「薔薇王」(横溝正史)

「なり損ねた」男女三人の人物像

「薔薇王」(横溝正史)
(「悪魔の家」)角川文庫
(「横溝正史ミステリ
   短篇コレクション④」)柏書房

行きつけのグリルの様子が
おかしいことに気づき、
朱実はボーイをつかまえて
事情を聞き出す。
ホテルで行われていた結婚式で、
花婿が消えたというのだ。
グリルを出て自分の車に
乗り込んだ朱実だったが、
後部座席に見知らぬ男が…。

横溝正史が昭和14年に発表した
短篇作品です。
検閲が厳しくなってきたあたりの
作品であり、
それまでの探偵小説の特徴であった
猟奇性がないのはもちろん、
殺人事件も起きない、
一風変わった作品です。
味わいどころは
主要キャラクター三人の人物像です。

〔主要登場人物〕
甲野朱実

…売り出し中の女流作家。
 好奇心が旺盛。
那須薔薇
…謎の画家。唐木子爵という
 架空の華族になりすまし、
 結婚式の途中に蒸発する。
日疋美樹子
…唐木子爵と結婚予定だった花嫁。
日疋万蔵
…美貴子の父親。
 一代で成り上がった経営者。
日疋京子
…万蔵の妻。故人。
良三
…日疋家の使用人。
久世ゆかり
…那須薔薇の妹。保母。病弱。
細川篤子
…ゆかりが勤務する幼稚園の経営者。
〔事件(らしきもの)の概要〕
①花婿失踪事件
・唐木子爵、日疋美樹子との
 結婚式会場から失踪。
・ホテルから出た朱実の車に
 唐木子爵同乗。
・途中で唐木子爵は那須薔薇という
 画家の姿に変身(変装を解く)。
・薔薇の家に招かれた朱実、
 睡眠薬を盛られ昏睡。
 その間に薔薇失踪。
②甲野朱実探偵活動
・朱実、薔薇の妹・
 久世ゆかりを突き止める。
③久世ゆかり誘拐事件
・美樹子が朱実の名をかたり、
 ゆかりを誘拐。病弱なゆかりを看病。
・薔薇と朱実、日疋家の別荘で
 美樹子、ゆかりと対面。

本作品の味わいどころ①
「怪盗」になり損ねた男・那須薔薇

グリルを出た朱実の車の
後部座席に乗っていた「消えた花婿」。
それが偽華族・唐木子爵であり、
謎の画家・那須薔薇なのです。
この人物、怪しさ満点です。
朱実の車の後部座席で
唐木子爵の変装を解いて、
那須薔薇に戻ったのですが、
その人相は似ても似つかぬ別人。
つまり変装の名人なのです。
結婚式も、
参列者は親類縁者に見せかけて、
すべて金で雇った人間ばかり。
結婚式そのものが
金のかかった「いたずら」なのです。
そしてどうやらそれ以前の数年間に
迷宮入りした事件のいくつかが
彼の仕業らしいのです。
感触としては乱歩の生み出した
「怪人二十面相」の青年版です。

乱歩の「怪人二十面相」
昭和11年に発表され、
熱烈な人気を獲得、
翌昭和12年には
シリーズ第二弾「少年探偵団」
さらに昭和13年には
第三弾「妖怪博士」と続きましたが、
時局の変化により、
三作でいったんは打ち止めとなります
(「青銅の魔人」で二十面相が
再デビューを果たすのは
戦後の昭和24年)。

もしかしたら横溝は
二十面相に匹敵するキャラクターを
創り上げたかったのかもしれません。
ところが冒頭に記したとおり、
本作執筆の昭和14年は
すでに検閲が厳しくなり、
殺人も窃盗犯罪も
描きにくくなっていた時期です。
那須薔薇には二十面相のような
華々しい宝石強奪事件を
させることはできず、
「花婿失踪事件」ぐらいが
限度だったのかもしれません。
この、「怪盗」になり損ねた男・
那須薔薇の人物像こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
「探偵」になり損ねた女・甲野朱実

