「さぼてんの花」(深尾須磨子)

カムフラージュに見えて実は伏線

「さぼてんの花」(深尾須磨子)
(「百年文庫063 巴」)ポプラ社

あなたはわたしというものに
愛想をつかすだろうか。
いかに相弟子とはいいながら、
はじめて逢った彼に、
しかも異邦人の彼に
送って貰ったり、
一緒にポルトの杯を
空けたりするわたしに。
しかしわたしはこんなことを
口にするだけ…。

深尾須磨子の本作品を、
初めて読む方は戸惑うと思います。
「わたし」なる語り手が
「まあ公」なる人物に宛てて綴った
手紙文が延々と続くのです。
手紙ですから当然何かを伝える
必要があってのことなのでしょうが、
最後まで読まなければ
わからないしくみになっているのです。

〔主要登場人物〕
「わたし」

…語り手。手紙文の書き手。
 つまりは作者自身。
コレット
…フランスの女流作家・
 シドニー=ガブリエル・コレット。
E先生
…オーボエ奏者。
 「わたし」のオーボエの師匠。
「彼」
…E先生の通い弟子。
 「わたし」と知り合う。
まあ公
…「わたし」が手紙を宛てた先。
 おそらくは「わたし」の親しい友だち。

本作品の味わいどころ①
コレットの手紙でカムフラージュ

いきなりコレットの手紙文
(コレットの作品「夜明け」の
冒頭部らしい)からはじまります。
まさか作家コレットとの往復書簡?と
思わせる書き出しなのです。
続いて「わたし」の手紙文本文が
開始するのですが、
そこで述べられているのは、
以下のように
他愛のないことばかりなのです。
⑴コレットの「近著」
 (冒頭の手紙文が一部となっている)が
 安値で入手できたこと。
⑵コレットと夫との離婚後の関係性
 (共同親権)
⑶コレットの手紙文に書かれてある
 「さぼてんの花」の特殊性
⑷オーボエの音色について
⑸西欧の個人主義について
⑹富について(金持ちへの非難)
ほぼ世間話なのです。
何も物語ははじまりません。
言いたいことがあるのに、
それを言えずに
もじもじしているような印象なのです。
このコレットの手紙から始まり
世間話へとつなげている前半部は、
いったい何を
カムフラージュしているのか?
それを考えることこそ
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
オーボエの話題でカムフラージュ

その世間話が一段落すると、
いよいよ中盤戦に入るのですが、
ここでも伝えたいことの核心には
触れられません。
前述⑷に続き、
オーボエの話題がはじまるのです。
「わたし」はE先生(どうやらオーボエの
大家らしい)に師事していたのですが、
近ごろまた習い始めたことから始まり、
E先生の人柄、
そしてオーボエの音色の叙情性について
とくとくと語り始めるのです。
もちろん
これも何かを隠しているのです。
このオーボエの話題が
あちこちへと飛び火する中盤部は、
いったい何を
カムフラージュしているのか?
それを考えることこそ本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
カムフラージュに見えて実は伏線

オーボエの話題の末に、
「彼」が登場します。
伝えたいことは「彼」との
邂逅だったことが、
終盤にさしかかってようやくわかる
仕掛けになっているのです。
なんだそうだったのか!と、
そこからさらに考えさせられるのです。

前半・中盤は、
決して「彼」との報告をためらう
「もじもじ」でもなければ
「カムフラージュ」でもなく、
核心を仄めかすための
「伏線」だったことに気づかされます。
コレットは奔放な性を描いた作家、
本作品の表題となっている
「さぼてんの花」は時期を逃すと
二度と味わえない貴重な機会の暗喩、
オーボエの欠けたオーケストラが
聞くに堪えないのと同じように
叙情性のない人生は
むなしいものである等々、
核心部分を効果的に開陳するための
下準備だったのです。
詳しくはぜひ読んで
確かめてくださいとしか
言いようがありません。
この「もじもじ」やカムフラージュに
見せかけて、実は伏線だったという
巧妙な仕掛けこそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

若い女子のであればSNS等で
「やっちゃった」の一言で
済ませそうなことなのですが、
時代が戦前であること、
フランスはともかく日本では
女性が「性」について語ること自体が
破廉恥と考えられていたこと、
親子ほどの年齢差があったことなど、
ストレートに書き綴るには、
ハードルがかなり高かったものと
推察できます。
もちろんこれは
親友「まあ公」に宛てた「手紙」ではなく、
読み手に向けて書かれた「作品」です。
上品さを保ちながら
湧き出てくる情感をものの見事に
文字に起こすことに成功した、
高度な技巧の施された小説なのです。
深尾須磨子の逸品、
ぜひご賞味ください。

(2025.6.25)

〔「百年文庫063 巴」〕
引き立て役 ゾラ
さぼてんの花 深尾須磨子
ミミ・パンソン ミュッセ

「引き立て役」

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