
ジェルーシャの手紙の軽やかさの裏に
「あしながおじさん」
(ウェブスター/岩本正恵訳)新潮文庫
みなしごを
大学へ進学させてくださる
親切な評議員さまへ
あなたについて
わたしが知っているのは、
たった三つ
Ⅰ 背が高い。
Ⅱ お金持ち。
Ⅲ 女の子が嫌い。ですので、
あなたのことを
「あしながおじさん」と
呼ぶことにしました…。
1 はじめに
ウェブスターの「あしながおじさん」。
名前は知っていても読んだことはない、
そういう方が
多いのではないかと思います。
ネットでのレビューを見渡すと、
「女子大生の独り言」程度にしか
受け止めていない方も見られ、
残念です。
読んでみるとわかるのですが、
その「独り言」の中に、
学ぶ喜びや幸福についての価値観、
当時の世の中の情勢や
社会の在り方など、
実に多種多様なテーマが
盛り込まれているのです。
本作品は、当時のアメリカ市民の
目線に立って読むと、
新しい水平線が開けてくるのです。
2 主要登場人物
ジェルーシャ・アボット
…孤児院で17年間育った少女。
「あしながおじさん」によって
大学進学を果たす。
「あしながおじさん」
…ジェルーシャに大学進学の援助をした
匿名の篤志家。
ジョン・スミスという仮名を使う。
エルマー・H・グリッグズ
…「あしながおじさん」の秘書。
サリー・マクブライド
…ジェルーシャの同級生。
気さくな性格。
ジミー・マクブライド
…サリーの弟。
ジュリア・ラトレッジ・ペンドルトン
…ジェルーシャの同級生。
ニューヨークの名門の女の子。
ジャービス・ペンドルトン
…ジュリアの叔父。背の高い紳士。
センブル夫妻
…ジェルーシャとジュリアが
一夏を過ごした
ロック・ウィロー農場主夫妻。
農場はジャービスが夫妻に譲渡した。
パターソン
…ジェルーシャが三度目の夏に
家庭教師として訪問した家庭。
リペット
…ジェルーシャの育った
ジョン・グリアー孤児院の院長。
3 書簡体文学としての「高い技術」
主人公の書く手紙だけで
ストーリーを展開させる「書簡体小説」は
一歩間違えると退屈で
独りよがりになりがちです。
しかし作者ジーン・ウェブスターの
「軽妙でユーモアあふれる筆致」と
「孤児の少女が精神的に自立した
大人の女性へと成長していく過程を
鮮やかに描く卓越した人物描写」は、
まるで目の前で
ドラマが展開しているような
瑞々しさを感じさせます。
また、ウェブスター自身が描いた
あの素朴な挿絵も、
作品のチャーミングさを絶妙に
引き立てているように感じられます。
いや、もしかしたら、
その「へたうま風イラスト」は、
現代でこそ視覚的効果が
絶大であるとも考えられます。
4 「学ぶガール」への目覚め
20世紀初頭のアメリカは、
女性の高等教育への進学率が
急速に伸び始めた時期でした。
当時は、
女子大生のキャンパスライフを描いた
「カレッジ・ガール小説」という
新しいジャンルが
トレンドとなっていたようです。
その状況を考えたとき、
本作品はその刺激性とともに若者、
特にティーンの少女たちに、
熱狂的に受け入れられたと
考えられます。
単におしゃれな大学生活が
紹介されるだけでなく、
ジェルーシャが貪るように本を読み、
知識を吸収して
「学ぶ喜び」に目覚めていく姿は、
当時の新しい生き方を目指す女性たちの
バイブルとなった可能性があるのです。
5 進歩主義の時代精神
1910年代のアメリカは、
貧富の差や社会の歪みを
改革しようとする「進歩主義運動」の
真っ只中でした。
作者ウェブスター自身も、
マーク・トウェインの血を引く
知識人であり、女性参政権運動や、
イギリスの社会主義団体
「フェビアン協会」に傾倒した
社会活動家でした。
ジェルーシャが作中で
「私は社会主義者になりました」と宣言し
富の再分配や労働問題に触れるシーンは
当時の社会情勢を
リアルに反映していたはずです。
また、「一方的な施しは、
与える側と受ける側の間に
超えられない壁をつくる」という
ジェルーシャの気づきは、
当時の旧時代的な福祉制度への
痛烈な批判となった可能性があります。
当時のアメリカの
若い読み手の立場からすれば、
本作品は「非常に現代的で
エッジの効いた社会批評」として
受け止められたものと
考えられるのです。
ただの「女子大生の独り言」に見せて、
当時のアメリカが直面していた
「女性の自立」「格差社会」
「教育のあり方」を、
すべて詰め込んだウェブスターの手腕は
本当に見事というほかありません。
だからこそ
100年以上たった今読んでも、
色褪せない強さがあるのです。
6 日米の文化の違い
1912年のアメリカと日本では
「富を築いた資産家が
寄付や慈善活動を行うこと」への
文化的な馴染み深さが全く異なります。
アメリカでは、キリスト教的な
「富める者の義務」が
社会のシステムとして根底にあります。
日本にはそのような考え方は
存在していませんでした。
そのような日本で、なぜこの作品が
「理解の難しい異国の話」として弾かれず
むしろ国民的ともいえるほど
深く愛され、根付いてきたのか?