その那須薔薇が事件に巻き込んだ女性、
それが好奇心旺盛の女流作家・
甲野朱実なのです。
彼女の武器は
好奇心ばかりではありません。
検問で止められても動揺せず、
那須薔薇の話に合わせて
警官を煙に巻く度胸の良さ、
那須を信じて
睡眠薬入りの紅茶を飲み干す勇気、
現場に落ちていた一個の徽章から
那須の妹・ゆかりの存在を
突き止める調査能力、
そしてゆかりの勤務先に乗り込み
対談する行動力、
まるで名探偵、それも
金田一耕助というよりは
明智小五郎に近いタイプです。

那須薔薇が「いたずら」以外の犯罪を
犯していないのですから、
名探偵の出番はありません。
甲野朱実は名探偵の資質能力を立派に
持ち合わせているにもかかわらず、
それを発揮する場面に
恵まれなかったのです。
この、「探偵」になり損ねた女・
甲野朱実の人物像こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
「悪女」になり損ねた女・日疋美樹子

那須薔薇の消息を
探し出そうとしているのは
甲野朱実だけではありません。
偽結婚式で一杯食わされた
日疋美樹子もまた執拗に
彼の行方を捜すのです。
考えてみると、それは決して
普通の神経ではありません。
女性としての
晴れやかな舞台であるはずの結婚式が
実は偽りだったのです。
「結婚詐欺」のように
金銭をだまし取られたのでは
ないとはいえ、
彼女の面子は丸つぶれであることに
変わりありません。
心が折れても当然の状況なのですが、
折れるどころか敵を討とうという
強靱なメンタル。
ゆかりを誘拐する手口などは
まさに「悪女」そのものです。

ところが彼女も
「悪」に徹しきることはできないのです。
誘拐していたぶるどころか、
病弱なゆかりを看病するという
優しさを発揮してしまうのです。
この、「悪女」になり損ねた女・
日疋美樹子の人物像こそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

昭和12年に始まった日中戦争は、
日本の空気を一変させました。
戦時体制が始まり、
出版界全体に「国策に沿うべき」という
ムードが広がるのです。
その段階ではまだ
法的な強制力は弱いものの、
編集部が「刺激的な犯罪ものは
避けよう」と自主規制を始めたのです。
探偵作家たちも、
「殺人事件を避ける」
「軽いユーモア推理に寄せる」
「少年向けに転向する」といった、
いわゆる「自己調整」を始めたのです。
つまり、
「書けるけれど、書きにくい」という
状態だったのです。

それが昭和13・14年になると、
検閲が実質的に厳格化していきます。
内務省の検閲が細かくなり、
猟奇性・倒錯性・社会不安を煽る描写が
通りにくくなったのです。
そのため「検閲で落ちて
損害が出る」のを避けるため、
出版社は探偵小説そのものを
回避する傾向が強まりました。
乱歩や横溝も、本作品のように
「事件性を弱める」
「心理描写中心にする」
「探偵色を薄める」といった
「変化」を余儀なくされるのです。
この段階で作家たちは
「これはもう本格推理は無理だ」と
感じ始めたことでしょう。

そして昭和15年、
内閣情報局の設置で、ついに
「締め付け」が制度化されたのです。
「不健全」「退廃的」「国策に反する」表現が
明確に排除され、
探偵小説はジャンルそのものが
「好ましくない」とされたのです。
この年を境に、探偵小説は
事実上ほぼ壊滅状態となりました。

本作品は、主役三人がそれぞれ
「怪盗」「探偵」「悪女」に
なり損ねているのですが、作品自体も
「事件性」がほとんどなく、
「探偵小説」になり損ねた
感があるのです。
それでもなんとかして「ミステリ」として
成立させようとした苦闘の跡が
そこここに現れているのです。
何処か中途半端な作品にも
思えるのですが、
時代背景を読み解くと
十分に愉しく読むことができるのです。
「探偵小説」が息の根を止められる
一歩手前の「ミステリ」、
ぜひご賞味ください。

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