
「美醜」という切り口でゾラが見せるもの
「引き立て役」(ゾラ/宮下志朗訳)
(「百年文庫063 巴」)ポプラ社
みなさまの
美しきお顔に対しまして、
希少なるブス顔の
豊富なコレクションを
提供いたしたく存じます。
穴のあいた衣服は、
新しい衣服を引き立てます。
それと同じで、
当店のみにくい面々が、
みなさまの美しいお顔を
引き立てる…。
ゾラといえば「居酒屋」「ナナ」などの
長篇作品が知られていますが、
短篇でも秀作を発表しています。
本作品は女性を美しく見せるための
ブスを貸し出すビジネス
「引き立て役紹介所」を考えついた男が
題材となっています。
とはいえ、そこに筋書きはなく、
作者・ゾラは「美醜」という切り口で、
「引き立て役紹介所」が露わにする
パリという都会と
そこに住む人間の形を
描き出しているのです。
さて、どんな「形」が見えてくる?
〔登場人物〕
「わたし」…語り手。
デュランドー
…「引き立て役紹介所」を開業した商人。
本作品の味わいどころ①
美醜の心理的な側面
デュランドーが「引き立て役紹介所」を
開設するにあたってまず行ったことは、
当然「引き立て役」の人材確保です。
ところが「みにくい女性求む」の
求人ポスターを貼ったところ、
ブスなど一人も現れず、そこそこの
美人が数名現れるという始末。
デュランドーは悟るのです。
「自分はブスですなどと
ありもしないことを告白する
勇気があるのは、
美形の女性しかいない」。
人間の心理の微妙な点を
実によく分析しています。
「肥って悩んでいる」と公言する人間の
多くはけっして肥っていないのです。
この、一般大衆の心の形を、
「美醜」という切り口から開陳してみせた
ゾラの心理的分析手法を、
まずはじっくり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
美醜は相対的な尺度
「引き立て役」と一緒にいる人間の
美しさは、文字どおり
「引き立てられる」のであって、
けっして
「引き上げられる」わけではありません。
ゾラはそのことを直接書くことはせず、
ありとあらゆる描写を用いて、
くどいほど語ります。
美醜はあくまでも
相対的な尺度に過ぎないのです。
顧客は「引き立て役」とともに
いるからこそ、周囲から
「美しい」と感じられるのであって、
それがなくなれば
そうした視線も途絶えるのです。
顧客は「引き立て役」に対して
上から目線で接し、
満足しているのですが、それは単に
経済的な余裕があるからであり、
「美しい」からではないのです。
顧客の卑小さが
炙り出されているのです。
この、容姿にこだわる人間の
心の小ささと歪さを、
「美醜」という切り口から
具現化してみせたゾラの諧謔的表現を、
次にしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
美醜も販売用の商品
この「引き立て役紹介所」、
現代であれば(差別的であり、
あまりいい響きではないのですが)
「レンタル・ブス」といった
ところでしょうか。
美醜でさえも商品となり得る、
そんなおかしみがあります。
しかしそれは表面的なものであり、
ゾラはコントを書きたかったのでは
なかったはずです。
舞台は巴里。
当時の大都会です。
だから何でも商売として成り立ち、
何でも商品として
販売可能となるのです。
ゾラの空想の産物に過ぎない、
コントのような「引き立て役紹介所」の
描写の向こうに、都会の闇が
透けて見えてくるかのようです。
美しくなりたいという「需要」が
人間の欲望であるのと同様に、
それを満たす商品を「供給」して
対価を稼ぐのも
人間の欲望に過ぎません。
この、都会とそこに都会に群がった
人間集団の異常さを、
「美醜」という切り口から暴き出した
ゾラの先鋭的感覚を、
最後にたっぷりと味わいましょう。
そういえば日本でも、十年くらい前から
「おっさんレンタル」なるものが
登場しています。
「引き立て役」としての
おっさんではないようですが、
どんなものでも商品化できるというのは
十九世紀の巴里も二十一世紀の東京も
同じなのでしょう。
日本では長篇二作品以外、
紹介が遅れたゾラですが、
2003年になってようやく
藤原書店より
「ゾラ・セレクション」(全11巻)が
刊行され、
短篇作品も知られるようになりました。
「居酒屋」や「ナナ」を読む前に、
ぜひご試食ください。
(2025.3.19)
〔「百年文庫063 巴」〕
引き立て役 ゾラ
さぼてんの花 深尾須磨子
ミミ・パンソン ミュッセ
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