「抱きつく瀕死者」(小酒井不木)

反則技を繰り出す豪腕記者探偵・春木三郎

「抱きつく瀕死者」(小酒井不木)
(「大雷雨夜の殺人」)春陽文庫

真夜中の銀座の裏町を歩いていた
新聞記者・春木。
「水!」と叫んで
彼に抱きついてきた男は、
なんとそのまま絶命してしまう。
その男の顔には見覚えがあった。
彼のなじみのカフェの
「昔のいい人」らしいのだ。
春木は調査を開始するが…。

医学ミステリで知られる小酒井不木
その最晩年(昭和4年)の作品です。
抱きついてきた男がそのまま急死。
新聞記者・春木は
事件をどう解決するのか?

〔主要登場人物〕
春木三郎

…H新聞社会部記者。
 殺人事件に遭遇し、調査をする。
榛原鋭男
…春木に抱きついてきて絶命した男。
 毒物により殺害されたらしい。
鬼頭三造
…榛原が亡くなる前、
 「明暗」で一緒に飲んでいた旧友。
「質屋の主人」
…榛原が時計を質入れしていた質屋の
 主人。裏では阿片窟を営んでいる。
時枝蔦江
…カフェ「明暗」の女将。
 榛原とかつて関係していた。
まゆみ
…カフェ「明暗」の女給。
 春木が惚れている。

本作品の味わいどころ①
反則技の記者探偵!春木三郎

主役はもちろん探偵役の春木三郎です。
探偵するくらいですから、
頭の回転は速そうです。
しかし金田一耕助や神津恭介のような
切れ者推理をするわけではありません。
「ずるさ」が
前面に押し出されているのです。
悪い人間ではなさそうですが、
「ずるさ」からくる反則技が
いくつも繰り出されます。

まず、
自分に抱きついたまま死亡した男の
記事をスクープにするため、
警察への通報を意図的に遅らせます。
これは時間が深夜であるため、
自分が先に記事を仕上げ、
他紙の記者が締め切りに
間に合わないようにする策略です。
しかもあろうことか
死体の所持品のうち、二点を持ち出し、
警察の捜査を遅らせているのです。
その後の、なじみのカフェの女将から
死亡した男の身元を聞き出す
テクニックも
だまし討ちに等しいやり方です。
最後には、犯人に関わりのある人物の
写真を手に入れるやいなや、
刑事が同行しているにもかかわらず、
それを自身のポケットに
しまい込むという
大胆不敵な荒技まで披露します
(おおらかすぎる警察も
どうかと思うのですが…)。

最後はそんな自分に
嫌気がさしたのでしょうか。
新聞社を辞し、
女学校の教師になったことが記されて、
物語は幕を閉じます。
したがって名探偵・春木三郎は、
本作品一作限りの
名探偵に終わっています。
これをシリーズ化していたら、
他の作家の探偵たちとは
異なったキャラクターの
名探偵が誕生していたのではないかと
思われます。
この、反則技を繰り出す
豪腕記者探偵・春木三郎の存在こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
医学ミステリ、主役は薬物か

表題ともなっている
冒頭部の「抱きつく瀕死者」は、
おどろおどろしい幕開けなのですが、
怪奇色が見えるのはその部分のみです。
死亡の原因は薬物中毒。
春木と出会う数分前に毒物を飲まされ、
そこで絶命しているのです。
春木に抱きついたのも
たまたまそこに春木が居あわせただけで
理由などありません。
本作品の主眼はそこではなく、
「薬物」なのです。
実は死因以外にも
「薬物」が絡んでいるのです。

容疑者とされた鬼頭と被害者・榛原は、
直前まで阿片窟で
薬物遊びにふけっていたのです。
しかもこの二人はかつて、
製薬会社を立ち上げようと
資金を集めていた経緯があるという、
「薬」仲間の二人なのです。
難しい医学の話は出てこないものの、
主役は薬物という、
本作品はソフトな医学ミステリです。
この、薬物を前面に押し出した演出こそ
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
最後に明かされる意外な犯人

本作品、短篇であるため当然ですが、
登場人物は限定的です。
被害者・榛原と
直前まで阿片窟で吸引していた鬼頭が
最も怪しい一人です。
彼は榛原と製薬会社立ち上げを
計画していたのですが、
榛原は資金を持って蒸発、
その後の再会ですから動機も十分です。
また製薬会社を
経営しようとするくらいですから、
薬物の知識もあったに違いありません。
しかしその阿片窟の主人も
十分に怪しいのです。
動機こそ不明ですが、
阿片窟ですから裏街道の悪人です。
殺人を犯しても不思議ではありません。
さらに榛原とかつて交際していた
カフェ「明暗」の女将も
怪しいそぶりを見せます。
まったく絞りきれない犯人像ですが…、
最後は意外な人物が
犯人として姿を現します。
後出しじゃんけん的な
要素はあるものの、
読み手の裏をかく筋書きであり、
十分に愉しめました。
この、最後に明かされる意外な犯人こそ
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

小酒井不木は医学博士でありながら、
多数の探偵小説を執筆、
しかも乱歩や横溝に先駆けての
探偵小説界の寵児として
君臨したのです。
わずか39歳の若さで昭和4年(1929年)
夭折したのですが、本作品は
不木の死後2ヶ月後に雑誌発表された、
いわば絶筆となった作品なのです。
現代のミステリと比較してしまうと
物足りなさを
感じられるかもしれませんが、
これぞ昭和初期の探偵小説なのです。
ぜひご賞味ください。

〔新聞記者の探偵役について〕
新聞記者が探偵役を務めるケースは
探偵小説では珍しくありません。
当時の新聞記者は、
警察よりも早く現場に駆けつけ、
独自のネットワークで情報を掴む
「行動派のインテリ」という
イメージがあり、
ミステリの主人公として
動かしやすいキャラクターだったのです
(現代の警察記者クラブに
たむろする連中とはまったく異なる)。
しかも警察ではできない
荒技捜査をさせるには
うってつけであるということも
理由の一つでしょう。

有名なところといえば、
横溝正史の三津木俊助が挙げられます。
由利先生の片腕としての
ワトスン役が多いのですが、
「悪魔の家」「猫と蠟人形」「白蠟少年」など
三津木単独の事件もいくつかあります。
また、これまで取り上げたものとしては
以下のものが該当します。
甲賀三郎「琥珀のパイプ」松本順三
江戸川乱歩「五階の窓」山本次郎
江戸川乱歩他「空中紳士」星野龍子
角田喜久雄「印度林檎」明石良輔
戸板康二「グリーン車の子供」竹野
このほかにも
大下宇陀児森下雨村などの
昭和初期の作家たちの作品をあたれば、
いくつか見つかりそうです。

(2026.2.27)

〔関連記事:小酒井不木の作品〕

「痴人の復讐」「血の盃」
「恋愛曲線」
「紅色ダイヤ」

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