
オセロー、イアーゴー、エミリアの三人の人物像
「オセロー」
(シェイクスピア/福田恆存訳)
新潮文庫
昇進できなかったことに
不満を覚えたイアーゴーは、
将軍オセローと副官キャシオーを
逆恨みする。
策謀を巡らせ
キャシオーを失脚させた
イアーゴーは、
続いてオセローの妻・
デズデモーナの不義を
でっち上げる。
逆上したオセローは…。
シェイクスピアの
四大悲劇の一つ「オセロー」。
オペラで何度も
観たり聴いたりしているため、
繰り返し読んだ気になっていましたが、
今回、四十年ぶりに再読した次第です。
筋書き以上に味わうべきは、
オセロー、イアーゴー、エミリアの
三人の人物像そのものです。
〔主要登場人物〕
オセロー
…武功を挙げた英雄的将軍。
ヴェニス政府に仕えるムーア人貴族。
デズデモーナ
…オセローの妻。
オセローの疑いに心を痛める。
キャシオー
…オセローが副官に任命した男。
ビアンカ
…キャシオーの情婦。
イアーゴー
…オセローの旗手。
副官に昇進できなかったことに
不満を持ち、奸計を巡らせる。
エミリア
…イアーゴーの妻。
ヴェニス公
…ヴェニスの最高権力者。
モンターノー
…サイプラス総督。オセローの前任者。
ブラバンショー
…デズデモーナの父。議官。
グラシャーノー
…ブラバンショーの弟。
ロードヴィーゴー
…ブラバンショーの親戚。
ロダリーゴー
…ヴェニスの紳士。
イアーゴーの策謀に加わる。
本作品の味わいどころ①
堅くてもろいオセローの人物像
福田恆存訳の「オセロー」は、
格調高い日本語が
オセローの軍人としての気高さと、
その裏にある悲劇を
より鮮明に描き出していると感じます。
冒頭のオセローは、
ヴェニスの権力者たちを前にしても
揺るがない
「完成された人間」に見えます。
そうした彼が、
イアーゴーの単純とも言える嘘に
絡め取られてしまったのは、
彼自身の美徳と
表裏一体の弱点があると考えられます。
その一つは、「絶対的信頼」という
軍人特有の極端さです。
オセローにとって、
世界は「味方か敵か」「真実か嘘か」の
二元論で構成されているのです。
彼はイアーゴーを「正直者」と
一点の疑いもなく信じていました。
それは部下を信じ抜く
高潔なリーダーシップという
「美徳」であるとともに、
一度「信頼」のラベルを貼った
相手の言葉を、検証なしに事実として
受け入れてしまうという
「弱点」でもあるのです。
彼は複雑で曖昧な
人間関係の「グレーゾーン」を
理解できていなかったのです。
二つめは、自己のアイデンティティへの
潜在的不安でしょうか。
彼は「高潔な軍人」ですが、
同時にヴェニス社会においては
「異邦人」(ムーア人)であり、さらに
「若くない」という自覚があります。
それは謙虚さであり、
そして自らの立場をわきまえた
律律しさでもあるのですが、
無意識の劣等感にも
つながっているのです。
イアーゴーに
「デズデモーナがいずれ、
同じ肌の色や家柄の若い男に
惹かれるのは自然なことだ」と
示唆されたとき、
その言葉が彼の心の奥底にある
「自分は愛されるに
値しないのではないか」という
潜在意識に
突き刺さってしまったのでしょう。
三つ目は、
想像力の欠如と直情的な気質です。
オセローは戦場という
「具体的で明確な世界」で
生きてきたのです。
当然、「決断力」と「実行力」は
際立っています。
しかしそれは
「立ち止まって考える」ことを
鈍らせてしまっているのです。
妻の不義の「証拠」を求めた
オセローに対して
イアーゴーが見せたのは
「ハンカチ」という
極めて断片的な象徴でした。
「愛」にせよ「心変わり」にせよ、
目に見えない抽象的な「心理」を、
物理的な証拠(目に見える汚点)で
判断しようとしたため、
イアーゴーが捏造した視覚的な罠に、
容易に嵌まってしまったのです。
そして四つめは、理想主義ゆえの
潔癖さといえるでしょう。
彼はデズデモーナを、
単なる妻ではなく、自分の魂を救済する
「聖女」のように理想化していました。
その純粋で深い愛情は
崇高なものなのですが、
同時にもろさも内包しているのです。
妻に対する理想が高すぎるがゆえに、
わずかな疑惑が混じっただけで、
彼女が「魔性の女」に
転落したと思い込んでしまうのです。
極端から極端へ振れてしまう性格が、
冷静な話し合い
(デズデモーナの言い分を聞くこと)を
不可能にさせたのです。
オセローがもっと世俗的で、
人を疑うずる賢さを持っていれば、
この悲劇は
起きなかったのかもしれないのです。
このオセローの「100か0か」という
人物像を丹念に味わわなければ、
作品の本質に迫れないのです。
本作品の味わいどころ②
即興的演出家イアーゴーの奸計
次に味わうべきは、
悪人イアーゴーであることに
間違いありません。
彼の恐ろしさは、
彼が「悪の天才」というよりは、
「人間心理の綻びを見つける達人」
である点にあります。
彼はチェスにおける
「数手先を読む戦略家」ではなく、
その場の状況と相手の反応を
即興で利用する、
「即興的悪魔的演出家」と
考えるべきでしょう。
彼の策謀を可能にした要因は、
以下のように考えられます。
一つは、徹底した「実利主義」と
共感性の欠如です。
イアーゴーの行動原理は
「自分にとって得か、面白いか」
だけなのです。
彼は他人の苦悩に対して
完全に冷淡です。
普通の人間なら躊躇するような
「友人を破滅させる嘘」を、
実験室の観察者のような冷徹さで
実行できています。
その大胆さの源は、罪悪感という