7 翻訳の魔術
日本に初めて「あしながおじさん」が
紹介されたのがいつなのか、
確実な資料は見当たりませんでしたが、
1920年代において
東健而という翻訳家が
「蚊とんぼスミス」という邦題で
訳したのがはじまりのようです。
日本人にとって、
見ず知らずの資産家が巨額を投資して
孤児を大学にまで進学させる、
そして定期的に手紙をかくことが条件、
というドライな契約は、
システムとしては
理解しづらいものだったはずです。
そこで初期の翻訳者たちは、
これを西洋の
「システムとしての慈善」ではなく、
日本人が大好きな「人情」や
「親のいない子を陰ながら見守る、
顔も知らない大恩人」という
情緒的な関係性に
グラデーションを変えて伝えたのです。
結果として日本人はこの作品を
「社会福祉の物語」としてではなく、
「受けた恩義に一生懸命報いようとする、
いじらしく健気な少女の物語」として
受け入れたのです。
これは義理人情を重んじる
当時の日本人の心に、
完璧にフィットしました。
8 シンデレラ物語は日本人も好き
欧米だけでなく、日本人もまた
シンデレラ・ストーリーが大好きという
土壌があります(古典作品を探しても
いくつか見当たります)。
「孤児院の陰気な生活」から
「華やかな女子大生」への
シンデレラ・ストーリーは、
寄付という行為の一般性を飛び越えて、
純粋に「最高のエンターテインメント」
として楽しまれたのです。
「あしながおじさん」の正体が実は…
という劇的なプロットも、
この物語の型を強化し、
日本の読者を熱狂させました。
9 「女子教育の夜明け」への共感
日本でこの本が広く読まれ始めた
大正時代〜昭和初期は、
日本でもようやく
「女子高等教育」の必要性が叫ばれ、
津田梅子らが活躍していた時期です。
日本には「寄付」の文化は薄くとも、
「苦学生が夜を徹して勉強し、
知識の力で身を立てる」、
いわゆる立身出世や向学心という
エピソードに対するリスペクトは、
非常に強くありました。
ジェルーシャが図書館にこもって
古典文学を読破し、
知的な会話についていこうと
必死に努力する姿は、
当時の日本の「新しい時代を
生きたい」と願う女学生たちにとって、
強烈な憧れと共感を呼ぶ
ロールモデルとなったはずです。
10 日本人にとっての「落としどころ」
ジェルーシャは作中で、
「おじさん」からの援助について
「ただ貰う」ことを拒み、
自分で家庭教師をして稼いだり、
小説の原稿料で
「借金を返そう」と奮闘したりします。
この「施されっぱなしを良しとせず、
自立して恩を返そう」とする
ジェルーシャのプライド。
それこそが寄付文化のない
日本人にとって、この物語を
「うさんくさい慈善の話」として
突き放さず、心からジュディを応援し、
納得して読むことのできた
最大の鍵だったといえるでしょう。
システムとしての「寄付」は遠くても、
そこに流れる
「感謝」「努力」「自立」という精神が、
日本の文学者によって見事に翻訳され、
読み手に愛され続けてきたのです。
11 おわりに
「あしながおじさん」は、長く
「不朽の名作」として親しまれてきたぶん
どうしても「明るい成長物語」という
表層だけが語られがちです。
しかしその背景を丁寧にたどると、
「アメリカの寄付文化」
「女性の高等教育の歴史」
「孤児院制度の実態」
「進歩主義時代の社会改革の空気」
といった、当時のアメリカ社会が
そのまま地層のように
埋め込まれていることが見えてきます。
その「地層」をひとつひとつ
掘り起こしていくと、
ジェルーシャの手紙の軽やかさの
裏にある「時代の息づかい」が
ふっと立ち上がってくるのです。
「知っているから」といわず、
ぜひもう一度、ご賞味ください。
(2026.6.29)
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