「トムは真夜中の庭で」(ピアス)

「時」とは何か、「夢」とは何か、「庭」とは何か

「トムは真夜中の庭で」
(ピアス/高杉一郎訳)岩波少年文庫

おじおばの住むアパートに
預けられたトム。
大時計が「13時」を告げたとき、
彼は不思議な庭へと迷い込む。
そこで少女ハティと
知り合った彼は、
毎晩庭に出かけるようになる。
だが、自分の「時間」と
彼女の「時間」は
異なることを知り…。

イギリスの児童文学の代表作といわれる
フィリパ・ピアス
「トムは真夜中の庭で」。
1958年の作品発表後、
イギリスの図書館協会から贈られる
児童文学の最高賞である
カーネギー賞を受賞、
過去にテレビ化・映画化がなされるなど、
押しも押されもしない
英国児童文学の傑作中の傑作です。

本書カバー裏には「小学校5・6年以上」と
書かれてあります。
おそらく小中学生が読めば、
超一級の異世界ファンタジーとして
素直に感動できると思います。
しかし大人にとって
本作品は難しすぎます。
いろいろなことを
考えざるを得なくなるからです。
その「考えざるを得ないこと」こそ、
本作品の「大人としての」
味わいどころと考えます。

〔主要登場人物〕
〈現実世界の人々〉
トム・ロング
…預けられたアパートの裏庭で
 過去の世界とつながる。
 庭では幽霊のような存在となる。
ピーター・ロング
…トムの弟。毎日届くトムからの
 手紙を楽しみにする。
ロング夫人
…トムの母親。
グウェン・キットスン
…トムのおば。
 子ども好きでトムをかわいがる。
アラン・キットスン
…トムのおじ。堅いところがある。
バーソロミューおばあさん
…トムの叔父叔母の住むアパートの
 家主。気難しいらしい。
〈「庭」の人々〉
ハティ
…トムが「庭」で出会った少女。
 トムの姿が見える。
ハティのおばさん
…ハティを厄介者扱いする。
ヒューバートジェームズ
エドガー
…庭の持ち主・メルバン家の兄弟たち。
 トムの姿を見ることができない。
息子のバーティ
…メルバン家の兄弟たちと同じ学校に
 通う子ども。
アベル
…「庭」の園丁。トムの姿が見える。
スーザン
…メルバン家の女中。

本作品の味わいどころ⑴
「時」とは何か

本作における最大のキーワードは
「時」です。
単なる過去へのタイムスリップではなく
複数の異なる「時間の層」が
重なり合っている点に
深い味わいがあります。

①13時という永遠の時間
物語は、
アパートの古時計が本来ありえない
「13回」の時報を鳴らすことで
始まります。
この「13時」は通常の時計が刻む時間
(1時間が60分で区切られる時間)
ではなく、
日常の法則に縛られない「永遠の時間」や
「別世界への入り口」を
象徴しているものと考えられます。

②主観的な時間のズレ
トムにとっての数日間が、
庭の中のハティにとっては
数年間に相当し、
彼女はみるみる成長していきます。
これは、老人が過去を振り返る際の
「若い頃の時間はあっという間に
過ぎ去った」という主観的な
時間の感覚を見事に表現しています。

③「もう時間がない」という哲学
古時計の文字盤には「黙示録」を引用した
「Time No Longer」(もう時間がない)
という言葉が刻まれています。
これは世界の終わりを指すだけでなく、
「時間とは一時的なものに過ぎず、
心や記憶の中では過去・現在・未来が
同時に存在しうる」という、
作品全体を貫く哲学的な問いを
提示しているのだと考えられます。

本作品の味わいどころ⑵
「夢」とは何か

本作は「時間旅行」であると同時に、
アパートの最上階で眠る
「バーソロミュー夫人の夢」に入り込む
物語という二重構造をとっています。

①魂の同調(テレパシー)
隔離生活で「外で遊びたい」と渇望する
トムの孤独な精神と、
かつての自由な少女時代を夢見る
老婦人の精神が、
夜の静寂の中で奇跡的に
同調(チューニング)したことで、
あの庭が出現しました。

②「夢」か「現実」かを超えた真実
一般的な「夢オチ」とは異なり、
トムが現実の床下から
ハティの隠した「本物のスケート靴」を
見つけ出す場面が重要です。
これは夢が単なる妄想ではなく、
「過去の記憶・夢」と
「現在の物理的な証拠・現実」が接触した
瞬間を描いており、
読者に「夢でもあり、
同時に真実の体験でもあった」という
不思議な余韻を残します。

③大人と子どもの読みの交差点
子どもは
「魔法の時間旅行」として楽しみ、
大人は「記憶と再生の心理的寓話」として
読むことができるように
設計されています。

本作品の味わいどころ⑶
「庭」とは何か

イギリス文学における「庭」は
特別な意味を持ち、
本作でも単なる舞台以上の
役割を果たしています。

①自己変容と成⾧の場
庭は外の世界(現実の喧騒や
社会的な仮面)から切り離された
「守られた聖域」もしくは
「サンクチュアリ」です。
トムとハティはこの閉ざされた庭の中で
孤独を克服し、他者との絆を再構築する
「通過儀礼」を経験します。

②「失われた楽園」のメタファー
美しく生命力にあふれる庭は、
キリスト教的な「エデンの園」の
イメージを投影しており、
無垢な子ども時代の象徴です。
作中で木が雷で倒れる場面は、
その「無垢の喪失」、
つまり大人への成長を
象徴的に描いていると考えられます。

③英国的なノスタルジー
かつての大邸宅の庭が、
現代ではゴミ置き場や駐車場に
変わっているという描写は、
失われたヴィクトリア朝の栄華を
象徴しているのでしょう。
イギリス人にとって「庭」は、
地層のように積み重なった
「過去の歴史や記憶」と対話するための
精神的な小宇宙なのです。

このように、
本作は「庭」という特別な空間で、
「夢」を通じて「時」の境界を越えることで
「子ども時代という輝かしい時間は、
心の中で永遠に失われない」という
普遍的な真実を描き出しているのです。
子どもにとっては簡単で、
大人にとっては難しい本作品を、
ぜひご賞味ください。

(2026.7.6)

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