「岸辺のヤービ」(梨木香歩)

まるで童話の姿を借りた大人向けの哲学書

「岸辺のヤービ」(梨木香歩)
 福音館書店

学校近くの小さな湖にボートを
浮かべていた「わたし」は、
二足歩行する
ハリネズミのような、
これまで見たことのない
不思議な生き物と出会う。
彼を驚かさないように、
「わたし」は手にしていた
ミルクキャンディーを
そっと置いて…。

梨木香歩の「岸辺のヤービ」を
ようやく読むことができました。
出版元が童話で有名な
福音館書店であるため、
子ども向けの簡単な物語だろうという
思い込みがあり、
これまで読み控えていました。
読んで驚きました。
童話のように見えて、
扱っている主題は大人が読んでも十分に
読み応えのあるものばかりです。

〔主要登場人物〕
ヤービ

…不思議な生き物・クーイ族の男の子。
 ある種の人間と会話のできる
 特殊な個体。
パパ・ヤービ
…ヤービのお父さん。蜂飼い。
 「クーイ族史」を執筆中。
ママ・ヤービ
…ヤービのお母さん。
マミジロ・ヤービ
…ヤービの叔父さん。ヤービと同じく
 「わたし」と会話できる。詩人。
セジロ・ヤービ
…ヤービの従妹。
 拒食症だったが回復する。
ママ・セジロ
…セジロ・ヤービのお母さん。
 ヤービの叔母さん。
 拒食症の娘を心配する。
トリカ
…ベック族の女の子。
 タガメのストロー屋の娘で
 あることを恥じている。
エイラ
…トリカの母親。
ヘルゲアウリキ
…トリカのおじさん、おばさん。
キャリミリ
…トリカの乗る二羽のキジバト。
ヨン
…ヤービが見つけた
 ハナアブ族のなかまの幼虫。
「ほのおの革命家」
…どれいたちを解放した伝説の人、
 らしい。
「わたし」
…語り手。湖の岸辺でヤービと出会う。
 「ウタドリ先生」と呼ばれている。
カンヌキさん
…「わたし」の勤務する学園の庭師。

本作品の味わいどころ①
「小さいもの」と「大きなもの」の関わり

知性を持った小さな生物との交流を
描いた児童文学はいくつもあります。
それらは多くの場合、
人間とは異なる生き物という
設定となっています。
本作品のヤービも
「直立二足歩行するハリネズミ」様の
生物であり、
人間とは異なる生物なのですが、
その区別の表現に、
作者の生命観が反映されています。
ヤービの側からは人間を「大きい人」、
「わたし」はヤービのなかまたちを
固有名詞で言い表し、
生物種としての違いが
目立たないようにしてあるのです。
したがって、語り手「わたし」は、
ヤービを自らと同等な存在と
とらえている、もしくは自らと同じ
自然の一部と見なしているのです。

出会いの場面から素敵です。
「わたし」は礼節を持ってヤービに接し、
ヤービは怖がるでもなく
ましてや卑屈になるのでもなく、
堂々と応対しています。
異質なものどうしであるからこそ、
そこには欠いてはいけない礼節がある。
当たり前でありながらも、
私たちがしばしば忘れている
大切なことに気づかせてくれます。
描かれている「大きなもの」と
「小さなもの」との関わりこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
他の生命を奪って生きることへの問い

筋書きの前半部で、拒食症となった
セジロ・ヤービの苦悩が描かれます。
他の生き物を食べることによって
生きているということに対する疑問は、
これもまた古くから繰り返されてきた
問いかけといえるでしょう。
ミルクやポリッジ(作中に登場する、
蜂の子の脱皮した抜け殻)など
命を奪わない食材を模索する過程を
描きながらも、ヤービたちは
その厳しい現実と向き合い、
答えを見つけ出そうとするのです。
「食事をするときにはね、
 こころのなかで、
 ごめんね、っていうんだって。
 それで、いただきます、って
 いうんだって。
 それでも足りない気がするときは、
 いただきますの前に、
 『たいせつに』と、
 いただきますのあとに、
 『から』ってつけるんだって」

子どもたちに、
生きることに対する根源的な問い、
他の生物を奪って生きることへの
問いかけこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
気候変動に対する一つの考え方の提示

そして筋書きの終盤では、
「大きな人」たちによる気候変動によって
ヤービたちの岸辺も
やがては生活を維持することが
困難となることが語られていくのです。
ほのおの革命家は、
早い段階で北に移動し、
一族の生活を再構築していく
必要があることを説くのですが、
ヤービも「わたし」も違和感を覚えます。
ヤービは迷いながらも
一つの解答を見つけ出すのです。
それは稚拙であり、理想論であり、
お花畑的発想であるかもしれませんが、
確かな答えでもあるのです。
そしてそこには人間もまた
自然の一部であるという作者・梨木の
自然観が明確に表れているのです。
気候変動という現実を
そのまま映し出した問いに対して
提示された作者の見解こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

子どもが読んでしっかり楽しめる
童話であることに間違いはないのですが
そこに描き出されている諸問題は
あきらかに大人向けでしょう。
まるで童話の姿を借りた
大人向けの哲学書のような
印象を受けます。
主にヤービ目線で
書かれているのですが、
随所に「わたし」の視点からの語りが
挿し挟まれているからなのでしょう。
子どもと大人のどちらを想定した
作品なのかという疑念を持たれる方も
いらっしゃるのではないかと
思うのですが、本作品は
子どもが読んでも親しみやすい世界が
広がっているとともに、
大人が読んでも深い思索ができるという
ハイブリッドな作品と
とらえるべきでしょう。
「童話なんて」と思っているあなた、
ぜひご賞味ください。

(2025.5.21)

〔梨木香歩のヤービ・シリーズ〕
すでに続編、続々編が登場しています。
そちらも読んでみたいと思います。

〔同じ傾向の作品〕
本作品を読み、
佐藤さとるのコロボックル・シリーズを
連想してしまいました。
こちらも不朽の名作となっています。
「だれも知らない小さな国」
「豆つぶほどの小さないぬ」

MenielDMによるPixabayからの画像

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