ブレーキが一切ないことです。
そのため、嘘を重ねることに
迷いがありません。
この「迷いのなさ」が、
周囲には「正直で信頼できる男」という
逆説的な印象を与えてもいるのです。
二つめは、
即興的な「適応能力」と観察眼です。
彼は最初から完璧な計画
(完全犯罪のシナリオ)を
持っていたわけではありません。
彼は周囲の人間を観察し、
その「弱点」を突くのが
異常に上手いのです。
ロダリーゴーの「情欲」、
キャシオーの「酒の弱さ」と「名誉欲」、
オセローの「信頼」と「不安」、
それらを巧みに突いているのです。
しかも彼は状況が変わるたびに、
落ちている「偶然」を
見事なまでに拾い上げ(例えば
デズデモーナが落としたハンカチ)、
それを即座に
自分の物語に組み込みます。この
「偶然を必然に変える即興性」こそが、
彼の最大の武器となっているのです。
三つめは、
「正直者」という仮面を維持する
演技力でしょう。
劇中で彼は何度も
「誠実なイアーゴー」と呼ばれます。
彼は相手に合わせて、自分を
「忠実な」部下(オセローに対して)、
友人(キャシオーに対して)、
夫(エミリアに対して)、に見せる
術を知っていました。
しかも彼は
オセローに疑惑を吹き込む際、
直接「不倫」とは言わず、
「…あれは妙ですね」
「…いや、何でもありません」と、
あえて言い淀みをつくったり、
情報を小出しにすることで、
オセロー自身に
「最悪の想像」をさせているのです。
相手の口から答えを言わせる
(セルフ・マインドコントロール)ことで、
自分の手を汚さずに
相手を心理的に追い詰めているのです。
そして四つめとして、
低俗な「人間観」の徹底が挙げられます。
イアーゴーは、
人間を「理性の皮を被った獣」だと
信じて疑いません。
彼にとって、
オセローやデズデモーナの「高潔さ」は、
突けばすぐに壊れる
脆い飾り物に見えていたのでしょう。
「他人を一段低く見ている」からこそ
生まれる冷酷な大胆さが、
迷いのない策謀を
支えていたと考えられます。
嫉妬や怨恨という
自身の持つ負の感情を燃料にしつつ、
他者の美徳を逆手に取って
罠を仕掛けるイアーゴーの狡猾さは、
文学作品上における「悪役」の中でも
突出した存在感を示しているのです。
本作品の味わいどころ③
救いをもたらすエミリアの変転
そして味わうべきもう一人は
エミリアです。
不遇の死を迎える
デズデモーナではなく、
謀略の対象となるキャシオーでもなく、
なぜエミリアの女性像を
味わうべきなのか?
それは彼女の存在が筋書きに
「救い」をもたらしているからです。
エミリアは、この悲劇において
最も「人間味」にあふれた存在であり、
物語の倫理的なバランスを保つ
極めて重要な役割を担っていると
いえます。
イアーゴーが「悪」の象徴、
デズデモーナが「純潔」の象徴、
オセローが「理想」の象徴であるのに対し
エミリアは
「地についた現実」(リアリズム)を
体現しているのです。
作者シェイクスピアが
彼女に持たせた役割は、
次のように考えられます。
一つは、
デズデモーナの「鏡」としての対比です。
若く世間知らずなデズデモーナに対し、
エミリアは酸いも甘いも噛み分けた
「大人の女性」として
配置されているのです。
デズデモーナが
「夫を疑うことすら不浄」と信じる
無垢な面を持つのに対し、エミリアは
「男なんてそんなものよ」という
冷めた視点を提示します。
また、第四幕における
「夫が不貞を働くなら、
妻だってそうする権利がある」という
趣旨の彼女の台詞は、
当時の家父長制社会において
驚くほど進歩的であり、
デズデモーナの純真さを
際立たせているのです。
二つめは、悲劇を完成させ、
また崩壊させる「鍵」としての役割です。
彼女は物語の構造上、
最も重要な小道具である
「ハンカチ」を拾い、
夫・イアーゴーに渡してしまう人物です。
それが悲劇の決定的な
引き金となるのですが、その一方で、
真実に気づいた彼女は、
それまでの「従順な妻」という役割を
完全に捨て去ります。
彼女の存在こそが、
イアーゴーの陰湿な闇を吹き飛ばす
唯一の光となっているのです。
三つめは、観客の「良心」の
代弁者としての機能です。
最終幕での彼女の台詞は、
オセローの愚かさに対して抱くであろう
「観客の憤り」、
そしてイアーゴーの悪徳に対する
「観客の怒り」を、ステージ上で
見事に代弁しているのです。
最終場面においては、
彼女の存在はオセローやイアーゴオーを
凌駕しているのです。
彼女の告発がなければ
イアーゴーの完全犯罪は成立し、
デズデモーナは
不義の汚名を着せられたままで
終わっていた可能性があるのです。
エミリアの死を賭した
真実の露呈こそが、
物語を単なる「惨劇」から、
関係者の名誉が回復される「悲劇」へと
昇華させたのです。
イアーゴーという
虚言の天才の側にいながら、
最後まで汚染されなかった
彼女の精神こそが、この物語の
真の救いとなっているのです。
シェイクスピアはやはり面白い。
本作品についてはオペラで観るよりも、
その作品世界の
奥深さを感じることができます
(できれば演劇も観てみたいのですが、
地方在住では無理でしょう)。
オセロー、イアーゴー、エミリア、
この三人の人物像を
じっくり味わうとともに、
この素敵な物語世界を
ぜひご賞味ください。

(2026.4.13)
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