「人形使いのポーレ」(シュトルム)

穏やかな時間が流れていきます

「人形使いのポーレ」
(シュトルム/松永美穂訳)
(「みずうみ/三色すみれ/
  人形使いのポーレ」)
 光文社古典新訳文庫

旅回りの人形芝居を観た
「わたし」は、夢に
人形カスペルルが現れるほどに
魅了されてしまう。
人形使いの娘・リーザイと
知り合いになった「わたし」は、
舞台小屋を覗き見ることに
成功するが、そこで
カスペルルの人形を
壊してしまい…。

代表作「みずうみ」(1949年)で知られる
ドイツの作家シュトルムの作品です。
語り手「ぼく」が、
年の離れた友人(として語られるが、
実際は師弟的な関係性が強いと
思われる)の結婚記念日に
招かれた場面からはじまりますが、
そこは額縁部分であり、
本編はその友人・パウルの
打ち明け話となっています。
しみじみとした語り口で
読み手を魅了する作品となっています。

〔主要登場人物〕※本作品は入れ子構造
「ぼく」
…額縁部分の語り手。
 かつて旋盤加工の得意な青年だった。
「わたし」(パウル・パウルゼン)
…本編部分の語り手。
 美術品を加工・修理する職人。
パウルゼン夫人
…パウルの妻。
ヨーゼフ・テンドラー
…旅回りの人形使い。機械工。
 「わたし」の住む町へ興行に来る。
レーゼル・テンドラー
…ヨーゼフの妻。娘に厳しい母親。
リーザイ・テンドラー
…ヨーゼフの娘。
 「わたし」と親しくなる。
カスペルル
…ヨーゼフの人形。
 「わたし」が壊してしまう。
ガブリエル
…町の布地商人の老人。「わたし」と
 リーザイに余り布を分けてくれる。
「おかみさん」
…「わたし」が働く工房のおかみさん。
リースヒェン
…老いたヨーゼフの助手として
 人形芝居を演じる女性。
シュミット
…「わたし」に敵意を抱いている職人。

本作品の味わいどころ①
幼い日の「わたし」の冒険と初恋と別れ

幼い日の「わたし」(パウル)は、
旅回りの人形劇を観て、
夢にその人形・カスペルルが
現れてしまうほどに
魅せられてしまいます。
現代日本では
想像がつかないことですが、
作品の舞台はおそらく
十八世紀末から十九世紀初頭にかけての
ドイツの田舎町です。
家の中にも外にも
娯楽などあろうはずがありません。
そこに珍しく訪れた旅回りの興行です。
夫婦で演じる人形劇であっても、
子どもにとっては
興奮するほどの体験だったのでしょう。

その一座の娘・リーザイと
知り合うことができた「わたし」は、
カスペルルを間近で見てみたいという
願いが叶うのですが、
衝動を抑えきれずに人形を動かそうと
試み、誤って壊してしまいます。
その夜の興行中に不具合が発覚し、
叱責を恐れたリーザイと「わたし」は、
客席の下の空間に潜り込み、
夜を明かします。
幼い子どもにとってそれは、
運命の回転であり、
恐怖の瞬間であり、
胸躍る冒険であったに違いありません。

ドイツ文学です。
一瞬、ヤママユガの美しい標本を
壊してしまったエミール少年のような
悲劇が待ち構えているのかと
思いましたが、
穏やかな時間が流れていきます。
リーザイ一家とはそれが縁で
親密な関係を築くことができるのです。
しかし旅回りの興行ですから、
当然のごとく別れもまた訪れるのです。
そこに描かれる
幼い日の「わたし」の小さな冒険、
自覚のないままの初恋、
そして人生で初めて経験する別れ、
それらすべてが本作品の
第一の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
テンドラー父娘との偶然で素敵な再会

そこまでが本編前半部分ですが、
後半はそこから十二年の歳月を経ての、
青年期の思い出が語られていきます。
「わたし」は修行で滞在していた町で、
ヨーゼフとリーザイの父娘と
再会するのです。
不幸の底にあった親子を、
「わたし」が救い出します。
結果として「わたし」もリーザイも
幸福を得る筋書きとして
本編は幕を閉じるのです。この、
テンドラー父娘との偶然の再会と、
その後の素敵な結末こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
しっかりと味わいましょう。

なお、老ヨーゼフだけは
さらなる不幸から逃れることは
できないのですが、
そこには救いもまた用意され、
悲劇で終わらない
配慮がなされています。

本作品の味わいどころ③
シュトルムには数少ない幸福な筋書き

表題にある「ポーレ」とは、
本編の語り手
パウルの愛称のことであり、
パウルを指しています。
しかし額縁部分で「ぼく」が聞きつけた
その呼び名は実は
蔑称であることが明かされます。
「わたし」はその蔑称に
怒りを覚えながらも
「じつのところ、その言葉は
 人生がわたしにくれた最上のものを
 意味しているんだ」
と、
その経緯に誇りすら感じているのです。
その言葉通り、
本作品は幸せな結末であり、
シュトルム作品特有の
「やるせなさ」は感じられません。
この、シュトルムには数少ない
幸福な筋書きであることこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

それにしてもシュトルムの作品は
味わい深いものばかりです。
筋書きに大きな展開の変化がないため、
若い方にとっては
薄味に感じられるかもしれませんが、
これこそが文学作品の
上質な「味」なのです。
ぜひご賞味ください。

(2025.5.14)

〔本書収録作品〕
みずうみ
三色すみれ
人形使いのポーレ

〔関連記事:シュトルム作品〕

「みずうみ」
「三色すみれ」
「広場のほとり」

〔シュトルムの本はいかがですか〕
かつて岩波文庫から
いくつか出版されていましたが、
現在絶版中です。
古書をあたれば以下のようなものが
見つかるはずです。
「聖ユルゲンにて・
  後見人カルステン 他一篇」
「美しき誘い 他一篇」
「白馬の騎手 他一篇」
「三色菫・溺死」
「大学時代・広場のほとり 他四篇」

KanenoriによるPixabayからの画像

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