「アルテーミー・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコーフスキー」(A.K.トルストイ)

大文豪?いや、アレクセイ…

「アルテーミー・セミョーノヴィチ・
  ベルヴェンコーフスキー」
(A.K.トルストイ)
(「19世紀ロシア奇譚集」)
 光文社古典新訳文庫

旅の途中、「私」は
故障した馬車の修理のために、
やむなく奇怪な建築様式の屋敷に
立ち寄る。
応対した執事から、
屋敷への宿泊を
強く勧められた「私」は、
その申し出に従う。
しかしほどなくして姿を見せた
屋敷の主人の姿はなんと…。

「怪談集」は
世界のどの国にもあるのです。
日本なら「足のない幽霊」や「妖怪」、
イギリスなら「亡霊」「幽霊」、
フランスは「怪奇幻想小説」として
まとめられるのでしょうか。
当然、ロシアにも存在します。
近代ロシアの怪談を集めた本書
「19世紀ロシア奇譚集」、
その冒頭の一作は
どのくらい恐ろしいのか?

〔主要登場人物〕
「私」

…語り手。旅人。馬車の修理のために
 立ち寄った屋敷で歓待される。
アルテーミー・セミョーノヴィチ・
ベルヴェンコーフスキー

…屋敷の主人。陽気な
 マッド・サイエンティスト。
トレペチンスキー
…屋敷の執事。主人の
 「永久機関」発明に困惑している。

本作品の味わいどころ①
吸血鬼?いや、脳天気なエセ科学者

一夜の宿を申し出たら
快く泊めてくれた、
しかしその夜になると…、という
筋書きなら、「吸血鬼」をはじめとして
いくらでもあるでしょう。
本作品は、夜まで待たなくても、
恐ろしい格好の主人が姿を現します。
「窓のそばを中年の男が走りすぎた。
 身につけているものといえば
 鬘と靴のみ」

なんともいえない
別の意味の「恐ろしさ」です。
この主人、五時から六時までは
裸で散歩するという奇行の持ち主。
吸血鬼ではなく変質者なのです。

主人の奇行はそれだけではありません。
そのあと
「三十分間、雄叫びを上げる」のが
日課なのだというのです。
吸血鬼ではなく、もしや狼男?
その懸念はわずか数秒で払拭されます。
やはりただの変人です。

夕食の後に「私」が
主人から見せられたものは…。
駆動装置未発見のまま造られた
「永久機関」、
濾過すればきれいになる水を出す
「浄水機」、
三人の男が巨大な円筒を回して
ひな鳥を焼き上げる「串焼き器」、
そのほか
「三角帽子型吊り下げ式洗面器」、
「旅行用衣装箱剃刀付き」、
「ピストル型インク壜」、
「一押しすれば屋根が
バラバラになるように設計された
火災対応家屋」、
いかれた発明品がこれでもかとまで
押し寄せてきます。
この、吸血鬼と見せかけた、
脳天気なエセ科学者
アルテーミー・セミョーノヴィチ・
ベルヴェンコーフスキーの存在こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
被害者?いや、付きあいのよい「私」

旅を急ぐ「私」は、
その主人の発明品紹介に一週間もの間、
つきあわされるのです。
被害者もいいところです。
相手が吸血鬼でなかった分、
その被害は軽微なのですが、
さすがにこれでは怒るでしょう…、
と思いきや、この語り手「私」は、
その状況を
それなりに楽しんででいるのです。
「彼の話は、とりわけ
 マシンのこととなると、
 わくわくするくらい面白かった」

それだけでなく、何か起きることを
楽しんでいる様子も見られます。
あてがわれたベッドを見ると、
「触れたとたんに、
 気球にでも変わるんじゃないか、
 はたまた浄水機にでも
 変わるんじゃないか」

この、被害者かと思われた「私」の、
なかなかにつきあいのよい性格こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
恐怖話?いや、抱腹絶倒の大滑稽譚

というわけで、
怪談でも何でもありません。
ジョークの連続なのです。
そもそも主人の名前からして
受け狙いです。
「アルテーミー・セミョーノヴィチ・
ベルヴェンコーフスキー」。
長すぎます。
しかも文中では
一応省略されているとはいえ、
ファースト・ネームだけではなく、
「アルテーミー・セミョーノヴィチ」と、
名+父称で表記され、
煩わしい限りです。

文体や背景描写には、
おどろおどろしさなど一切なく、
どこまでも明るいユーモラスに
満ちあふれています。
映像化したら、
さぞかし面白いコメディが
できあがるのではないかと思われます。
この、恐怖話のかけらすら見えない、
抱腹絶倒の大滑稽譚としての
仕上がりこそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

こんな素敵な作品を書いたのは、
なんとトルストイ
えっ、あのトルストイは、
「アンナ・カレーニナ」や
「戦争と平和」のような
大文学作品だけでなく、
こんな作品も書いていたのか!?
いやいやちがいます。
そちらはレフ・トルストイ。
こちらは
アレクセイ・コンスタンチノヴィチ・
トルストイ

本書ではアレクセイ・トルストイと
表記されているのですが、
ロシアの作家には
アレクセイ・ニコラエヴィチ・
トルストイ(おもにSF小説を書いた)も
いるので紛らわしい限りです。
表記に正確を期すなら
アレクセイ・コンスタンチノヴィチ・
トルストイ。
したがって本作品は、
アレクセイ・コンスタンチノヴィチ・
トルストイの書いた
「アルテーミー・セミョーノヴィチ・
ベルヴェンコーフスキー」となるのです。
大文豪?
いや、アレクセイ・
コンスタンチノヴィチ・トルストイ。
ぜひご賞味ください。

(2025.11.5)

〔「19世紀ロシア奇譚集」〕
アルテーミー・セミョーノヴィチ・
 ベルヴェンコーフスキー

  A.K.トルストイ
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  ヴェリトマン
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どこから? ソロヴィヨフ
乗り合わせた男 アンフィテアトロフ
クララ・ミーリチ―死後
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