
格調高き文体から繰り出される「ジョーク」
「喜寿童女」(石川淳)
(「女体についての八篇 晩菊」)
中公文庫
「わたし」が手に入れた
古書「妖女伝」には、
喜寿祝いの夜、忽然と姿を消した
江戸の名妓・花女の
「その後」が書かれてあった。
花女は千賀一榮なる人物によって
清朝伝来の秘術を施され、
色道に通じた十一歳の童女に
転生したのだという…。
石川淳というと、硬い文章、
格調の高い文体で作品を編む、
真面目な作家という
印象を持っていました。
これまで読んだ「マルスの歌」「明月珠」が
そうだったからです。
しかし…、
このような作品を残していたとは!
〔主要登場人物〕
「わたし」
…語り手。入手した「妖女伝」に
描かれている花女の物語と、
自身の考察を語る。
花
…江戸の名妓。色道を究める。
喜寿祝いの夜に行方不明となる。
秘術により十一歳の童女となり、
再び七十七年の生を与えられる。
千賀一榮
…江戸の似非医師。
清朝伝来の秘術により、
花女を十一歳の童女に転生させ、
権力に取り入る。
徳川家齊
…江戸幕府第十一代将軍。
童女となった花を寵愛する。
伊藤博文
…明治の日本の政治家。
ハルビン駅にて暗殺された。
本作品の味わいどころ①
スーパー娼婦として花女転生
千人斬りを達成したという名妓・花女。
容姿の美しさはもちろん、
男を満足させる技術に
長けていたのでしょう。
さらに現代でいうところの
「セックス依存症」とも考えられます。
一方で、
一説には千人もの女性を囲っていたと
いわれている江戸城「大奥」。
それを司る将軍家齊は、
通常の性交には
もはや満足できなくなり、
閨中に珍奇を求め出した
顛末が語られます。
需要があれば供給がある。
しかもそれはwinーwinの関係となる。
その結果、
生み出されたのが「喜寿童女」。
十一歳の童女の姿にて、
熟練の秘技を繰り出す妖女。
通常ではあり得ない存在なのです。
男性の究極的な欲望を
具現化したものともいえます。
ロリータ趣味と肉体の渇望、
その両者を満足させる
「喜寿童女」の存在そのものこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかり味わいましょう。
さて、
その童女に転生した花女と
将軍家齊の夜の営みを描いてしまえば、
本作品はC級ポルノ小説と
堕してしまいます。
そのような場面は一切ありません。
ただ寵愛されたという一節のみ。
ところが江戸期に書かれた
「妖女伝」とともに
「わたし」が入手した
明治末期に書かれたであろう古書
「妖女伝続貂」
(しょくちょうと読むそうな)。
そこにはなんと
十一歳の姿のままの花女が
伊藤博文の愛玩物として
最後を迎えた旨が
描かれてあるというのです。
この筋書きの広がりもまた
味わいどころといえるでしょう。
本作品の味わいどころ②
虚実入り乱れた歴史エンタメ
もちろんそのような転生術が
実際にあるわけでもなく、
それどころか花女なる名妓も
怪しげな似非医師・千賀一榮も、
作者による創作上の人物に過ぎません。
しかしその一方で、
歴史上の人物(家齊、伊藤のみならず、
水野忠邦の名も登場)や、
喜多村香城、栗本鋤雲などの
明治の文化人の名前など、
「真実」も多々記されています。
また、このような一節もあります。
「かの十一代将軍も、今また春畝公も、
両位の英雄ともに
行年六十九をもって薨じたることを」
(※「春畝公」=伊藤博文の号。
「薨じる」
=位の高い人物が亡くなること)。
調べてみると、両者は
ともに六十九歳で亡くなっていて、
ここにも「真実」が
挿し入れられているのです。
挟まれた「真実」によって
「虚偽」もまた真実味を帯びてくるという
絶妙な効果を上げているのです。
この、虚実入り乱れた
歴史エンターテインメントこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
格調高き文体で壮絶ジョーク
さらに「虚偽」の真実味を高めているのが
作者・石川淳の格調の高い文体です。
冒頭の一文
「江戸下谷数寄屋町の妓に
花というものがいた。
このもの、容姿と捷悟と多芸と、
またすこぶる浮気の性をもって
嬌名一時に鳴った」からすでに
学術論文のような固さです。
それでいて終末には、
「伊藤博文の遺品である
旅行用のシナ鞄がひらかれたとき、
その鞄の底に、あまたの
淫具の下にうずもれて」という
一節も挿入されているのです。
あの伊藤博文は変態だった!?
ところどころに
こうした冗談では済まされない「虚偽」が
織り込まれているのです。
結果として作品全体が
一つの高級ジョークとして
完成しているのです。
もちろん石川は文学者として
本作品を著したことは間違いなく、
そこには「和製幻想怪奇小説の試み」や
「歴史と幻想を織り交ぜた
新規の文学の形態」といった方向性、
そして「人間の欲望それぞれの対比」
(家齊の色欲、花女の性欲、
一榮の権力欲)や
「時間や身体の概念の
文学的問い直し」などの文学的主題が
存在していることは確かなのですが、
それ以上に作者の「ジョーク」の方が
完成度高く反映されているのです。
この、格調高き文体から繰り出される
「ジョーク」こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
さて、Copilotにて
石川淳の文学的特徴を質問してみると、
「ジャンルの融合や言語表現の実験が
特徴的」であること、
「神話や伝奇、SFなど
異なるジャンルの要素が
巧みに組み合わされて」いること、
「語呂合わせや言葉遊びを駆使し、
リズム感のある文章を
作り上げること」などの
回答を得ることができました。
確かにその通りです。
現代の新しく現れてくる作家も
魅力的ですが、
まだ十分に知られていない
魅力ある作家たちに出会うことも
読書の楽しみなのです。
石川淳の素敵な作品を、
ぜひご賞味ください。
※余談ですが、もし伊藤博文の霊魂が
心情を語るとすれば、
暗殺されたことへの無念さではなく、
本作品における変態性欲者としての
描かれ方への
異議申し立てではないかと
想像してしまいます。
(2025.7.4)
〔「女体についての八篇 晩菊」〕
美少女 太宰治
越年 岡本かの子
富美子の足 谷崎潤一郎
まっしろけのけ 有吉佐和子
女体 芥川龍之介
曇った硝子 森茉莉
晩菊 林芙美子
喜寿童女 石川淳
〔本作品が収録されている本〕
講談社文芸文庫刊
「影/裸婦変相/喜寿童女」にも
収録されています。

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