「人蟻」(高木彬光)

「本格推理小説」+「社会派ミステリ」の魅力

「人蟻」(高木彬光)角川文庫

父の代理で出向いた白浜で、
弁護士・百谷泉一郎は、
旧友の警察官・近藤から、
「井上力三」なる男の
失踪事件について聞かされる。
その名前は前日、
夜の酒場で声をかけられた男と
同一だった。
彼は独自に捜査を開始、
その行方を追うが…。

高木彬光といえば
神津恭介シリーズが有名ですが、
他にもまだまだ探偵・大前田英策や
検事・霧島三郎など、いくつもの
探偵役を生み出しているのです。
本作品は
弁護士・百谷泉一郎・明子夫妻シリーズの
第一作であり、二人が意気投合する
事件が描かれているのです。

〔主要登場人物〕
百谷泉一郎

…若手弁護士。二十八歳。
 ふとしたことから
 事件に巻き込まれる。
百谷義郎
…泉一郎の父親。弁護士。
百谷富美子
…泉一郎の母親。
大平明子
…天才的相場師。
 泉一郎の調査を手助けする。
大平信吾
…経済評論家。明子の父親。
 泉一郎の調査を好意的に見守る。
貝塚茂樹
…明子の従兄。前ロイター東京通信員。
 泉一郎の調査に協力する。
島源四郎坪井昌治
…明子が雇った探偵者の調査員。
井上力三
…泉一郎に夜の酒場で事件捜査を
 持ち掛けた男。
 翌日、白浜の旅館から失踪。
義原利之
…力三の勤務していた会社の社長。
八重子
…井上力三が失踪時に宿泊した
 旅館の女中。
古畑慶子
…力三の部屋から死体で発見された女。
 八光精糖に勤務していた。
越沼大作
…白浜の旅館に宿泊していた謎の男。
伊丹
…八光精糖顧問弁護士。
伊丹世津子
…伊丹の娘。泉一郎と見合いをする。
丹野ゆみ子
…白浜で泉一郎の顔を隠し撮りした女。
 明子と同じアパートに住む。
米倉欣治
…八光精糖社長秘書。
八坂鋭太郎
…八光精糖社長。
大友邦彦
…大物代議士。八光精糖と深く関係。
小沼洋助
…泉一郎の友人。証券マン。
 泉一郎に明子を紹介する。
近藤友弥
…泉一郎の旧友。
 和歌山県の白浜署警部補。
 井上力三失踪事件を捜査する。
上松晋輔
…百谷家と付き合いのある
 名古屋の弁護士。
山岡真吉
…名古屋の弁護士。
 井上力三の過去の事件を担当。
牧下龍作
…警視庁捜査一課警部。
シャロック・ホームズ
…泉一郎に書簡や電話で
 事件解明のヒントを与える人物。

本作品の味わいどころ①
本格推理+社会派ミステリの魅力

本作品が執筆された1959年当時、
それまでの「本格推理小説」が
読者に飽きられ、
「社会派ミステリ」が
台頭してきた時代です。
高木彬光はそうした時代の流れを
敏感に察知しながらも、
社会派に傾斜しすぎることを避け、
本格推理と社会派ミステリの折衷、
いや融合的作品分野を開拓したのです。
それまでの神津恭介を
「歴史ミステリ」とでもいうべき
「成吉思汗の秘密」で一度封印し、
作風をがらりと転換、
その第一作が本作品となるのです。

株の仕手戦、政財界の癒着と汚職、
戦後混乱期の不正蓄財など、
当時の社会情勢を素材とし、
「台湾糖密輸事件」
「ドミニカ糖輸入事件」
「砂糖会社株の買占め」などの
実在の事件を巧妙にちりばめ、
自身の創作を盛り込み、
一つの作品として仕上げているのです。
八光精糖なる架空の精糖会社の
スキャンダルを舞台として、
主人公・百谷泉一郎が
そこに巻き込まれるとともに、
事件の闇を暴くという
筋書きとなっています。
この、社会派ミステリ特有の
スケールの大きさと
本格推理の謎解きのスリルが
絶妙に絡み合った独特の面白さこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
弁護士&天才相場師カップル誕生

本格推理小説は探偵の存在感が命です。
主人公・若き弁護士・百谷泉一郎は、
本作品においてはまだまだ
成長途中の駆け出しであり、
存在感という点では
神津恭介の足もとにも及びません。
しかしそれを補っているのが
次回作以降は妻となっている
天才相場師・大平明子なのです。
まるで泉一郎をけしかけるように
捜査のための資金を提供し、
興信所から人材を派遣し、
調査の方向性を示唆し、
行動を共にするという
スーパー・ウーマンなのです。
このコンビなら、
本格推理の名探偵役に匹敵します。
この、
弁護士&天才相場師カップルという
異色の探偵コンビの強烈な存在感こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品で大きな成長を遂げた
百谷泉一郎です。
次作以降は妻・明子とどのような
活躍を見せるのか楽しみとなります。
ちなみに角川文庫には
「破戒裁判」「誘拐」「追跡」
「法廷の魔女」など、シリーズすべての
長篇作品が収録されています。

本作品の味わいどころ③
敵か味方か?謎の人物が百花繚乱

否応なく事件に巻き込まれる
百谷泉一郎ですが、
彼に接触してくる人物はみな
敵か味方か区別が難しい
描かれ方がしてあります。
白浜で泉一郎の顔を隠し撮りした
丹野ゆみ子は問題なく怪しいのですが、
何らかの秘密を知っている義原利之は、
泉一郎を頼ろうとしているのか、
それとも罠を張っているのか
判断がつきかねます。
大平信吾・明子の親子も、
泉一郎に対する好意の裏側に
何かを秘めていることは確かであり、
前半は怪しげな雰囲気を
漂わせていました。
シャロック・ホームズなる影の人物も、
味方かと思えば敵方の八光精糖側にも
情報をリークしており、
敵なのか味方なのか判別不能です。
泉一郎を翻弄するとともに
読み手をも疑惑の渦に引きずり込む、
百花繚乱ともいえる
謎の人物たちの暗躍こそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

さて、
社会派ミステリが浸透したときには
すでに創作意欲を失っていた乱歩
そして社会派ミステリには
見向きもしなかった横溝が、現代でも
相応の人気を保っているのに対し、
上手に時流に乗った高木が
現在、顧みられることが
少なくなっているのは
皮肉といえば皮肉です。
角川文庫版はすべて絶版となっており、
光文社文庫から復刊したものの一部が
細々と現在流通しているだけです。
宝の山のような作品群であり、
埋もれさせていいものでは
決してありません。
ぜひご賞味ください。もっとも
古書を当たるしかないのですが。

(2025.3.2)

〔関連記事:高木彬光作品〕

「成吉思汗の秘密」
「魔弾の射手」
「刺青殺人事件」

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sun jibによるPixabayからの画像

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