「洗骨」(島尾ミホ)

「洗骨」という奄美の精神世界

「洗骨」(島尾ミホ)
(「海辺の生と死」)中公文庫
(「百年文庫092 泪」)ポプラ社

墓場のそこここでさくさくさくと
土を掘る音が聞こえていました。
私のそばでも屈強な男が三人
鍬を振りあげ振りおろして
墓を掘り続けていました。
一人の男の鍬が
堅い音をたてて跳ね返りました。
墓を囲んで立っていた
人々から…。

予備知識なしでは
描かれているものの本質が
わからない作品があります。
島尾ミホの作品「洗骨」も
そのようなものの一つです。

沖縄・奄美群島を中心とした南西諸島に
特有の葬制である「洗骨」。
戦前だけでなく戦後もしばらくの間
(地域によっては昭和の後期まで)
広く行われていました。

「洗骨」とは、
一度の葬儀で終わりとせず、
数年という長い時間をかけて
故人を「仏」や「祖霊「へと昇華させていく
「二段階の葬礼」なのです。
そのプロセスを整理すると
以下のようになります。

亡くなってすぐに行われる葬儀、
つまり第一次葬ですが、
それは土葬または風葬となります。
この段階では遺体はまだ「生々しい死」の
状態にあると考えられます。
沖縄や奄美では、その伝統的な墓
(亀甲墓や破風墓など)の内部、
あるいは特定の場所に
遺体を安置します。
そして遺体が朽ちて骨だけになるまで、
通常は三年・五年・七年といった
奇数の年数、
そのままの状態で置かれます。

それから第二次葬としての
「洗骨」が行われるのです。
遺族が再び集まり、
お墓を開けて遺骨を取り出します。
縁者(主に女性が担うことが多かった)が
お酒(泡盛など)や水を使って、
残った肉片などを丁寧に取り除き、
骨を白く洗い清めるのです。
そののち、綺麗になった骨を、
足の骨から順に、
最後は頭蓋骨が一番上にくるようにして
骨壺に納めます。
これをもって故人は完全に
「浄められた存在」となり、
一族の先祖の仲間入りをすると
信じられていたといいます。

本作品の味わいどころ①
描かれる「生と死の連続性」

特に筋書きがあるわけではなく、
名前を付された登場人物も存在せず、
語り手「私」が淡々と「洗骨」の儀式を
描いただけの本作品です。
しかしそこには、「死」が、
「忌まわしい断絶」としてではなく、
「生命や魂の循環」の中に
位置づけられて描かれているのです。
実際に骨を洗う際の、
遺骨の感触や水の冷たさや
立ち込める空気の描写が、
単なる写実を超えて
神聖な儀式のような崇高さを帯びて
読み手の目の前に現れてくるのです。
本来ならおぞましいはずの
行為なのですが、読み手はそこに
一種の「清涼感」や「安らぎ」を
見出すことになるのです。
この感覚の逆転こそが、
島尾ミホにしか書けない
独自の文学的境地であると考えます。

本作品の味わいどころ②
奄美の「精神世界」の具現化

骨を洗うという行為は、
死者の魂を最終的に「祖霊」へと
昇華させるための
重要なイニシエーションです。
本作品では、骨に触れるという
生々しい行為を通じて、
死者への愛着や死を克服する過程が
美しくも残酷に描き出されています。
それらは島尾ミホが奄美・加計呂麻島で
子どもの頃に目撃した
「お骨拝み(ウホネウガミ)」の
記憶に基づいているのです。
単なる風習の記録にとどまらず、
「洗骨」を通じて「先祖と対話し、
共同体の絆を確認する」という、
島嶼部の深いアイデンティティを、
洗練された言語で
表現したものとなっています。
描かれている光景は、
特定の時代を超えて、
奄美の人々が「死」を
どのように受け入れてきたかを示す、
非常に深い
精神文化の記録でもあるのです。

本作品の味わいどころ③
繋がっていく「母性」と「血」

描かれている行為の主体の多くは
女性です。
「洗骨」は伝統的に
女性が主導する儀式だったのでしょう。
骨を洗い清める指先に宿る
「母性」や「慈しみ」が、
死者を再び一族の守護神へと
生まれ変わらせる(再生させる)力として
描かれており、
その強靭な生命力に心を打たれます。

「長男の嫁が洗骨を担う」
「女性の身体が清めの主体とされる」
「共同体の規範が女性に集中する」という
奄美社会のジェンダー構造は、
現代であれば問題視されることが
多いはずです。
しかし島尾ミホは本作品において
それらを批判するのでも
肯定するのでもなく、
ただ「そこにあるもの」として、
冷静に描ききっています。

本作品はかなり短い一篇
(文庫本にしてわずか九頁)なのですが、
そこには「感情を煽らない」「簡潔な描写」
しかし「死の気配が濃密に漂う」という、
島尾ミホ独自の「静けさの文体」が
最もよく表れた作品となっています。
本書「海辺の生と死」の中においても
突出した存在感を示しているのです。
「死」を視覚的に「洗う」ことで、
「生」を「浄化する」カタルシスを
描き切った、日本文学史上でも
稀有な一篇といえます。
一読しても「よくわからない」という
感覚を持たれる方も
多いかもしれません。
それはこの作品が理屈ではなく、
「五感と信仰心」に訴えかける
書き方をしていることに
原因があるのかもしれません。
背景にある「二段階の葬儀」という
知識を持って読み返すと、
その行間から、
奄美の波音や骨を洗う水の音が
より鮮やかに聞こえてくるはずです。
ぜひご一読を。

(2026.6.3)

〔「海辺の生と死」中公文庫〕
 序文 島尾敏雄
真珠 父のために
アセと幼児たち 母のために
茜雲
海辺の生と死
洗骨
鳥九題
旅の人たち 沖縄芝居の役者衆
旅の人たち 支那手妻の曲芸者
旅の人たち 赤穂義士祭と旅の浪曲師
旅の人たち 親子連れの踊り子
特攻隊長のころ
篋底の手紙
その夜
 あとがき
 聖と俗 吉本隆明
 解説 梯久美子

〔「百年文庫092 泪」ポプラ社〕
おくま嘘唄 深沢七郎
洗骨 島尾ミホ
連笑 色川武大

「おくま嘘歌」

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