川開きにおいて、
 銀簪で喉を貫かれ絶命。
伊勢屋十右衛門
…伊勢屋の大旦那。お喜多をともなって
 両国川開きを観覧中だった。
水木歌仙
…女役者。舞台上で銀簪を
 喉に投げ刺され、死亡。
笹川米彦
…近年売れ出した戯作作家。
 「色競三枚絵草紙」が評判中。
 殺しの現場で姿を目撃される。
奈良屋文七
…大商人だったが、
 奥州をはじめとする花魁に蕩尽し、
 身代を潰す。投身自殺を図る。
桜川寿光
…吉原生え抜きの幇間。
蔦谷重兵衛
…版元。「三枚絵草紙」の出版に関わる。
歌川国貞
…浮世絵師。「三枚絵双紙」の挿絵担当。
豆六…佐七の乾分。
お粂…佐七の女房。元吉原の花魁。
佐七…人形佐七と呼ばれる御用聞き。
〔事件の概要〕
五月四日
・佐七宅に殺害予告の投げ文。
五月五日
・吉原花魁顔見道中で奥州刺され重体。
五月二十七日
・佐七宅に再び投げ文。
五月二十八日
・両国川開きでお喜多殺害される。
数日後
・歌仙、舞台上で銀簪で刺され死亡。
・下手人、自害。

本作品の味わいどころ①
佐七に挑戦か?予告殺人

本作品の殺人事件は、捕物帳にしては
珍しい「予告殺人」となっています。
考えてみれば江戸時代です。
郵便というシステムがない以上、
直接投げ文するしかないとすれば、
リスクが高すぎます
(実は本事件も、三回目の投げ文では
共犯者がお粂に捕まっている)。
また、文面をつくるにしても、
出版物からの切り抜きもできず、
ワープロ、タイプライターの類いも
存在しないのですから、
筆跡で足がつく可能性があるのです。

もっとも誰が殺害されるかは
予告されていないのですから、
これは単に佐七に
注目させるためだけのことでしょう。
なぜ佐七の目を引く必要があったのか?
予告殺人の理由、
それが本作品の一つの謎であり、
同時に味わいどころとなるのです。

本作品の味わいどころ②
乱歩の模倣か?美女殺人

相次いで殺害された三人の女は、
いずれも美女。
奥州は吉原随一の花魁。
単に美しいだけでなく、
艶めかしさも抜群だったのでしょう。
お喜多も柳橋芸者、
歌仙は舞台役者です。
美女ばかり殺される…となると、どこか
乱歩の作品を連想してしまいます。

別に乱歩の模倣というわけでは
ありません。
三人に共通するのは、
入水自殺を図った奈良屋が
入れ込んでいた
女であるということです。
死んだ奈良屋が、
これらの殺しとどう関わりがあるのか?
美女ばかりが殺される理由、それが
本作品の二つめの謎であり、同時に
味わいどころとなっているのです。

それにしても、吉原花魁、柳橋芸者、
舞台女優と、各界のトップ美女ばかりに
蕩尽しまくるのですから、
奈良屋が破産するのも当然です。
事件そのものよりも奈良屋文七の方が
異彩を放っています。

本作品の味わいどころ③
横溝初めて挑む見立殺人

で、たまたま絵双紙を読んでいた
豆六の気づきによって、これらの殺しが
いわゆる「見立て殺人」であることが
明らかになるのです。
売れっ子作家・笹川米彦の書いた
最新作「色競三枚絵草紙」の
筋書きをなぞるように、
三つの殺人事件は起きていたのです。
しかも作中で殺害されたのは、
吉原花魁陸奥、両国桜屋お滝。
実際の被害者の奥州、お喜多と
酷似しているのです。

横溝の「見立殺人」といえば、
芭蕉・其角の俳句を見立てた
「獄門島」(1947年)、
架空の童謡を見立てた
「悪魔の手毬唄」(1957年)が有名です。

横溝自身、
マザーグース殺人事件を取り上げた
ヴァン・ダイン
「僧正殺人事件」のような作品を
書きたいという
希望をもっていたのです。
それが「獄門島」「悪魔の手毬唄」に
つながりました。
本作品は1940年発表。
ヴァン・ダインに触発された
見立殺人作品執筆への欲求が、
本作品の完成につながり、
その延長線上に
「獄門島」「悪魔の手毬唄」が
存在するのです。
横溝初挑戦となる「見立殺人」、
それが本作品の肝であり、同時に
最大の味わいどころとなるのです。

「人形佐七捕物帳」は
すべて短篇作品ですが、
これが「お役者文七捕物暦」のように
長篇作品となっていたら、
「獄門島」「悪魔の手毬唄」同様の
超傑作となっていた可能性があります。
その意味でも本作品は
注目すべき作品なのです。
ぜひご賞味ください。

〔作中の版元と浮世絵師について〕
主要登場人物の末尾に、
蔦谷重兵衛と歌川国貞の名前を
挙げました。両名とも
事件そのものには関係していません。
事件の鍵を握る
「三枚絵双紙」下巻の原稿の行方を探した
佐七がたどり着いた
版元と浮世絵師です。
蔦谷重兵衛は、
今年NHK大河ドラマ主人公の
蔦屋重三郎のもじりではないかと
思われます。
しかし浮世絵師の方は実在の人物の名を
そのまま使っています。
蔦屋重兵衛はもじりではなく、
実在する重三郎の関係者なのか?
調べてみると、
蔦重からのれん分けされた版元として
「蔦屋吉蔵」がありました。
同様にのれん分けされた一人の
可能性もあるのですが、
よくわかりませんでした。

(2025.1.31)

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「名月一夜狂言」
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