「黄泉から」(久生十蘭)

凝縮し、結晶化したような最後の一文

「黄泉から」(久生十蘭)
(「久生十蘭短篇選」)岩波文庫
(「文豪怪談傑作選・昭和篇」)
 ちくま文庫

ルダンさんの家庭塾には
光太郎ばかりではなく、
光太郎のただひとりの肉親である
従妹のおけいも
お世話になっていて、
ルダンさんの指導で
大学入学資格試験の
準備をすすめ、
この戦争がなければソルボンヌへ
送りこんでもらって…。

久生十蘭といえば
「骨仏」「生霊」といった、
ホラーやオカルト的な作品を
連想してしまいます。
本作品も「黄泉から」という表題から、
その類いであること間違いなしと思って
読み進めると、
なかなか幽霊は現れません。

〔主要登場人物〕
魚返光太郎

…美術品仲介業者。
 フランスでの八年の間に成功を収め、
 日本に帰国してきた。
ルダン
…光太郎のフランス語の師匠。
おけい
…光太郎の従妹であり、
 ただ一人の肉親だった。
 従軍し、ニューギニアにて病没。
千代
…ニューギニアでのおけいの同僚。
 光太郎を訪ねる。

本作品の味わいどころ①
霊体は現れない、しかし幽霊物語

現れるとすれば
おけいの霊なのでしょうが、
最後まで霊体は現れないのです。
冒頭に記したように、
なかなか幽霊は現れません。
しかしそれは表面上のことであり、
おけいの霊はしっかり現れ、
光太郎に「生前の約束」を
果たしているのです。
光太郎自身にもおけいの霊は
見えていないのですが、
彼女が黄泉から戻ってきていることを
実感しているのです。
詳細については
ぜひ読んでくださいとしか
言いようがありません。
この、霊体は現れないもののしっかりと
「幽霊物語」となっているその構成と、
「黄泉から」姿を見せずに現れた
おけい、そしてその使者・千代こそ、
本作品の第一の味わいどころと
なっているのです。
じっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
戦後の日本の姿を予見した先見性

主人公の魚返光太郎
(おがえりこうたろう)と、
その師・ルダンの対比が、
本作品に深みを与えています。
日本在住のフランス語教師ルダンから
仏語を学んだ光太郎は、
「フランスで美術史の研究を
するはずだったのが、
新進のアジャン・ア・トゥフェ
(万能仲買人)」となり、
成功を収めたのです。
八年間で蓄えた財をすべて絵画に替え、
終戦とともに
日本に「凱旋」してきたのです。
しかし彼はそのことに
引け目を感じているのでしょう。
師ルダンとの再会に、きまりの悪さを
感じているのがその証拠です。

再開した七月十三日、
ルダンは戦死した弟子たちの
供養をするために墓参りに行く途中、
一方の光太郎には
そうした意識はまったくなく、頭の中は
その日の商談でいっぱいだったのです。

心の平穏を願うルダンに対して、
金銭的な成功を目指す光太郎。
その姿は、戦後、
物質的な豊かさだけを追い求めた
日本という国の姿に重なります。
ルダンの台詞が印象的です。
「昨日わたしはみなの墓を
 廻ってみたんだけれども、
 掃除をしてあるのは
 ただの一つもなかった。
 日本人は戦争で死んだ人間などに
 かかずらっているひまは
 ないとみえる」

本作品が書かれたのは1946年。
終戦直後なのです。
この段階ですでに作者・久生十蘭は
戦後の日本の姿を
予見していたのでしょう。
その作者の先見性が見事に現れている、
ルダンと対比された光太郎の姿こそ、
第二の味わいどころとなるのです。
じっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
感動を呼ぶ凝縮された最後の一文

本作品は、幽霊小説のようでもあり、
日本の有り様を風刺した
作品のようでもあるのですが、
本質は純文学です。
その肝は最後の一文にあります。
紹介したいのですが、その一文は
抜き出してしまえば何のことか
さっぱりわからなくなります。
こちらもぜひ読んで確かめてください。

作者・十蘭の指示なのか、それとも
岩波文庫の編集者の創意工夫なのか、
あるいはただの偶然なのか、
最後の二行だけが
頁をめくったあとに現れるような
構成となっていて、
より効果を上げています。
初読の際、
私などは一気に感動が高まり、
涙がこぼれてしまいました。
紙の本の良さは
こうしたところにあります。

この最後の一文には、
光太郎のあるべき姿、
光太郎の忘れかけていた思い、
救われるべきおけいの魂、
日本人の有り様、
幽霊小説としての落としどころ、
そうした諸々の要素が
凝縮しているのです。
結晶化したような一文、それこそが
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと堪能しましょう。

没後六十年以上が経過しているのに、
いまだ人気の衰えない久生十蘭。
その代表作「黄泉から」を、
ぜひご賞味ください。

(2025.3.5)

〔青空文庫〕
「黄泉から」(久生十蘭)

〔「久生十蘭短篇選」岩波文庫〕
黄泉から
予言
鶴鍋
無月物語
黒い手帳
泡沫の記
白雪姫
蝶の絵
雪間
春の山
猪鹿蝶
ユモレスク
母子像
復活祭
春雪
 解説

〔関連記事:久生十蘭作品〕

「春雪」
「生霊」
「骨仏」

〔久生十蘭の本はいかがですか〕

〔「文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う」〕
来訪者 永井荷風
都会の幽気 豊島与志雄
沼のほとり 豊島与志雄
復讐 豊島与志雄
生霊 久生十蘭
黄泉から 久生十蘭
幽鬼の街 伊藤整
行列 「死と夢」より 原民喜
夢の器 原民喜
夢と人生 原民喜
鎮魂歌 原民喜
 解説 交歓と鎮魂と 東雅夫

〔ちくま文庫「文豪怪談傑作選」〕

JohnによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】

「黑髪」
「みかげ石」
「羊飼イエーリ」

【こんな本はいかがですか】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA