「變目傳」(広津柳浪)

傳吉に見る「純愛」の一つの形

「變目傳」(広津柳浪)
(「今戸心中 他二篇」)岩波文庫

容貌の醜い傳吉は、
得意先の仁壽堂主人の妹・お濱に
想いを寄せる。
仁壽堂の徒弟・定二郎は
それを面白がり、
お濱の「冩眞挾」を
譲り渡す約束で、
傳吉に遊ぶ金を工面させる。
蓄えも底をつき、
店を抵当に借りた金の
返済が迫った傳吉は…。

明治の文豪・広津柳浪の短篇作品です。
表題の「變目傳(へめでん)」とは、
主人公・傳吉への蔑称の一つで、
「醜い顔をした傳吉」の意味なのです。
本作品は、
そうした差別の蔓延した社会の中で、
ボタンを一つ掛け違えたがために
坂道を転げ落ちた主人公の、
悲しい物語なのです。

〔主要登場人物〕
傳吉

…洋酒問屋・埼玉屋を営む勤勉な青年。
 低身長で容貌が醜い。
 「變目傳」と蔑まれている。二十七歳。
勝之助
…薬種店・仁壽堂主人。
 傳吉の店を贔屓にしている。
お濱
…勝之助の妹。
定二郎
…勝之助の従弟。仁壽堂で修行中。
 傳吉を遊びの道へ誘う。
三吉…仁壽堂の小僧。
お鍋…仁壽堂の女中。
常藏…伊勢谷の番頭。
竹村…傳吉に金を貸した高利貸し。
「母」…傳吉の母親。
長太郎…傳吉の店の小僧。

傳吉とはどのような人物か?
それがまず本作品を味わう上での
重要な要素です。
働き者であり、
奉公先の主人の信用を勝ち取り、
いち早く店を持たせてもらった
勤勉な青年なのです。
しかし身体的な、
どうにもならない特徴がありました。

「身材いと低くして、
 且つ肢體を小さく生れ付きたり。
 丈は三尺一寸」

27歳で身長120cm程度ですから
低身長症と考えられます。
「左の後眥より頬へ掛け、
 湯傷の痕ひッつりになりて、
 後眥を竪に斜めに釣寄せ、
 右の半面に比ぶれば、
 別人なる如く見ゆ」

顔面に幼少時の火傷が
痛々しく残っているのです。
それら先天性と後天性の障害を
持っているがために、
「變目傳」だけではなく、
「一寸法師」「蜘蛛男」など、
侮蔑的な呼び方をされているのです。

本作品の味わいどころ①
不幸へ突き進む傳吉の悲しさ

商売は順調にいっていた傳吉ですが、
人間それだけで幸せにはなれません。
二十七歳の青年です。
そろそろ結婚を考える時期なのですが、
傳吉ははなからそれを諦めています。
当然です。
明治の時代、道行く人々から
露骨に蔑まれている醜い容貌の人間に、
嫁に来てくれる女性が
いるはずがないのです。
だからこそ得意先の娘・お濱の笑顔は
傳吉にとって唯一の光明だったのです。
お濱にその気がなくとも、
定二郎から脈のありそうなことを
吹き込まれているのですから、
傳吉はそれを真に受けてしまうのです。

そこから不幸が始まります。
作品冒頭では、愚かな青年の演じる
明るい恋愛小説のような
雰囲気がありましたが、
筋書きの進行とともに暗雲が広がり、
最後には悲劇的結末を迎えるのです。
詳しくはぜひ読んで
確かめてくださいとしか
言いようがありません。
この、不幸へ突き進んでしまった
傳吉の悲しさこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
明治の時代の日常的な「差別」

では、描かれる周囲の人物たちは
悪意ある人間なのか?
決してそのようには
描かれていないところが、
現代からすれば
逆に恐ろしさを感じてしまいます。
傳吉に道を踏み外させた定二郎は、
ただただ未熟でありこそすれ、
決して悪人ではないのでしょう。
傳吉の醜さを話の種に盛り上がる
定二郎・三吉・お鍋の三人も、
そこに悪気を感じていないはずです。
つまり、傳吉に対する差別的な態度は、
ごく当たり前のものとして
表出されているのです。

文学作品には良くも悪くも、
必ずその時代の空気感が表れます。
広津柳浪だけではなく、
明治(だけでなく昭和までも)の
文学作品の多くに、
そうした日常的に存在する「差別」が
刻み込まれているのです。
本作品が傳吉を主人公に据え、
傳吉の悲劇を主題にしている以上、
その舞台背景を
最大限読み味わう必要があるのです。
この、明治の時代の
日常的な「差別」の実態こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
傳吉に見る「純愛」の一つの形

「悲惨小説」とも呼ばれることのある
本作品、しかしながら注目すべきは
「恋愛小説」としての側面でしょう。
彼の悲劇は借金が返済できなくなった
末のことなのですが、
その始まりはお濱の「冩眞挾」
(おそらくはフォト・フレームの
ようなものか)を譲り受けるという、
ただそれだけの願いから
生じたものなのです。

定二郎の嘘に、どこかで気づいても
良さそうなものですが、
それができなかったところもまた
恋愛によって盲目となった
傳吉の心の有り様なのでしょう。
「愚か」と決めつけずに、
傳吉の心に寄り添うように
読み進めたとき、
その純粋なる愛情のきらめきに、
読み手も心を動かされるはずです。
この、
傳吉に見る「純愛」の一つの形こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

さて、以前も記しましたが、
この広津柳浪は
1861年生まれの作家であり、
当サイトで取り上げた作家では
森鷗外(1962)より一年年上であり、
福沢諭吉(1935)、
呉文聡(1951)に次ぐ
生年となっています。
本作品発表も1895年(明治28年)、
なんと130年前に
書かれたものとなります。
だからこその
深い味わいのある作品です。
本作品が収録された岩波文庫版は
旧字体であり、
印刷も現在とは異なり不鮮明で、
読みづらさこの上ないのですが、
貴重な一冊であることは
間違いありません。
ぜひ古書で探してご一読を。

(2025.10.13)

〔「今戸心中 他二篇」〕
變目傳
今戸心中

 父、柳浪のこと 廣津和郎

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