「原子病患者」(高木彬光)

当時最新の話題を超スピード「事件化」

「原子病患者」(高木彬光)
(「死美人劇場」)角川文庫
(「横溝正史が選ぶ日本の名探偵
    戦後ミステリー篇」)河出文庫

昭和29年、
ビキニ水爆実験ののち、
にわかに増えた「原子病恐怖症」。
友人の医師・成瀬から
その話を聞いた神津は、
その患者・木村陽子に興味を持つ。
彼女の身体に
ガイガー管が反応したとき、
神津は犯罪が潜んでいることを
見抜く…。

高木彬光神津恭介シリーズ
短篇作品です。
ビキニ環礁における
アメリカの水爆実験、
そしてそれに伴う第五福竜丸の被爆が
日本を騒がせたのは昭和29年3月。
その未曾有の悲劇を
発生からわずか数ヶ月という
驚異的なスピードで
本格ミステリに取り込んだ、
極めて野心的な
作品となっているのです。

〔主要登場人物〕
木村陽子

…一年前に夫を結核で亡くした女性。
 原子病と診断されるが、
 被爆の経験はない。
木村健司
…陽子の夫。一年前、結核療養中、
 急性肺炎を併発し、病死。
曾根俊吉
…陽子の弟。捜査に協力する。
竹島逸男
…陽子の夫を治療していた医師。
 陽子に想いを寄せる。
成瀬博士
…東大病院物療科医師。神津の友人。
 陽子を診察する。
松隈警部補
…所轄署捜査主任。
神津恭介
…東京大学医学部法医学教室助教授。

本作品の味わいどころ①
当時最新の話題を「事件化」

1954年3月1日のビキニ環礁水爆実験と
第五福竜丸の被曝は、
日本社会に大きな衝撃を与え、
新聞・雑誌は
連日この話題を報じていました。
本作品「原子病患者」はまさに
その事実からの書き出しになっており、
「死の灰」や「被曝」といった語彙が
読み手の恐怖と直結していた点で、
きわめてタイムリーな題材であり、
その「速報性」は、
情報が格段に高速化した現代からしても
驚異的です。
そして戦後まだ間もない時期に、
国家機密や国際情勢が絡む「核」という
重いテーマを即座に扱うという、
そのジャーナリスティックな嗅覚にも
驚かされます。
単なる娯楽としての探偵小説を超え、
現代社会の闇をえぐる
「社会派ミステリ」の
先駆的な試みとしても
大きな存在感を放っているのです。

本作品の味わいどころ②
なぜ被爆?科学的ミステリ

作者・高木は、
京都帝国大学工学部出身の
インテリであり、
放射能に関する科学的知識が
当時としては非常に正確でした。
「放射能汚染」という見えない脅威を
ミステリ的ガジェットに
落とし込んだ手腕は、
当時の読み手に核時代の到来を
強く印象づけたと考えられます。
第五福竜丸事件の直後では、
本作品は単なる「ミステリ」ではなく、
核実験を強行する大国への憤りや、
被爆者に向けられる差別・偏見に対する
告発としても
受け止められた可能性があります。

「ミステリ」としての要素は
「なぜ被爆したのか?」という点に
つきます。
それを解き明かすのが
名探偵・神津恭介なのです。

本作品の味わいどころ③
犯人を罠にかける神津恭介

その神津、今回は推理の切れ味より、
突飛な行動力で
読み手を魅了していきます。
まず死者の墓を暴くという
暴挙に出ます(もちろん正式な手続きを
踏んでいることが描かれています)。
そこから確かな証拠を得るとともに、
それを「材料」として
真犯人に自供を迫る「罠」を
つくりあげるのです。
超法規的手段ともいえる
捜査手法ですが、
だからこそエンターテインメントとして
成り立っているのです。
ありきたりの方法で
逮捕するのではなく、
罠を仕掛けて
真犯人を精神的に追い詰める。
これこそがミステリです。

このように「味わいどころ」の多い
本作品ですが、
現代的視点で見たときには
突っ込みどころも多々あります。

描かれている放射性カルシウムによる
「第一の内部被曝」については、
理論上はあり得るのですが、
ミステリ的な毒薬としては
極めて非効率といえることです。
確かにカルシウムは
「親骨性」の元素であり、
摂取されると骨に沈着します。
放射性カルシウムを
継続的に摂取させれば、
骨髄が至近距離から
ベータ線などの照射を受け続け、
造血機能障害を引き起こして
死に至る可能性はあるでしょう。
内部被曝で人を短期間に殺すには、
かなりの強度の放射能が必要です。
内服薬に混ぜる程度の量で、
かつ周囲に気づかれない
(放射線検知器がない時代とはいえ)
レベルで致死量を盛るのは、
物理的な量としては
かなり多量になるはずです。
また、そうであれば調合した人間が
影響を受けないはずがないのです。

また、描かれている
「第二の内部被曝」については、
さらにフィクションとしての誇張が
大きいといえます。
被爆した遺体を火葬した場合、
放射性物質の一部は灰に残りますが、
その濃度は劇的に低下します。
その灰を「少量」飲み込んだだけで、
即座に目に見える被曝症状が出るほどの
線量を浴びることは、
物理計算上まず考えられません。

「飲み込んだ人間が
すぐ体調を崩す」という描写は、
当時の人々が放射能に対して抱いていた
「一度触れたら伝染する呪い」のような
非科学的な恐怖心を利用した、
ミステリのギミックと
解釈すべきでしょう。
論理的な整合性以上に
「死者の怨念が物理現象(放射線)となって
襲いかかる」という、
最高級の科学的ホラー演出として
機能していると考えるべきです。

いずれにしても高木彬光でなければ
書けなかった作品であることに
間違いありません。
当時の読み手の心理的背景に立ち返って
作品のスリルと恐怖を
たっぷりと味わいましょう。

(2026.5.22)

〔「死美人劇場」角川文庫〕
血ぬられた薔薇
原子病患者
恐ろしき馬鹿
魔笛
盲目の奇蹟
目撃者
冥府の死者
死美人劇場

〔「横溝正史が選ぶ日本の名探偵
        戦後ミステリー篇」〕

百日紅の下にて 横溝正史
五人の子供 角田喜久雄
たぬき囃子 野村胡堂
選挙殺人事件 坂口安吾
霊亀香人形供養 城昌幸
原子病患者 高木彬光
古銭 鮎川哲也
黄色い花 仁木悦子
車引殺人事件 戸板康二
ひきずった縄 陳舜臣

〔関連記事:神津恭介シリーズ〕

「死神の座」
「人形はなぜ殺される」
「刺青殺人事件」

〔角川文庫・高木彬光の本はいかが〕

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