「恐怖のベッド」(コリンズ)

安眠空間が「殺人マシン」と化す恐怖

「恐怖のベッド」
(コリンズ/中島賢二訳)
(「夢の女・恐怖のベッド 他六篇」)
 岩波文庫

全身の血が凍り付いたような
気がしました。
私は枕の上で首を巡らし、
絵の中の男に目を凝らすことで、
本当にベッドの天蓋が
動いているのかどうかを
確かめようとしましたが、
ぞっとした寒気に襲われて、
身体中が麻痺したように…。

「白衣の女」「月曜席」で名高い
ウィルキー・コリンズの短篇作品です
(1852年発表)。
表題どおり、安眠のためのベッドが
知らぬ間に
殺人機械に変貌しているという
究極の恐怖が描かれています。

〔主要登場人物〕
「私」(フォークナー)

…語り手。イギリス人。
 大学を卒業したての青年。
 刺激を求めて危険な賭博場に赴き、
 命の危険に遭う。
「友人」
…「私」の友人。一緒に賭博場に行く。
 「私」に帰宅をうながす。
「古参兵」
…賭博場の常連客の一人。
 酒に酔った「私」を賭博場の別室に
 泊まるよう勧める。
「署長」
…「私」が駆け込んだ警察署の署長。

本作品の味わいどころ①
一歩また一歩、危険に接近する「私」

本作品の語り手「私」の経験した恐怖は、
一言でいうなら
「火遊びしようとして焼死しかけた」
といったところでしょうか。
上品なカジノでは物足りず、
あえて場末のやくざな賭博場へ
案内させた「私」。
雰囲気は最悪だったにもかかわらず、
いきなり勝負に参加。
「勝ち」に酔い、「友人」の
忠告も聞かずに賭けを継続する。
賭博場の場銭をすべて巻き上げる
大勝をし、
「古参兵」に勧められるままに
祝杯で酔いしれる。
さらに「古参兵」の勧めるままに
コーヒー(薬物入り!)を飲み、
賭博場の上階に宿泊する。
読み手には、「私」が愚かにも一歩一歩、
危険な領域に踏み込んでいるのが
伝わってくるのです。
まるで「死への歩み」の
実況生中継なのです。

本作品の味わいどころ②
安眠空間が「殺人マシン」と化す恐怖

「私」が一晩泊まり明かすことになった
一室、その一隅に置かれていた
「天蓋付きベッド」こそ、
真の恐怖の舞台となるのです。
興奮による高熱が、
酒と薬物による「私」の眠気を
打ち破っていたのが幸いし、
「死」を免れるのですが、
ではその恐怖の実態とは…。

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「天蓋付きベッド」とは、
ベッドの四隅や頭側に
柱やフレームを立て、その上に「天蓋」、
いわゆる「蓋」にあたる
板状の「天井」を備え、「天蓋」から
布やレースを垂らしたものです。
現代日本からすれば、
外国の貴族の家にしかないような
イメージがあるのですが、
この当時のフランスでは
日常的に見られた家具なのです。

十九世紀半ばのフランスの建物は、
石造りで非常に冷え込み、
隙間風もひどいものだったようです。
そのため防寒対策として、
ベッドの周りを
厚手のカーテンで囲うことで、
寝る人の体温を逃がさず、
冷気を遮断する
「小さな部屋」をつくっていたのです。
また、古い建物では天井から
埃や虫が落ちてくることもあり、
それを防ぐ「虫除け・埃除け」という
機能も持っていました。

さらに当時のフランスの
集合住宅(アパルトマン)では、
部屋の壁を一部窪ませた
「アルコーブ」というスペースに
ベッドを押し込むスタイルが
一般的でした。
この窪みの入り口にカーテンを吊るすと
それだけで「天蓋付き」と
同じ構造になります。
賭博場があるような
多目的ビルの一室でも、
もともとは居住用だった部屋を
転用していることが多いため、
こうした「天蓋付きベッド」の配置は
ごく普通に存在し、
単なる「就寝のための場所」を超えて
「安眠のための
パーソナル・スペース」として
機能していたのです。

