
「僕」のつぶやきは何に対してのものなのか?
「憎悪」(安部公房)
(「題未定 安部公房初期短編集」)
新潮文庫
(「安部公房全集001」)新潮社
さて、更めて言うが
僕が憎んだように
僕は君から憎まれた。
そのことについて
君は何時だったか
理屈は抜きにして
実証してくれと言ったっけね。
君は僕が正しさを
争っているとでも
想ったのだろうか。
笑うべきことだ。
その後で何故…。
安部公房の初期作品です。
やはりわかりません。
わずか十二頁(新潮文庫)の
掌篇なのですが、
「僕」のつぶやきで終始するのです。
それもおそらくすでに死亡していると
思われる相手「君」に対しての、
無意味とも思えるつぶやきなのです。
それをどのように解釈すべきか。
ある意味、どのようにでも
受け取ることができるのですが、
それを考えることこそ、本作品の
味わいではないかと思われます。
〔登場人物〕
「僕」…語り手。
※以下、「僕」の語りの中に現れる人物
「君」…「僕」が憎悪している対象。
※以下、「君」の遺品~「亡者達」
「生々しい現実」氏
「世界観」氏
「集団主義」氏
「弁証法」氏
本作品の味わいどころ①
「戦後の新しい価値観」vs「古い時代感覚」
本作品が書かれたのは1948年頃。
戦後まもなくです。
それを考えたとき、
真っ先に思い浮かぶのは
「戦後の新しい価値観」と
「それまでの古い価値観」の
対立でしょう。
安部に限らず、終戦直後の日本文学は、
民主主義や個人の生き方など、
新しい価値観を追求したものが
多かったのですから、可能性の
一つとして考えられるはずです。
しかし、だからこそあまりにも
当たり前すぎて、
安部作品の主題としては
妥当性を欠くともいえます。
本作品の味わいどころ②
「安部公房」vs「主義の異なる他の作家達」
「僕」にしても「君」にしても、
抽象的な描かれ方であり、
具体的情報は
ほとんど記されていません。
しかし両者がそれぞれ
小説家であることは
間違いないでしょう。
作家どうしの主義主張の違いから生じた
対立と見ることができそうです。
そう考えると当然
「僕」=安部公房であるはずです。
「生々しい現実」を
写実的に描くのではなく、
「デフォルメされた世界」もしくは
「抽象的概念で創られた世界」として
小説を創り上げる。
「世界観」「集団主義」ではなく、
「個人の内面」「精神世界」に
鋭く斬り込んでいく。
「弁証法」(矛盾を解消し
高い次元へと発展する働き)を否定し、
意図的に矛盾と対立を生み出していく。
安部の創作スタイルを考えたとき、
当てはまる点は多々あります。
もし具体的な作家たちを想定しての
「君」であるならば、それは
いったいどんな作家達なのか?
その点にも興味が膨らみます。
明治の時代には、
森鷗外が作品「杯」において、
自然主義作家たちを婉曲に否定した
ケースがありましたが、
本作品はその昭和版なのでしょうか。
本作品の味わいどころ③
「それまでの自分」vs「作家としての自分」
先程記したように、具体的事象が
ほとんど記されていない中、
「君」の死亡月日は
明確に「三月七日」となっています。
この日付は実は安部公房自身の
誕生日に当たります。
そうなると「僕」=安部でありながら、
「君」=安部でもあると
考えられるのです。
だからといって
単純な自己否定ではないでしょう。
本書(新潮文庫版)巻末の
解説にもあるように、考えられるのは
「それまでの自分」と
「作家としての自分」の衝突であり、
一種の自己分裂です。
それまでの一般人としての自分と
訣別して、
作家として自身の世界を
構築していこうとする
決意と考えることもできるでしょう。
さて、本作品と
共通する内容を含む作品が
「異端者の告発」です。
「僕」が「僕」を告発し、
「僕」が「僕」を殺害するという
その内容は、
本作品の発展形ともいえます。
本作品と「異端者の告発」を
続けて読むことが、
正しい味わい方なのかもしれません。
両作品を、ぜひご賞味ください。
(2025.4.2)
〔「異端者の告発」について〕
本作品の完成形としての
「異端者の告発」は、
1948年に完成したのち、
1968年に大幅改訂されています。
改訂した以上、
安部の最も伝えたかった形が
「1968年改訂版」といえるでしょう。
ところが、その
「異端者の告発(1968年改訂版)」は、
かつて新潮文庫「夢の逃亡」に
収録されていましたが、
現在は絶版となっています。
読むとすれば
古書をあたるしかありません。
また、「1948年初稿版」は、
新潮社の「安部公房全集第1巻」に
収録されているのですが、
高価である上、そろそろ流通が
怪しくなってきています。
「憎悪」
「異端者の告発(1948年初稿版)」
「異端者の告発(1868年版)」の中で、
完成形は入手が難しく、
原形作品だけが文庫本で
流通しているという
「ねじれ現象」が起きています。
〔「題未定 安部公房初期短編集」〕
(霊媒の話より)題未定
老村長の死(オカチ村物語(一))
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
解題 加藤弘一
解説 ヤマザキマリ
〔「安部公房全集001」〕
問題下降に依る肯定の批判
題未定(霊媒の話より)
秋でした
中埜肇宛書簡 1
中埜肇宛書簡 2
中埜肇宛書簡 3
或る星の降る夜
旅よ
中埜肇宛書簡 4
旅出
阿部六郎宛書簡
神話
僕は今こうやって
いてつける星
中埜肇宛書簡 5
君が窓辺に
もだえ
夜の通路
ひとり語
中埜肇宛間簡 6
ユァキントゥス
詩と詩人(意識と無意識)
嵐の後
歎き
静かに
暁は白銀色に
中埜肇宛書簡 7
観る男
そら又秋だ
誠に愛を
僕のふれたのは
友来てぞ
没落の書
老村長の死(オカチ村物語1)
没我の地平
中埜肇宛書簡 8
第一の手紙〜第四の手紙
様々な光を巡って
死
化石
厚いガラスや
白い蛾
無名詩集
中埜肇宛書簡 9
中埜肇宛書簡 10
終りし道の標べに
四章・書出しに
牧草
中埜肇宛書簡 11
中埜肇宛書簡 12
悪魔ドゥベモオ
憎悪
異端者の告発
タブー
生の言葉
Memorandum1948
名もなき夜のために
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