「三色すみれ」(シュトルム)

描き尽くされる、二人の心の揺れ動き

「三色すみれ」
(シュトルム/松永美穂訳)
(「みずうみ/三色すみれ/
  人形使いのポーレ」)
 光文社古典新訳文庫

イネスは夫ルドルフとともに
屋敷に入るが、
前妻の子ネージーは彼女に
なかなか馴染まなかった。
彼女はネージーだけでなく、
前妻の肖像画や
鍵のかけられた庭園など、
屋敷の一つ一つに
不安を感じてしまう。
彼女はやがて身ごもり…。

代表作「みずうみ」(1949年)で知られる
ドイツの作家・シュトルムの作品です。
若い新妻・イネスと
前妻の娘・ネージーの、
心の揺れ動きを描いた作品なのですが、
継母と継子の間に
ありがちなドラマではありません。
事件など全く起きないまま、
ただ二人の心の有り様だけが
描き尽くされている、
味わい深い作品となっています。

〔主要登場人物〕
イネス

…結婚し、夫の屋敷で
 生活するようになる。
ルドルフ
…イネスの夫。二度目の結婚となる。
ネージー
…ルドルフと前妻との間に生まれた娘。
マリー
…ルドルフの前妻。病死している。
アンネ…ルドルフの家の老家政婦。
ネロ…飼い犬。

本作品の味わいどころ①
若妻イネスの揺れ乱れる心理

詳しく記されていないのですが、
屋敷内には使用人が複数いることや
社交も盛んであることから考えると、
ルドルフはある程度の
資産家なのでしょう。
そして状況を勘案すると
ルドルフとイネスの年齢差は
大きなものがあるようです。
しかも前妻の娘がいて、
自分は継母の立場となるのです。
通常の若い男女の結婚とは
違っているのです。
若いイネスの心が揺れ乱れるのも
当然でしょう。

しかし、ことさら
大きな障害があるわけではありません。
夫の愛情が薄いわけでもなく、
ルドルフは誠心誠意、
彼女を愛しています。
継子との間が
うまくいかないといっても、
ネージーが反抗的な態度を
見せるわけではありません。
「ママ」とは呼ぶものの
「お母さま」とは呼ばない、
その程度なのです。
使用人たちの彼女に対する接し方も、
何も問題となるようなものは
記されていません。

おそらくイネスが
神経過敏であるとともに、
若すぎて人生経験を積まないまま
嫁いでしまったことに
原因があるのでしょう。
しかし、だからこそ、
イネスの心の揺れ動きは
読み手にリアルに伝わってくるのです。
大袈裟なドラマを用いずに、
若妻の不安な心を十二分に描出した
作者シュトルムの筆致を、
まずはじっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
幼いネージーの豊かな感受性

ネージーもまた
不安定な様相を見せます。
しかしそれは幼さゆえのものと
考えられます。
イネスを「お母さま」と呼ばない
(呼べない)のは、
そこに他意があるわけではなく、
彼女にとってのそれは
実母に対する呼称であり、
新しい母親イネスにも
使うべきものという感覚が
なかったのでしょう。

そして、イネスが身ごもったあとの、
老アンネとのやりとりなどを読む限り、
彼女は細やかな感性を持った
少女なのだと理解できます。
だからこそ継母と
なかなかしっくりいかず、
そして不安定な心情となるのでしょう。
大きな事件を筋書きに入れずに、
その瑞々しいまでの豊かな感受性を
浮かび上がらせた
シュトルムの心理描写を、
次にしっかり味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
あえて事件の起きない筋書き

つまり、そこに
筋書きの大きな展開はないのです。
事件も起きません。
普通の生活があるだけなのです。
それでいながら、
イネスとネージーの心の風景が、
実に緻密に描かれているのです。
私たちの精神も、
日々、何事も起きずとも、
漠然とした不安に
駆られるときもあれば、
心が塞いでしまうこともあるでしょう。
そうした人間本来の心の動きを
鮮明に描出したシュトルムの、
あえて事件の起きない筋書きを、
隅から隅まで
最後にたっぷりと味わいましょう。

薄味ではありますが、
上品な出汁を使った和食のような
味わいがあります。
代表作「みずうみ」にも似た
テイストですが、
明るい未来を感じさせる
爽やかな終末が特徴です。
ぜひご賞味ください。

(2025.2.17)

〔本書収録作品〕
みずうみ
三色すみれ
人形使いのポーレ

〔関連記事:シュトルム作品〕

「みずうみ」
「広場のほとり」

〔シュトルムの本はいかがですか〕
かつて岩波文庫から
いくつか出版されていましたが、
現在絶版中です。
古書をあたれば以下のようなものが
見つかるはずです。
「聖ユルゲンにて・
  後見人カルステン 他一篇」
「美しき誘い 他一篇」
「白馬の騎手 他一篇」
「三色菫・溺死」
「大学時代・広場のほとり 他四篇」

Ruslan SikunovによるPixabayからの画像

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