コリンズは、
その「ごくありふれた日常の安全空間」を
「凶器」に変えたのです。
本作品におけるベッドの「天蓋」は、
単なる飾りではなく、木製の
重い枠組みでつくられていたのです。
この「日常の裏切り」こそが、
本作品の「恐怖」の真の姿なのです。
詳しくはぜひ読んで
確かめてくださいとしか
いいようがありません
(想像はつくのですが)。
現代の感覚で例えるなら、
「オートロック付きの部屋が突然
自分を閉じ込める檻に変わる」とか、
「マッサージチェアが突如として
拘束器具になる」というような、
利便性の裏側に潜む
恐怖に近いかもしれません。

本作品の味わいどころ③
語り手「私」が切々と伝えるリアル感

その恐怖が読み手に
切々と伝わってくるのは、
語り手「私」(フォークナー)が、
作中に登場しない「もう一人の人物」に
語りかけるという
体裁をとっているからなのです。
本作品は6篇からなる連作短篇集
「After Dark」の一作目として
描かれました。

旅の画家ウィリアム・ケリッジが、
目を酷使したために医師から半年間の
「絶食」(絵を描くことの禁止)を
言い渡されます。
画家である彼は、生活のために
自分の体験や知人から聞いた話を
「物語」として書き起こし、
出版することにします。
本作品「恐怖のベッド」は、
フォークナー(語り手「私」)が
若かりし頃にパリの賭博場で経験した
恐ろしい一夜の出来事を、ケリッジに
語って聞かせたものなのです。

本作品冒頭部分に、
「あなたが裏手をスケッチしたのは、
実はその家だったのです」という一節が
登場します。
いささか唐突な感じがするのですが、
「After Dark」には、
全体の語り手となる画家ケリッジによる
長い導入部が存在します。
そこに背景が語られているのです。

その「After Dark」導入部で、
フォークナーはケリッジに向かって
こう言っているのです。
「君が偶然パリでスケッチした
 あの古い建物を覚えているかい?
 実はあそこが、私が例の
 恐ろしい目に遭った場所なんだよ」

という一文が語られているのです。
こうした演出によって、
「画家のスケッチ」という日常的な風景が
実は「恐ろしい犯罪の現場」だったという
対比が生まれ、
読者を一気に物語の世界へ
引き込むしくみになっています。

日本語訳、しかも連作短篇集から
一作品だけを抜き出してしまった以上、
効果は減少しているものの、
語り手が伝える「リアル感」は
極上といえます。
当時のフランス人
(もしくはイギリス人)の読み手にとって
本作品は「遠い世界の仮想現実」ではなく
「自分が今夜泊まる宿のベッドにも、
同じような装置が
隠されているのではないか?」と
不安にさせる、現実と地続きの
恐怖だったと考えられます。

さて、
本作品発表当時は産業革命が進み、
あらゆるものが
「機械仕掛け」になり始めた時代です。
本作品で使われた「仕掛け」は、
当時の読み手にとっては
「いかにもありそうな最新の犯罪手口」に
聞こえたことでしょう。
ゴシック小説によく見られる
「幽霊が出る古い城」から、
「物理的なメカニズムが潜む
都市の建築物」へと
恐怖の舞台を移しました。
これが当時の読者には非常にモダンで、
かつ身近な恐怖として
突き刺さったのです。
私たちも自身の精神を
19世紀のパリへと時空間を遡らせ、
コリンズが描いた「恐怖」をじっくりと
堪能しようではありませんか。

今日のまとめ

(2026.4.29)

〔「夢の女・恐怖のベッド 他六篇」〕
恐怖のベッド
盗まれた手紙
グレンウィズ館の女主人
黒い小屋
家族の秘密
夢の女
探偵志願
狂気の結婚

〔関連記事:コリンズの作品〕

「黒い小屋」
「人を呪わば」

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「跛蛙」
「ナイチンゲール荘」
「孔雀屋敷」

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