「かもめのジョナサン 完成版」(R.バック)

読み手に託された「解答」

「かもめのジョナサン 完成版」
(R.バック/五木寛之訳)新潮文庫

ジョナサンは
ふたたび群れを離れた。
そしてただ一羽、
はるかな遠い沖合で、
飢えながらもしあわせな気持で、
練習を再開した。
彼は三百メートルの高さから、
力のかぎり激しく羽ばたきながら
波間めがけて
猛烈な急降下をやって…。

リチャード・バック
「かもめのジョナサン完成版」を
十年ぶりくらいで再読しました。
4章構成の作品ですが、
自由な精神の大切さを説いたような
第1章~第3章と、
宗教めいた第4章とで、
作品自体の色合いが
大分異なって感じます。
簡単に読める作品ですが、
読み方の難しい小説の一つです。

〔主要登場人(鴎)物〕
ジョナサン・リヴィングストン

…群れから離れ、究極の速さと飛び方を
 研究するカモメ。
サリヴァン
…ジョナサンが「現世の次の世界」で
 出会った最初の教官。
チャン(張)
…ジョナサンが「現世の次の世界」で
 出会った長老。
フレッチャー・リンド
…ジョナサンの最初の教え子。
ヘンリー・カルヴィン
マーティン・ウィリアム
チャールズ=ローランド
テレンス・ローエル
カーク・メイナード
ジュディ・リー
…ジョナサンの教え子たち。

よく知られているように、
本作品は1970年代に発表された
「原形版」である
第1章~第3章(「前半」)と
2014年に追加された
第4章(「後半」)からなる「完成版」です。
先に記したように、
「前半」と「後半」では
だいぶ色合いが異なって感じられます。
これをどう読み解くかが
本作品の味わいどころとなるのです。

本作品の味わいどころ①
自分らしい生き方の象徴

第3章までの「原形版」は、
1970年に発表されました。
主人公・ジョナサンの、
既存の社会体制(群れ)に縛られずに
自身の限界に挑む姿は、
当時の米国で流行していた
「ヒッピー」をはじめとする
若者文化の精神と見事に合致しました。
それゆえに「原形版」は、
「個の目覚め」を象徴するバイブルとして
世界的規模で
熱狂的に受け入れられました。
さらにジョナサンの姿は、
心理学者・マズローが提唱した
「自己実現論」の視覚化として、
教育現場やビジネスの世界でも
「限界を突破する勇気」を与える書として
高く評価されました。

そうしたジョナサンの伝える
「自分らしく生きること」や
「自由を追求する姿勢」は、
発表から半世紀以上が過ぎた現代でも
まったく色褪せていないのです。

本作品の味わいどころ②
「精神の形骸化」への警鐘

それに対して第4章では、
自由を求めたはずのジョナサンの教えが
後世の鳥たちによって形式化され、
儀式や偶像崇拝に変質していく様子が
描かれます。
これは、「自由な思想がいかにして
硬直した宗教に成り下がるか」という
痛烈な文明批評となっているのです。
そして簡潔で
美しい散文詩のような文体、
さらにはスピリチュアリティと
航空技術への情熱を融合させた
独自の世界観。
そうしたものが一体となって
読み手に迫ってくる、
魅力に満ちた「完結編」なのです。

本作品の味わいどころ③
読み手に託された「解答」

しかしながら、
現代の読み手が「完成版」を
何の予備知識も持たないままに
読んだとき、
やはり「前半」と「後半」の色合いの変化に
戸惑うのは当然です。
第4章は作者の
「後年の視点」で書かれているため、
物語の重心が変わって見えるからです。
「前半」の純粋な寓話性に対して、
「後半」はどう見ても
社会批評となっています。
そのため物語のトーンが
二層構造になり、読み手は作品の軸が
ブレたように感じてしまうのです。

しかしそれ自体を受け止め、
「作者が意図的に読み手を突き放し、
思考を促すように設計された作品」と
考えるべきなのでしょう。
「後半」は「前半」の価値を
相対化するためではなく、
むしろ補強するために
書かれたものであるはずです。
「前半と後半の色の違い」こそが、
リチャード・バックが長い年月を経て
読み手に突きつけたかった
「真の自由を維持することの難しさ」
そのものだと考えられます。

「後半」を読んだあと、
再び第1章の「ジョナサンが
初めて一人で急降下訓練をする場面」を
読み返したとき、
その孤独な挑戦の尊さが
「より切実なもの」として
感じられるはずです。
「偉大な足跡を残した
人間の真似をしてはいけない。
そうした人間の言葉だけを
崇めていてはいけない。
あなた自身が、
あなた自身の空を飛ぶべきである。
そうでなければ
この愚かなカモメたちと同じである」。
リチャード・バックからの語りかけが
聞こえてきそうです。
ぜひご賞味ください。

(2026.5.13)

〔関連記事:R.バック作品〕
「イリュージョン」①
「イリュージョン」②

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