「就眠儀式」(木々高太郎)

大心池先生の切り拓いた「新たな探偵像」

「就眠儀式」(木々高太郎)
(「ぷろふいる傑作選」)光文社文庫

大心池のもとを訪ねてきた
学生・川本は、不眠症に悩んでいる
親戚の娘について相談する。
娘は毎晩就寝前に、
時計類や刃物を新聞紙で包み、
応接間のドアを
半空きにするなど、
奇怪な「就眠儀式」を行わなければ
ならないのだという…。

「新月」「永遠の女囚」など、
人間の複雑な深層心理を素材とする
ミステリ作家・木々高太郎
そのシリーズ探偵の一人が
大心池先生であり、
本作でも抜群の推理を見せてくれます。

〔主要登場人物〕
「私」(立田)

…語り手。大学の医局長。
大心池先生
…大学教授。専門は精神病学。
 「就眠儀式」を行う娘を診察する。
川本
…大学四年生。
 大心池に相談を持ちかける。
松代
…川本の親戚。工学士。
 隠退し鎌倉に住んでいるが、
 経済的に逼迫している。
松代水尾子
…松代の娘。十七歳。女学校四年生。
 不眠症に陥る。
高輪藤吉
…高利貸し。松代に貸し付けた金の
 返済を迫っている。

本作品の味わいどころ①
就眠儀式の原因を探り出す大心池

一般的に、
スムーズに眠りに入るための習慣は
「入眠儀式」と呼ばれ、
これは病気ではなく、
むしろ安眠のための推奨される
知恵として知られています。
パジャマに着替える、
読書をする、
軽いストレッチをするなど、
毎日同じ行動を繰り返すことで、
脳に「これから寝る時間だ」という
信号を送り、副交感神経を優位にする
効果があるからです。
多くの人の場合、これができないと
「少し寝つきが悪いな」と
感じる程度ですが、作品のように
「絶対にこれをしなければならない」と
いう強迫的な段階に達すると、
次の段階が疑われます。

作中で描かれている
「それを行わないと強い不安に襲われ、
一睡もできない」という状態は、
現代の診断基準では強迫性障害の
症状の一つとして確認されています。
木々高太郎は
医学博士(大脳生理学)でもあったため、
当時の精神医学的な知見を、
大心池先生に託して
物語に投影したのです。

松代水尾子の「就眠儀式」は
さすがに異様すぎます。
「自分の部屋の中の時計は
すべて音が聞こえないようする」
「しかし客間の時計の音は
聞こえるようにする」
「家中の刃物類を新聞紙で包む」
「しかし客間にある刀剣は
そのままで気にしない」。
まるで何かが取り憑いたような
ミステリアスな症状なのですが、
彼女を診断した大心池先生は、
丹念にその謎を解いていくのです。

本作品の味わいどころ②
起こるべき事件を予見する大心池

そこで終わっていれば、
本作品は単なる「精神医療」を取り扱った
「医療ルポ」的小説に
すぎなくなるのですが、
やはり変死事件が起こるのです。
高利貸し・高輪が松代家を訪問したあと、
夜遅くタクシーで帰宅、降車後に
断崖から転落死したというものです。

実はそうした事件が起こることを、
大心池先生は診断した際に
すでに予見しているのです。
そして不幸な事故死に見えた転落死も、
実は巧妙に仕組まれた末に起きた
事件なのです。
そこにも大心池先生の、いや、
木々高太郎の医学的知見が盛り込まれ、
十分に納得できるものと
なっているのです。

本作品の味わいどころ③
事件の真相を闇に葬り去る大心池

それで事件は終わりません。
婚約が破談となった川本と水尾子の間を
取り持つのです。
しかしその取り持ち方は…、
事件の真相を
闇に葬り去るばかりでなく、
それをもとに関係者を脅し、
無理矢理状況を
変えていくというものなのです。
それ以上は説明できません。
詳しくはぜひ読んで確かめてください。

さて、木々高太郎が生み出した
「大心池先生」シリーズは、
日本ミステリ史上、
極めて重要な転換点として、発表当時、
非常に高く評価されていました。
昭和9年、シリーズ初作品の
「網膜脈視症」が
雑誌「新青年」に掲載された際、
編集長だった水谷準は
「これこそが新しい探偵小説だ」と
絶賛したといわれています。
当時は乱歩や横溝らが牽引した
「変格もの」(怪奇幻想的作品)や、
パズル解き重視の「本格」が主流でした。
木々は当時現役の
慶應義塾大学医学部教授であり、
その「本物の医学的知識」を
駆使した作風は、
それまでのミステリに欠けていた
知的なリアリズムをもたらしたと
評されたのです。

大心池先生は、単なる名探偵ではなく、
精神医学者としての冷徹な観察眼と、
人間への深い洞察を併せ持った
キャラクターとして描かれました。
物理的な証拠よりも、
犯人の生理的徴候や心理的欠陥から
真相を導き出す手法は、
当時の読者にとって非常に新鮮で、
「モダンで知的な
エンターテインメント」として
受け入れられました。
大心池先生シリーズは、それまでの
「おどろおどろしい」あるいは
「理屈っぽい」日本の探偵小説に、
「現代医学のメス」を持ち込み、
新たな地平を切り拓いたのです。
ぜひご賞味あれ。

(2026.4.24)

〔「ぷろふいる傑作選」〕
 まえがき ミステリー文学資料館
 探偵小説ファンの熱気に満ちた
  「ぷろふいる」 山前謙
血液型殺人事件 甲賀三郎
蛇男 角田喜久雄
木魂 夢野久作
不思議なる空間断層 海野十三
狂燥曲殺人事件 蒼井雄
陳情書 西尾正
鉄も銅も鉛もない国 西崎亮
花束の虫 大阪圭吉
両面競牡丹 酒井嘉七
絶景万国博覧会 小栗虫太郎
就眠儀式 木々高太郎
 プロファイリングぷろふいる 芦辺拓
 当時の探偵小説界と世相
 「ぷろふいる」作者別作品リスト

〔関連記事:木々高太郎の作品〕

「永遠の女囚」

「新月」

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Sergei Tokmakov, Esq. https://Terms.LawによるPixabayからの画像

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「盲目の目撃者」
「抱きつく瀕死者」
「青蛇の帯皮」

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