
「幽霊」そのものではなく、その役割を味わうべき作品
「もうひとり」
(H.ジェイムズ/大津栄一郎訳)
(ヘンリー・ジェイムズ短篇集)
岩波文庫
伯母の屋敷を相続した二人の
独身老女スーザンとエミリー。
孤独に飽いていた二人は、
屋敷を売却せずにそこで
共同生活を営むことにした。
ある夜、スーザンは
部屋の中で男の幽霊と遭遇する。
それはやがて
エミリーも目にするが…。
「幽霊」は本当にいたのか、
それとも「わたし」の幻覚か。
H.ジェイムズの「ねじの回転」は、
それが読み手の不安を強烈に煽る、
巧妙な仕掛けのされた作品でしたが、
本作品のテイストも
それに近いものがあります。
短篇作品「もうひとり」です。
「幽霊」そのものではなく、
筋書きにおける「幽霊」の役割を
味わうべき作品であると
いえるでしょう。
〔主要登場人物〕
スーザン・フラッシュ
…遺産を相続した一人。年長。
外国生活が長かった。外見は地味。
エミリー・フラッシュ
…遺産を相続したもう一人。
スーザンより十歳年下。
外見はやや派手。
パッテン
…牧師。スーザンとエミリーから
古い手紙の解読を託される。
「幽霊」
…二人の屋敷に現れた(と思われる)
幽霊。パッテンの調べにより、
二人の先祖
カスバート・フラッシュらしいことが
判明。
本作品の味わいどころ①
読み手を困惑させるための「幽霊」
「ねじの回転」同様に、
「幽霊」が現れたのかどうか不明です。
最初にスーザンが目撃し、
続いてエミリーも遭遇したという
記述になっているのですが、
可能性は以下の4パターンになるかと
思われます。
⑴幽霊は現れた
a:二人とも実際に目撃した
b:スーザンは目撃、エミリーは虚偽
⑵幽霊は現れていない
→スーザンは幻覚を見た
c:エミリーも幻覚を見た
d:エミリーは話を合わせた
どのようにも考えることができるため、
読み手は何度も頁をめくり帰して
検証しなければならないのです。
その過程こそが
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
展開の巧みな素材としての「幽霊」
「幽霊」が現れたのかどうか、
その結果に関わらず、
本作品の「幽霊」は
読み手にもほとんど恐怖を与えず、
もちろん二人のミス・フラッシュにも
明確な「恐怖」を与えてはいません。
一応、単なる幽霊ではなく、
「見るも恐ろしい様子で」
「顔を一方にかしげて」いる
「幽霊」なのです。
パッテン牧師の調べにより、
どうやら二人の先祖であり、
密輸が発覚して絞首刑となった
(だから首が曲がっている!)
カスバート・フラッシュらしいことが
明かされるのですが、それでも
恐怖感はほとんど湧かないのです。
強いて言うなら「幽霊」が二人に
与えたのは「嫉妬心」でしょうか。
又従姉妹どうしでありながらも
それまでお互いに他人だった二人が
共同生活を始めたのです。
しかも二人は独身のまま年を取り、
それまでの生活を
大きく変化させるのには
困難がともなうはずです。
「幽霊」に対する嫉妬心によって、
二人の関係はぎくしゃくとしたものと
なるのですが、見方を変えれば、
「幽霊」はぎくしゃくした関係が見せた
「幻覚」ととらえることもできます。
「幻覚」と仮定した場合、
どちらが原因で、
どちらがその結果なのか、
それもまた判別が困難です。
本作品における「幽霊」は、
展開の巧みな素材として
用いられているのです。
それこそが本作品の
第二の味わいどころとなっています。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
二人の「かすがい」としての「幽霊」
二人は「幽霊」の「贖罪」のために
何かをしようと画策します。
スーザンの策は失敗し、
エミリーのそれは奏功し、
「幽霊」は現れなくなるのです。
二人の関係性は修復され、
その後の共同生活の幸福な様子を
予感させる結末の描写が現れます。
「フラッシュ家のふたりのいとこは
連れ立って家のなかに向かった」。
そしてエミリーは語るのです。
「とにかく、いまでは、
彼も満足しているわ」。
結果として「幽霊」は、
(存在したしないに関わらず)
この二人の老女の「かすがい」の役目を
果たしたともいえるのです。
そうした「幽霊」の役回りと
物語の静かな幸福を感じさせる結末こそ
本作品の最後の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
それにしてもH.ジェイムズの
作品の鑑賞は難しいものがあります。
「幽霊」のもたらすホラー的要素を
そのまま受け止めても
作品の面白さが見えてこない一方、
心理的な要素を読み解こうとして
考えすぎても
筋書きの巧妙さが隠れてしまうという
厄介な一面を持っているのです。
H.ジェイムズの作品群は、
再読を必要とする性質の文学であり、
だからこそ難解なのですが、
だからこそ味わい深く、
だからこそ名作といえるのだと
思います。
ぜひご賞味ください。
(2025.4.23)
〔「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」〕
私的生活
もうひとり
にぎやかな街角
荒涼のベンチ
解説

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