
短編小説と随筆との中間にひろがる曖昧な領域の「旨味」
「永日小品」(夏目漱石)
(「文鳥・夢十夜」)新潮文庫
雑煮を食って、
書斎に引き取ると、
しばらくして三四人来た。
いずれも若い男である。
その内の一人が
フロックを着ている。
着なれない所為か、
メルトンに対して
妙に遠慮する傾きがある。
あとのものは皆和服で、
かつ不断着のまま…。
第一作「元日」の冒頭部分を
抜粋してみました。
夏目漱石の小品集「永日小品」です。
1909年(明治42年)の1月から
新聞掲載された
小品を集めたものであり、
日常から材をとった
随筆ともいえる作品や、
ロンドン留学中の
思い出話のようなもの、
さらには「夢十夜」とテイストの似た
幻想的作品と、
趣の異なる二十五篇が
集められています。
〔「永日小品」収録作品〕※青空文庫へ
元日
蛇
泥棒
柿
火鉢
下宿
過去の匂い
猫の墓
暖かい夢
印象
人間
山鳥
モナリサ
火事
霧
懸物
紀元節
儲口
行列
昔
声
金
心
変化
クレイグ先生
この全二十五作品、
何か一貫したテーマが
あるわけでもなさそうです。
思いつくまま書いてみました、
というような印象さえ受けます。
今回はこの二十五篇を
「漱石が振り返る過去」
「漱石が見つめる未来」
「漱石が語る怪奇幻想」の三つに
無理矢理分類し、
それを「味わいどころ」として
取り上げたいと思います。
本作品の味わいどころ①
漱石が振り返る過去
二十五篇を通して読んだときに
目立つのは、
英国留学中の思い出を綴った作品です。
「下宿」「過去の匂い」「暖かい夢」「変化」
「クレイグ先生」などが
それにあたるでしょう。
ただし単純なエッセイかというと、
そうではありません。
「暖かい夢」などは、
留学中における劇場での観劇体験を
表現したものですが、
象徴的な描かれ方となっていて、
何やら夢で見た風景のような
印象を受けます。
単純に昔を振り返って綴ったような
エッセイ的作品としては
「元日」「泥棒」「火鉢」「山鳥」「紀元節」が
挙げられるでしょう。
「泥棒」などは「吾輩は猫である」の
一場面と似ており、
両者は同一の素材から
スタートしたのではないかと
想像できます。
「永日」での漱石の淡々とした視点と、
「吾輩」での猫目線で見た人間の
狼狽ぶりとの対比が面白く味わえます。
また、過去の長編作品に
盛り込めなかった部分を
短編として表現したかのような作品も
見受けられます。
「猫の墓」は、
あまりにもあっけなく死んでしまった
「吾輩」の猫の死を、
リライトしたかのような
出来映えとなっています。
また、「昔」は、
「倫敦塔・幻影の盾」(新潮文庫)に
収録された作品群と似たテイストです。
その時期に書き漏らしたことを表現した
一篇のようにも感じられます。
このように、
漱石が振り返る過去を、読み手も
一緒になって体験することこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
漱石が見つめる未来
その一方で、
「実験策」的なものも散見されます。
「柿」「印象」「人間」「懸物」「儲口」
「行列」「声」「金」などはそのような
手触りを感じさせる作品です。
特に、薩摩芋の取引で、
相手の志那人から
法律の罠を仕掛けられて大損した
商人の話をそのままストレートに
書き表した「儲口」などは、
のちの「こころ」の原点のような
匂いがする作品となっています。
小説となり得る様々な素材やテーマを
模索したような作品たちなのです。
このように、
漱石が見つめる日本文学の未来の形を、
読み手も一緒になって
思考することこそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
漱石が語る怪奇幻想
明治の文壇においても作家たちは
怪奇幻想小説を手がけています。
漱石とて例外ではありません。
本作品中では、
「蛇」「モナリサ」「火事」「霧」「心」が
それに該当するでしょう。
特に「モナリサ」が秀逸です。
主人公・井深が八十銭で買い入れた
女性の肖像画は、
果たしてダ・ヴィンチの描いた
「モナリサ」だったのか否か。
明治の日本の古物商が
所有していたはずはありませんから
まったくの幻想なのでしょうが、
ロマン溢れる作品となっています。
このように、漱石が語る
明治日本の怪奇幻想小説の原風景こそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
本作品を初読した際は、その本質が
まったく理解できなかったものの、
新潮文庫の巻末解説によって、
なんとなくわかるようになった
記憶があります。
「日本の近代文学には
〈小品〉と呼び慣わされた
独自のジャンルがある。
小説ともつかず、感想ともつかず、
いわば短編小説と随筆との
中間にひろがる曖昧な領域なのだが、
小説のように身構えることをしない、
いたって自由な語りくちが、逆に、
小味ながら
あざやかな感動をたたえていたり、
ふかい情感に裏づけられた新鮮な
表現を手に入れていたりする」。
繰り返して読めば、その「旨味」を
存分に味わうことができるはずです。
ぜひご賞味ください。
(2025.7.18)
〔青空文庫〕
「永日小品」(夏目漱石)
〔「文鳥・夢十夜」新潮文庫〕
文鳥
夢十夜
永日小品
思い出す事など
ケーベル先生
変な音
手紙
〔「永日小品」が収録されている文庫本〕
〔怪奇幻想小説としての「永日小品」〕
ちくま文庫刊
「文豪怪談傑作選・明治篇・夢魔は囁く」
には、「永日小品」から
「蛇」「モナリサ」「火事」「霧」「心」の
五篇が収録されています。
こちらも愉しめます。
〔漱石の本はいかが〕

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