「小説 すずめの戸締まり」(新海誠)

「災害時における人間のあるべき姿」の体現

「小説 すずめの戸締まり」(新海誠)
 角川文庫

鈴芽の見つけた古い扉。
その扉の向こうに
足を踏み入れようとした
鈴芽だったが、
向こう側に広がっている
奇妙な世界へは
行くことができなかった。
足元から
ささやきかけられたような
気がして、そこにあった
猫型の石を引き抜くと…。

映画は見たのですが、小説版は
ずっと後回しになっていました。
ようやく読みました。
映画の余韻が思い出されます。
素敵な物語です。
当然、小説には映画と違って
視覚的なスペクタクルはありません。
しかし主人公・鈴芽の
一人称「私」で書かれた本作品は、
より一層読み手の心を
鈴芽自身に引きつけ、彼女の魅力を
大きく感じさせてくれるのです。
味わいどころはズバリ、
「私」・鈴芽という
キャラクターの魅力です。

〔主要登場人物〕
「私」(岩戸鈴芽)

…語り手。高校二年生。草太と出会い、
 ともに扉を閉める作業を行う。
宗像草太
…「閉じ師」として日本各地の扉を
 閉めるために旅をする青年。
 鈴芽の持っていた子ども用椅子に
 姿を変えられてしまう。
岩戸環
…鈴芽の叔母。両親を亡くした鈴芽を
 引き取っている。

…環の同僚。環に心を寄せる。
千果
…愛媛の民宿経営者の娘。高校二年生。
 鈴芽と友だちになる。
ルミ
…スナック経営者。鈴芽を車に乗せ、
 自宅に宿泊させる。
…ルミの子ども。
ミキ…ルミの店のアルバイト。
芹澤朋也
…草太の友人。鈴芽と環を乗せて
 東北まで同行する。
宗像羊朗
…草太の祖父であり師匠。
 東京の病院に入院中。
絹代…草太のアパートの大家。
マミ…鈴芽の同級生。
ダイジン
…鈴芽が引き抜いた要石が変化した
 猫(神獣)。草太を椅子の姿に変える。
サダイジン
…東北へ向かう鈴芽の前に現れた
 二匹目の神獣。

味わいどころ・鈴芽の魅力①
臨機応変で積極果敢な行動力

まず目につくのは、鈴芽の行動力です。
平凡な生活を送っていた女子高生が、
ある日突然、
夜のフェリーに乗って冒険を始める。
準備は全くなし
(現代はスマホ一つあれば
なんとかなってしまう)。
ヒッチハイクもすれば
知り合って間もない
芹澤の車に乗ったりもする。
決して多くはないであろう貯金を、
スマホ決済で迷わず切り崩して
自らの行動を前に進める。
「思いつき」のように見えるのですが、
そうではなく
「臨機応変」な姿勢であり、
「柔軟」な考え方であり、
瞬間に下す「正確な判断」なのです。
映画では次から次へと降りかかる災難に
振り回されているように
感じたものですが、
こうして小説版をじっくり読むと、
その鈴芽の行動力こそが
物語の魅力となっていることに
気づかされます。
この、臨機応変で積極果敢な
鈴芽の行動力こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

味わいどころ・鈴芽の魅力②
困難に立ち向かう強い精神力

そして鈴芽のタフなメンタルに
圧倒されます。
東京の一件では、
身も心もボロボロになりながらも、
リスタートの備えをします。
その過程の描写が
すさまじいまでの迫力を伴っています。
靴が脱げ、血で汚れた靴下、
ところどころ破れた服、
全身が泥と擦り傷だらけ。
その状態で地下道から脱出、
コンビニでスマホ充電
(現代ではこれが必須!)、
入院中の草太の祖父から教えを請い、
最終的に草太の部屋にたどり着く。
普通の物語であれば曖昧に
ごまかされる場面なのでしょうが、
細部もしっかりと描かれ、
鈴芽の強い精神が
浮き彫りとなっています。
映画でも同じように
感じたことなのですが、
その鈴芽の幾多の障害に
くじけずに立ち向かう姿こそが
キャラクターを超えて作品そのものの
魅力となっているのです。
この、困難に立ち向かう
鈴芽の強靱な精神力こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

味わいどころ・鈴芽の魅力③
優しさに裏打ちされた共感力

だからといって鈴芽は一人で突っ走って
いるわけではありません。
味方が次々に現れるとともに、
鈴芽自身もその力を借りて
適切に立ち回っているのです。
愛媛では千果と出会い、宿泊と食事、
そして着替えを
提供してもらっています。
神戸ではルミの部屋で
宿を取ることができました。
そして東京では芹澤の協力を得て
東北までたどり着けたのです。

うまくいきすぎといえば
その通りですが、ご都合主義と
とらえるべきではないでしょう。
結果が良好なものとなっているのは、
鈴芽が積極的に
周囲の人物に関わっていること、
ギブ&テイクの関係性を
無意識のうちに
上手につくり上げていること、
そして何よりも相手の立場に立ち、
深い共感を示していること、
そうした鈴芽の優しさがもたらした
結果なのです。
一人称「私」で語られる小説版の方が、
この点においても
その内面的なやりとりが実感できる分、
説得力があります。
この、たぐいまれな
コミュニケーション力の
源となっている、
優しさに裏打ちされた
鈴芽の共感力こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

こうしてみてみると、
鈴芽のキャラクターは、
単なる冒険少女ではなく、
「災害時における人間のあるべき姿」を
体現したものであると考えられます。
私たちが感じる
巨大災害の恐ろしさに対して、
意識下でこうありたい、
こうあるべきだと考えている姿こそ、
本作品の主人公・鈴芽の行動であり
思想なのです。
冒険ストーリーとしてとらえたとき、
鈴芽の行動は
「現実味に欠ける」ものとして
読み手の目に映るでしょう。
しかし本作品の根底にある
「巨大災害に向き合う」という
主題に照らし合わせたとき、
その行動は何ら奇異なものではなく、
「そうでなければならないもの」として
認知されるはずなのです。

今、日本人は、
迫り来る巨大地震の影とともに、
少子高齢化・人口減少・地方消滅という
ゆるやかな人為災害の足音の
二つに怯えながら
日々を暮らしています。
鈴芽のようにその現実を直視し、
受け止め、向き合い、
その「扉」を一つ一つ丹念に
閉めて回らなくてはならないのです。
しかし日本人の多くは
そのことに気づかず、あるいは
気づいていても気づかないふりをし、
「扉」を閉めるどころか
開け放しにしたまま次の「扉」を
開けることを繰り返しています。
映画からも小説からも、
その現状に対する
激しい警鐘が聞こえてくるのは
私一人ではないはずです。
多くの方にぜひ読んでほしい一冊です。

(2025.9.24)

〔関連記事:新海誠作品〕
「小説 君の名は。」
「小説 天気の子」

〔映画「すずめの戸締まり」〕

Tech_DezignによるPixabayからの画像

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