「暗黒星」(黒岩涙香)

一九〇〇年の世紀末思想を体感する

「暗黒星」(黒岩涙香)(「暗黒星」)
 桃源社

「暗黒星!暗黒星!」
遙かに天の一方に、
怪しき暗黒星が
現われたとの信号が、
火星世界の天文台から
発せられた。
此の信号が
ヒマラヤ山の絶頂にある
我中央天文台に達し、
全世界に電光信号を以て伝えた。
此の時の世界は、もはや…。

日本探偵小説の嚆矢といえる黒岩涙香
その作品の多くは
海外作品の翻案でしたが、
それはミステリに限らず、
SFにも広がっています。
本作品はシモン・ニューコム(現在では
サイモン・ニューカムと表記される)の
「The End of the World」の
翻案となっています。

〔主要登場人物〕
「理学博士」

…暗黒星と太陽の衝突の結果として
 起こる災害を予測し、
 理学研究所の地下深くに避難する。
「哲学博士」
…太陽は暗黒星が衝突しようとも
 不変であることを力説し、
 人心の混乱を収めようとした。

本作品の味わいどころ①
一九〇〇年の世紀末思想を体感する

暗黒星なる天体が太陽に衝突し、
そのため太陽の輝度が
桁違いに大きくなり、
その影響で人類が死滅するという、
いわゆる「終末SF」なのです。
原作者ニューカムが
本作品を発表したのが一九〇〇年。
当時流行していた「世紀末思想」、
いわゆる高度に発達した
資本主義の行きづまりと
神を見失った人間の不安を反映した
十九世紀末の思想が、そのまま
ストレートに反映された作品なのです。

しかし何分にも120年前のSFです。
描かれている数千年後の人類の社会は
異様です。
火星に存在する火星人と
光による信号でコンタクトしている
(言語は通じていない)、
科学が究極的に進歩したにもかかわらず
人類は宇宙へ踏み出していない、
新聞をいまだに戸別配送している
(しかもアメリカで)、等々、
現代からすると、「過去」と「近未来」が
ごちゃ混ぜになっていて、
噴飯ものです。

しかし、
十九世紀末の読み手の視点に立って
冷静に作品に接すると、
そこには産業革命以来積み上げてきた
科学技術や資本主義、
近代思想や近代国家なるものが、
いかに無力なものであると
認識していた
(あるいは誤解していた)のか、
ひしひしと伝わってくるのです。
この、一九〇〇年の
世紀末思想を体感することこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
浮かび出るニューカムの科学的思想

宇宙規模での厄災を描いた
SFですから、宇宙船などが
登場してもよさそうなものですが、
数千年後の未来であるにもかかわらず、
人類は地球から飛びだしていません。
ニューカムが「空飛ぶ機械を造ることは
不可能だと信じていた」ことは
有名であり、
その考え方が表れています。
超高感度の観測機器が
登場してもよさそうなものですが、
描かれている天体望遠鏡のスペックは、
十九世紀末から進歩していません。
ここにもニューカムの
「我々は天文学について
知ることができる全ての限界に
近づいている」(1888年)の言葉を
反映したものとなっています。

実はニューカムの本業は科学者であり、
特に天文学の分野で
優れた功績を残しているのです。
「科学は限界まで解き明かした」という
彼の感覚は、
SF作家としては夢のないものですが、
最先端を走っていた
科学者の感覚としては
妥当なものだったのでしょう。
そうした作者ニューカムの
科学的思想を読み取ることこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
海外作を選び抜く涙香の先鋭的感覚

ニューカムが一九〇〇年という、
世紀末思想という点では
タイムリーな時期に発表した本作品を、
黒岩涙香は一九〇四年の段階で翻案し、
新聞発表しています。
情報伝達の方法が限られ、
速度も格段に遅かった当時、
あまたある欧米の流行作品を
いち早く察知して選び抜く、
黒岩涙香の鋭敏な嗅覚に脱帽です。
さらにはその作品を入手し、
自らの手で翻訳して紹介する作業は、
超人的ですらあったはずです。

しかもそのまま「翻訳」しただけでは、
明治の日本の読者に
受け入れられないということを
理解していた黒岩は、
人名・地名をできるだけ日本のものに
置き換えるとともに、
(日本の)読者向けに
筋書きの一部も変更、
文章も日本語として
リズム感あるものへと
独自の改編を加えているのです。
したがって「翻訳」ではなく
「翻案」ということになるのです。
この黒岩涙香の先鋭的感覚こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

さすがに涙香作品は、紙媒体では
なかなか読めなくなってきました。
本書も古書から見つけたものです。
幸いにして本作品は、
青空文庫で読むことができます。
ぜひご一読を。

(2025.05.30)

※本書に収録された本作品は、
 二段組みであり、上段が涙香の翻案、
 下段に英語の原文が収録された
 面白い構成のものです。
 英語の得意な方なら比較して、
 涙香の「翻案」がいかなるものか
 味わえるはずです(私には無理)。

〔青空文庫〕
「暗黒星」(黒岩涙香)

〔「暗黒星」桃源社〕
破天荒
八十万年後の社会
暗黒星
※「破天荒」はジョージ・グリフィス
 「空中新婚旅行」が原本、
 「八十万年後の社会」は
 あのウェルズ「タイム・マシン」
 原本となっています。

〔関連記事:黒岩涙香作品〕

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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